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未来の為に舌鼓6

カフェへと入って行くと、奥のキッチンでの航生の作業は一段落したらしい。 修司さんや黒木くんと笑い合い、額に滲んだ汗を拭いながらこちらへと向かってきた。 「おう、お疲れさん。初めてチーズ作ってみてどうだった?」 健一さんに促され、椅子に腰を下ろしながら充彦が笑う。 その周りに俺達も座ると、修司さんは航生に何やら声をかけて自分はキッチンへと戻っていった。 「いやぁ、全然ダメですね。ほんと俺、不器用なんだなぁって思わず苦笑いしちゃいましたもん」 『全然ダメ』なんて言いながら、航生はひどく満たされた顔をしている。 その表情に、充彦も満足そうに頷いてみせた。 「クリームチーズ、カッテージチーズ、モッツァレラを教えてもらったんですけど、なんせまあ、温度管理が結構大変なんですよ…すごく細かいんです」 「たんぱく質やカルシウムの凝固、それに酵素の分解や発酵がチーズでは一番大切になりますからね…逆に、この牛乳の温度管理さえちゃんとできれば、結構誰でも作れるもんですよ」 「確かに使う材料は多くないですし、慣れれば…とは思いますけど、それでもやっぱり一定の品質を常に維持していくとなると大変ですね。今日は本当に勉強になりました」 「んで…お前自身としてはモノになりそうだと思う? 難しいのは当たり前として、時間かけたらお客さんに出せるだけの味になるのか?」 表情は穏やかだけど、その口調は強く鋭い。 充彦の本気の問いに、航生は楽しそうにも見える笑みを崩す事は無かった。 その顔こそが質問の答えだと思うと、何か熱いものがグッと込み上げてくる。 難しいのだ、そんな事は当たり前。 充彦の作るお菓子に、料理に相応しい材料を自らの手で作り出そうとするのだから、簡単なわけはない。 けれど、充彦の腕を無駄にしない物をいつかは作れるという自信、作りたいのだという思いが伝わってくる。 そして充彦は、航生のそんな気持ちをちゃんとわかった上で、『中途半端は許されないのだ』と確認をした。 自分達の夢の為にも、その夢を全力で応援してくれている人達の為にも、成功の鍵の一つを航生が握っているのだと。 「食べてみたら、きっと納得してもらえると思いますよ。航生くん、美味しいチーズ作れるようになります」 不意に後ろから声がかかる。 全員の視線が一気に集まった先には、笑顔の修司さんがいくつかのお皿を乗せた大きなトレーを手に立っていた。 「モッツァレラはまだ冷えてないですけど、十分でしょう。わさび醤油とオリーブオイル、それと蜂蜜を用意しましたので、色々試して食べてみてください」 スライスされたモッツァレラをテーブルに置き、周りに小皿を並べていく。 充彦は早速一枚を指で摘まみ、まずは何も付けずに口に放り込んだ。 慎吾はワクワクした顔で、ハーブソルトの混ぜてあるオリーブオイルにそれをチョンと付けている。 「あ…うん…いいね……」 「すごっ、ちゃんと口の中でモキュモキュ言うてる! めっちゃ美味しい!」 二人の言葉を確認し、俺と健一さんもチーズに手を伸ばした。 黒木くんも何やらカメラの操作が終わった所で嬉しそうに一枚醤油に付けて口に入れる。 これは美味い。 牛乳の風味がたっぷりと感じられて、それなのにしつこさは口に残らない。 もっちりとした独特の弾力もしっかりとでている。 表面の滑らかさが足りないのは、まあご愛嬌…それこそ作り慣れていけば、あの艶やかなツルンとしたフォルムを出せるようになるだろう。 「匠の所でも思ったけど、やっぱりこれだけ牛乳がいいと本当にクリームもチーズも美味いですよね…」 モッツァレラの隣に置いてあったクリームチーズをスプーンに掬うと、充彦はトロリと蜂蜜を垂らして口に含んだ。 目を閉じ、香りや舌触り、そして飲み込んでからの後口までじっくりと確認している。 「航生くんは、確かにあまり器用なタイプではないと思います。ただ、とても真面目で几帳面です。温度調整と発酵状態の見極めが何より大切なチーズ作りにおいて、航生くんのこの真面目さと几帳面さは武器ですよ。こまめな温度チェックが気にならないんですから。本人も料理をするとの事ですし、その料理に合う自分なりの加減というのを覚えるのは案外早いかもしれません。お店で出来立てを出したいという事なら、作業の工程や出来るまでの時間を考えて今日作った3種類が限度でしょう。十分モノにはなりますよ」 「牛乳だけ定期的に送ってもらえれば、家でも練習できますしね」 黒木くんがカメラの背面の液晶を俺達の方に向けてくる。 そこに表示されたのは写真ではなく動画だった。 航生の手元や牛乳の入った入れ物に刺してある温度計の数字をずっと映している。 「ほんとは雑誌の事考えて、もう少し写真を撮りたかったんですけどね…」 「黒木さんにわがまま言って、作業工程を録画してもらったんです。後で忘れて慌てないように」 少し恥ずかしそうに、それでもどこか誇らしげに航生が笑う。 それを見た充彦も、嬉しそうに笑った。 「さあ、じゃあここから少し商売の話をしなきゃな…航生が美味いチーズ作る為の牛乳を仕込まないといけないだろ?」 「じゃあ、うちも本気の商売の話をしないといけませんね」 健一さんが小さく頷き充彦に真っ直ぐ体を向け、その隣に修司さんが静かに腰をおろした。

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