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凛々しきフォトジェニー【3】
充彦は優しい手付きで彼女の髪を撫でながら、目を見つめたまま鼻先を擦り合わせる。
「ほんとにキスしても平気? もし嫌だったらしてるように見せるだけにするから、ちゃんと言って?」
そんなの...彼女の目を見ればわかるじゃないか。
拒むわけがないなんて。
潤んだ丸い瞳は、ただ真っ直ぐに充彦を見つめている。
予想通り、彼女は返事を言葉にする事はせず充彦の首に腕を回した。
そのまま充彦の顔を引き寄せるようにしながら、自分からキスをねだる。
ゆっくりと静かに合わされる唇と、絶え間無く室内に響くシャッター音。
これは仕事なのだとわかっていながら、俺は無意識にそこから目を逸らしていた。
こんな思い、したことない。
今まで現場でこんな場面も、それどころかもっといやらしい場面だって散々見てきてる。
だけど...こんなにイライラもモヤモヤもしたことは無かった。
「お前、なんつう顔してんだ」
いきなり頭をゴツンと叩かれ慌てて振り返ると、呆れたような顔の社長が立っている。
「痛い...」
「泣きそうな顔してるお前が悪いんだろうが。なんだ、ヤキモチか?」
「ヤキ...モチ...?」
もう一度ベッドの方に目を遣る。
中村さんに何か指示をされたのか、ちょうど充彦が小さく頷いてキスの角度を変えた所だった。
「やっぱりこれって...ヤキモチなのかな...」
「そりゃあ、そうなんじゃねえの? お前の顔、完全に嫉妬でイラついてるようにしか見えないっての。しかし、なんでだ? あれくらいの事、いつでもやってんだろうよ」
「うん、そうなんだよね...女の子にキスしてんのも、その女の子が充彦に本気で惚れちゃうのも別に見慣れてるはずなのになぁ...なんか俺、今すごい嫌だもん」
「まあ、こんな仕事してて今までお互いに嫉妬なんてしたこと無いってお前らが元々おかしいんだとは思うけどな。でもよぉ、いつもとおんなじじゃねぇか。ただの仕事だろうよ」
「......そうなんだよなぁ...仕事...ですよね...」
割り切ろうとしても、どこか割り切れないままでまた目を逸らす。
「ああ、そうか...なんとなく仕事に見えないんだ。あの彼女がね、すごく充彦に似合ってるなぁって。ほら、普段一緒に仕事してる女優さんとかと比べて、不自然なくらいの華やかさってのが無いじゃない? でも地味かっていうと全然そんなんじゃなくて...品があるっていう感じ? なんか、段々あれが充彦のプライベートをそのまま切り取ってるみたいに見えてきちゃって...ナチュラルで、凄く素敵な二人だなぁとか」
「そうか? 俺からしたらお前といる方がうんと似合ってるけどな。何より充彦が幸せそうだし。二人の雰囲気については、そりゃあそういう設定なんだから自然に見えるかもしんねえ。んでも、ちゃんと充彦の顔見てみろよ。お仕事バリバリだろ、絶好調じゃねえか。お前を見てる時の目と全然違う」
「...そうなのかなぁ......」
また充彦が一番嫌う『自分を好きでいられない自分』が顔を出しているのかもしれない。
こんなに硬い筋肉質の体をした俺より、やっぱり華奢で柔らかくて可愛い女の子を抱いている方が似合ってるよなぁとか、いつかはあの丸くて温かい胸が恋しくなるんじゃないかとか。
はぁっと大きな溜め息が出た。
「まあ、もうちっと落ち着いてしっかり見てろよ。たぶんな、シャッターの音が止まった瞬間にお前の不安なんて消えちまうから」
子供にしてやるように俺の頭をポンポン叩いてくる社長の手を払い、仕方なくベッドの方に視線を戻した。
ひとしきりラブシーンは撮り終えたのか、いつの間にか脇には高めの脚立が置かれ、カメラは俯瞰で二人を捉えようとしている。
腕枕した彼女の頭を自分の胸に引き寄せ、脚を絡ませながら目を閉じる充彦に向かって、数えきれないくらいのシャッターが切られた。
その間も、中村さんから手の位置や髪の乱れ方などに細かい注文が入る。
「はいっ、お疲れさまです。とりあえず二人のシーンは以上でオッケーです」
ようやくシャッターの音が止んだ。
「終わった?」
「うん。シャワーシーンはまた別の場所に移動するから、この部屋での撮影はこれでアップね」
「おっしゃー、愛実ちゃん、お疲れ」
ほんの数秒前までの、蕩けそうなほどのあの甘やかな空気はどこへやら。
彼女にガウンだけ掛けてやると充彦はベッドから跳ね起き、スッポンポンのまんまで俺の方に駆け寄ってきた。
「勇輝、勇輝。見て、前張り!」
いきなりのアホ全開の雰囲気に、うっとりと顔を赤らめてベッドに横たわったままだった彼女も、溜め息混じりで充彦に見とれていた担当さんも、ポカンと口を開ける。
「衣装さんがさぁ、『ベッドでイチャイチャしてるうちに変調でもきたしたら大変なんで、ガムテ二枚使いましょう』とか言うんだぜ。そんなもん、全然心配ないっつってんのに」
「...んで、ほんとに変調はきたさなかった?」
「もっちろ~ん。やっぱ一枚で十分だった。ほら、フニャフニャ~」
慌ててアシスタントくんが充彦にガウンを掛けにきたが、前を閉じる事もなくガムテープの上から自分でツンツン股間をつついて見せる。
「さっきまでとキャラ違いすぎるだろ...ほら、みんなビックリしてんじゃん」
「そりゃあ、そういうお仕事だも~ん。何、そんな『違う』って思うくらい、俺ちゃんと大人のカッコいい男の顔してた?」
「...してた......つか、あんまり二人が雰囲気良くて、ちょっと...妬けた」
思わず素直に口に出してしまう。
俺のそんな言葉に一度目を丸くした後、充彦は顔をクシャッと崩して笑った。
「ウッソ...なんか勇輝がヤキモチ妬いてくれるとか信じらんないわぁ。超嬉しいかも」
「嬉しいってなんだよ、嬉しいって」
「ん? 嬉しいよ、なんかすごい嬉しい。こないだなんてまた本番やってもいいとか言い出すしさぁ、今までエッチ以外でわがまま言ったり独占欲見せたりする事とかもあんまり無かったし。もしかしてあれだろ、ここのベッドがうちのと似てるから、余計に妬けたとか? 『そこは俺の場所だぞ』的な」
「あっ...あれ...そうなの...かな...」
なるほど、そういう事か。
充彦に言われて、ようやく気づいた。
この部屋に入った途端胸がざわついて、ベッドで絡む二人を見ていられないくらいにイライラしたのは...ここが俺達の寝室に似すぎてたからか。
自分の場所を目の前で横取りされたみたいに思ったから、どうしようもなく虚しく悲しくなったのか。
充彦の隣で眠っていいのは...俺だけなのにって。
「ハズレ?」
「あ、いや...たぶんアタリ。あのベッドで充彦の腕の中にいるのは俺じゃなきゃやだって思った...んだな、うん。じゃあさぁ、充彦は俺が誰かと絡む事にヤキモチ妬くとかって無いの?」
「無いよ」
即答かよ。
後ろで次の段取りを打合せながらそれとなく会話を聞いていたらしい社長が『ブッ』と吹き出した。
「だって、誰といようと誰を抱こうと、俺が一番勇輝にエッチな顔も幸せな顔もさせてやれるって自信あるもん。だから俺は、勇輝が誰と何をしてても平気。俺の所にさえ帰ってきてくれるなら、あとは何でもオーケー」
あまりにも能天気で自信満々な発言に、呆気に取られるしかない。
周りでスタッフさん達もちょっとビックリしてて、俺は少しだけ肩を竦めた。
『シャッター音が止めば不安なんて消える』
そう言った社長の言葉があまりにもその通り過ぎて、さすがに悩むのも自虐的になるのもバカらしくなってきた。
「もういいから、早く着替えてこいよ...次の現場に移動しなきゃいけないんだから」
俺が言うと、『はいっ!』とふざけた敬礼をしながら充彦は寝室から飛び出していく。
「みっちゃんて、あんなキャラなんだね...すっごい意外だったなぁ。これは勇輝くんのシーン撮った後で、改めて二人を撮るのが楽しみだ」
苦笑いを浮かべるスタッフの中、中村さんだけは本当に嬉しそうに俺の肩をバンバン叩いてきた。
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