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麗しのフォトジェニー【2】

  撮影の為に勇輝に用意されたのは、一見黒に見えるほど深い紺色のシングルスーツ。 本来、俺達くらいの年齢では着こなすのが難しいはずのピンストライプが入っているのだが、決して華奢ではない、美しく見事な筋肉の付いている勇輝はそれを見事に自分の物にしていた。 長い前髪には整髪剤は付けてないらしく、それが自然にハラリと落ちてきて顔に影を作る。 「はぁ...やっぱりイイ目してんなぁ...ムカつくくらいエロいわ」 いつの間にか隣で俺と一緒に壁に凭れていた社長は、その姿にニーッと前歯を見せた。 「な~に言ってんの。あんなもんまだまだ、序の口でしょ。ほんとの勇輝の目を見る事ができるかどうか...ま、ここからの中村さんの腕次第だね。どうなるかなぁ...勇輝、写真苦手だから」 「確かにな。俺の大事な大事な充彦をすっかり骨抜きにしちまった勇輝の本領を...さて、あの若いカメラマンで発揮させられるかね...」 「だーかーらー、気持ちの悪い言い方止めろっつってんのに。俺がいつ社長の大事な物になったって?」 「骨抜きの方は否定しねえのかよ、まったく」 ニヤニヤと二人で笑い合いながら、俺達の視線は真っ直ぐに中村さんに向かった。 予想した通り中村さんは、入ってきた勇輝の『空気』に表情が固まっている。 「あの...中村さん? すいません、そんなにイメージとずれてましたか?」 困った顔で笑みを浮かべ、勇輝が小さな声で話しかけた。 まだ撮影が始まってないから、勇輝の中には少し自分が残ってるらしい。 自信無さげなその物言いに、中村さんはブンブンともげるんじゃないかってくらいの勢いで首を振った。 「いや、全然問題ないから! ほんとイメージとかコンセプトにピッタリだし! って言うか、あんまりにもさっきまでと雰囲気変わりすぎててびっくりしただけで...心配させちゃったならゴメンね」 「ああ、ならいいんですけど」 勇輝の目が、既にベッドの上に黒いランジェリー姿で待機しているモデルさんの方に移った。 俺の相手役とは違い、こちらはある意味プロ中のプロ。 普段は熟女専門のヌード雑誌のグラビアを中心に、時々AVにも出ている人なんだそうだ。 清潔さやナチュラルさを重視した俺に対して、勇輝の方は噎せ返るほど濃密なエロスを表現したいらしい。 だからこそ絡みの経験が豊富な女性をセッティングしたとの事だった。 俺達をあまり知らない中村さんはともかく、さすがに担当さんともなるとよくわかっていらっしゃる。 モデルさんと目が合った勇輝は小さく会釈をすると、口許をほんの少しだけ綻ばせた。 「お待たせしてしまって...本当にすいません」 その微笑に、彼女の表情はすぐにトロリと蕩けたようなものに変わる。 「あ、あの...えっと...勇輝くん? とりあえず俺の撮影イメージ伝えてもいいかな?」 「はい、お願いします。ちょっと俺、目を閉じたままで聞かせてもらってもいいですか? 自分なりに雰囲気を頭に作りたいんで」 中村さんが頷くのを確認すると勇輝は俯き、そして静かに目を閉じた。 「年齢は今の勇輝くんと同じ26才。上場企業の営業としてバリバリ働いてて、同期の中では一番の出世頭。で、現在自分の直属の上司である課長の妻と不倫中...って感じなんだけど...いけそう?」 「その関係の中で、僕は相手をどう思ってますか? 真剣に愛してますか? それとも体の関係に溺れてますか? それとも...出世の道具のつもりですか? 女性の方は? 夫との生活を捨ててでも僕を愛したいと思ってますか? 純粋にセックスを楽しむ為の遊び相手ですか? 自分を顧みない夫へのささやかな復讐として僕を利用しているのですか?」 矢継ぎ早に勇輝の口から飛び出してくる質問に、中村さんは驚いたようにポカンと口を開けた。 さあ...中村さんは気づいたかな...勇輝の一人称が『俺』から『僕』に変わった事。 ここのところ勇輝は温い撮影が続いてたから、それほど役を作り込む必要は無かった。 久々に勇輝の本気の目が見られるかもしれないって思うだけで、興奮する気持ちが抑えきれない。 これは...ヤバイな。 「お前、勃起させんなよ」 社長がふざけて俺の股間をムズと掴んでくる。 「勃たせないって自信は無いなぁ。ま、あの程度なら今のところは何の問題もないけど」 「これでお前を勃起させるような勇輝の表情が引き出せるようなら、あのカメラマンは本物だな」 「いやいや、俺がそんな偉そうな事言えるわけないじゃない。でもさ...第一印象でね、あの人ならそれができるんじゃないかなぁとは感じてるんだよね」 一ファッションカメラマンから、ちゃんと『人間』を写すカメラマンとして羽ばたくチャンスを狙ってるんじゃないかと思った。 野心だとかってそんなちょっと生臭い感じじゃなく、もっと熱くて純粋な夢で高みを目指してるんじゃないかって。 そんな彼なら、勇輝という被写体に興味が湧かないわけはない。 勇輝の面白さがわからないというなら、結局彼は洋服だけを撮っているのが向いてる人なんだろう。 「えっとね...撮りながら色んなパターンの表情を試してもらおうと思ってるんだけど...」 「わかりました。まず僕はどうしますか?」 「まずは...お互いに本気で惹かれ合い、罪悪感に苦しみながらも離れられないって感じの関係でどうかな? 勇輝くん...いけるよね?」 『いける?』じゃなくて、『いけるよね?』...か。 質問じゃなく、ただの確認に変わってるな。 気づいたのか、それとも本能が感じたのか? 中村さんの声がちょっと震えてる。 めちゃめちゃ興奮してるのが伝わってくる。 早く勇輝を撮りたくなってるんだろ? もっと勇輝の違う顔を見たくなってるんだろ? これは...面白い事になる...きっと。 「大丈夫です、いけます」 勇輝がゆっくりと顔を上げ、静かに目を開く。 その鳶色の瞳は女を虜にする色気はそのままに、言い様のない寂しさと深い苦悩の色を濃くしていた。

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