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いくぜ! Cover Boys【7】

  『タバコ、いいかな?』という岸本さんに灰皿を渡しながら、俺はその顔色をひたすら窺う。 俺に対して特に敵がい心を持っているようには感じない。 こうして見る限りは、ただ穏やかでにこやかな人だ。 ただ、さっきまでと比べると口調はやや砕けた物になり、その雰囲気はビジネスマンというよりどこか物憂げな酔客を思わせた。 この人が勇輝の『過去』を知っているのは間違いない。 そしてその『過去』について、勇輝はできるだけ隠そうとしている。 ならばせめて、その『過去』が決して広がる事のないようにこの人の出方を見ておかなければいけない。 「ユグドラシルについては知ってるんだよね?」 俺が勇輝のどれほどを知っているのか確認したいのだろうか。 一瞬だけ返答に詰まる。 生憎俺は勇輝の過去を根掘り葉掘り聞いたわけではないし、それを求めた事もない。 勇輝が自ら話すべきだと思えば俺はそれを黙って聞くだけで、俺の方からその事について問い詰める事はこれからも一切無いだろう。 つまり、今の勇輝の事は誰よりも知っているけれど、昔の勇輝についての情報はほぼ皆無という事だ。 知ったかぶりをしてみせた所ですぐにボロが出るだろうと踏み、今は正直に話すことにした。 「昔勇輝が働いてた店だって事だけは聞いてます。ものすごい人気店だったという噂も聞きました。ただ、その店での詳しいルールやシステムまでは...俺が知る必要は無かったので何も聞いてません」 「そう...じゃあ、そこで客を取ってた事は?」 「それは勿論聞いてます」 「うん、じゃあ話は早いね」 岸本さんは俺から顔を背けてゆっくりと煙を吐き出した。 タバコを吸わない俺に対しての気遣いだろうか... ごく自然なその仕草は、この人が普段から周囲にちゃんと気を配れる優しい人なのだと教えてくれているように思える。 「僕が初めてユーキに会ったのは...もう10年近くも前になる。ようやく自分のブランドを立ち上げたばかりで、毎日がフラフラだった頃でね」 「10年て...え!? いやでも、まだ勇輝、その頃16くらいなんじゃ...?」 「そうだね。そう言えば3年間くらいは、ずっと自分の事を18才って言ってたかな。まあそこはさ...色々あるから。あの店で働いてた子達には訳有りも多かったからね。そこは暗黙の了解的な?」 ずいぶん若い頃からそうして飯を食ってたとは聞いてたけど、16...か。 俺はまだ、ごく普通の能天気な高校生だったな。 「ユグドラシルって店はね、表向きはゲイバーってわけじゃないんだ。ストレートの人達でも普通に入れるの。オーナーの趣味で珍しい酒も色々置いてたし、カクテルもツマミも旨かったからね。だからただ酒を飲みに来てるだけのやつも一杯いたよ。ユーキはその店でボーイとして働いてた」 「当然それは、いわゆる普通のボーイとか黒服ってわけはないですよね?」 「そうだね。所謂『ハッテンバ』って呼ばれる場所にあった店だから、夜のパートナー探しの為に来る客も多かったんだ。普通にナンパもあったけど、連中の目当ては大概そのユグドラシルのボーイだった。これがさ、よくもまあこんなレベルの男の子集めたなぁってくらい綺麗な男の子が多かったし」 「その綺麗なボーイをそのまま買える...って事ですね?」 「うん。ただし、これがユグドラシルって店の特異性なんだけど、厳しいルールがあったんだ。ボーイに夜の交渉をする為にはね、まずオーナーと面談した上で、保証金を払って会員にならないといけなかった」 「保証金...ですか。それってやっぱり高かったんですか?」 「そりゃあもう、驚くくらい。当時の僕はその保証金が払えなくて、結局会員にすらなれなかったんだよ」 岸本さんほどの人が払えないほどの金額って...いったいどれくらいだったんだろう? いくら自分のブランドを立ち上げたばかりとはいえ、どうしてもと望めば数十万単位の金なら動かせるはず。 それでも用意できなかったという事は...当然それ以上か? そもそも面談て何だ? そんな疑問が顔に出てたのか、岸本さんは俺の方を見てクスリと笑った。 「その金はね、別に店が悪どく稼ぐ為に集めてたってわけじゃないんだ。言ってみたらボーイの子達の安全の為...かな。勿論店の安全の為って意味合いもあったとは思うけど。オーナーとの面談で堂々と身分を明かし、更にちゃんと金も支払える能力のある、間違いの無い人間をボーイに紹介するって意味での会員制度でね。そのオーナーの気持ちと趣旨をわかってる人だけが会員になってくれればそれでいいって考え方だったんだ。だから、ユグドラシルの会員になってるって事だけでその人のステータスの高さの表してる事にもなったくらいなんだよ。財力も身分も問題無いとオーナーに認めてもらったわけだしね。店を出したばかりの僕には、まだそのまとまった金を用意するのは難しくてさ。まあ結局はそのステータスまで到達してなかったってだけなんだけど」 「あっ...だから、ユーキの客になり損ねた?」 「うん、そう。ただ店の営業時間内はみんな普通にバーテンダーやボーイとして働いてたから、当時の僕は時々店に行ってユーキと話をして、ひたすら恋心だけを募らせてたって感じかな。会員になると特別なコインを貰うんだけどね、閉店後...所謂『アフター』に誘いたいって人は、そのコインをアルコールを注文する時に目当てのボーイに渡すんだ。コインを渡した客は大人しく閉店までボーイを待ち、その客の中からボーイ本人がその日の相手を選ぶってルールだった。コインを返された人はその日はアウト。最後までコインを返却されなかった人...まあ、たまには人達って事もあったみたいだけど、そのコインを返されなかった人だけが一緒に夜を過ごす権利を得られるってわけ。ちょっと変わってるでしょ...選択権は、客じゃなくて常にボーイ側にあるんだから。もし相手をしたくない人ばかりだったり体調が悪くなったなんて時は、コインを全員に返して一人で帰っても良かったんだよ」 本来は『お客様から選んでいただく』はずの売り専ボーイ。 ところがユグドラシルという店では、その客こそがボーイに選ばれる立場だったのか。 確かに変わってる。 だから...『いつかはユーキに選んでもらえるように頑張ってた』なんて話になったんだ。 少しずつ言葉のピースが繋がっていく。 「あ、でもね、僕は普通にカウンター越しに話をしてるだけでも本当に幸せだったんだよ。ユーキは年齢のわりにものすごく聞き上手だったし、素直で勉強熱心だからそれだけで十分楽しかった。たださ、運良くユーキと夜を共にできたって人から話を聞くとね、やっぱり全部が欲しくなっちゃって。だから本当に頑張らないとって必死だった。それから少しして...どれくらいだったかなぁ...ユーキが本当に堂々と『18才』って言うようになった頃か。僕の仕事が一気に軌道に乗ってね、海外を飛び回る生活になった。店にも全然行けなくなっちゃってね。何年かしてようやく日本にしっかりした拠点を作る事ができて、落ち着いたんだ。金もいくらか自由に動かせるようになったからって胸を張ってユーキに会いに行ったら...ユグドラシルは閉店してた」 「ああ...薬がどうのって話でしたっけ?」 「ユーキもオーナーも全然関係なかったんだよ。ボーイの一人が自分の客に薬を勧めてセックスのたびに使ってたってだけだったんだけど...ほら、あの店がやってる事ってのは、やっぱり法律的にはグレーじゃない? 警察のマークが厳しくなった上に、強制捜査が入るって噂が流れたらしい」 店内で性的サービスを行ってるわけじゃない。 不特定多数の相手と金銭を介して付き合うとは言え、選択権が買われる側にあり断る事もできるなら、単純売春での罪には問えないだろう。 店はあくまでも出会いの場所に過ぎないし、客からいくら料金を受け取っているのか、店とボーイの間での取り分の割合はどうなっていたのかなんて事を証明できなければ、管理売春と言うにもちょっと無理があるのかもしれない。 しかし警察からすれば、体の売買で金銭が動いているのには違いないわけで、それを『売春』という罪に問えないのは歯痒い思いだっただろう。 意地やメンツにかけても別件からスタッフを引っ張り、店を解体に追い込もうとするのは想像に難くない。 「他のスタッフもオーナーも、おそらく疚しい事は無かったはずだ...年齢を除いては」 「勇輝以外にも未成年者が?」 「詳しくは知らないんだけどね、オーナーは危ない体の売り方をしている男の子を見ると放っておけなくて店で働かせてたって噂はあったから、風俗・水商売で働けない年齢の子がいたって考えても不思議ではないかな。実際、事情はわからないけどユーキはそうだったわけだし」 フィルターまで火種が近づいていたのに気づき、岸本さんはそれを急いで灰皿に押し付けた。 それからまた新しいタバコを抜き出して火をつける。 「オーナーは客に迷惑がかかるのを怖れたんだよ。さっきも言ったけど、あの店で会員になれるような客はみんな、金も地位も持ってる人間ばかりだった。一流企業の経営者や大学教授、誰もが知ってるようなシェフやマスコミ関係者...社会的地位の高い人が多かったから、ガサ入れの現場にいて勾留されたなんて事になったら大変じゃない? それで突然店を閉め、会員に保証金を全額返した上で...姿を消したんだ」 「今、そのオーナーは?」 「はっきりとはわからない。北海道で新しい店をやってるとか、海外に逃げたとか、自殺したとか...眉唾物の噂はいっぱいあったよ」 岸本さんは、不意に手元のタブレットを操作しだした。 俺の前で触ってるのだから見ても良いということだろう...少し椅子から体を乗り出す。 ネットに繋いだらしいそのタブレットの画面にはなぜか、俺の誰より愛する人が...今より少しだけ幼い顔で笑っていた。

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