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いくぜ! Cover Boys【9】

  「んもうっ! 充彦、お前結局来なかったじゃん! 上で待ってたのにぃ!」 「ああ、悪い悪い。ちょっと岸本さんに服の事とか今後の展開とか、色々教えてもらってて。でもまあ、今回は俺が行かなくてもちゃんと写真撮れたろ?」 「おう、バッチリ...って、これは俺が言うことじゃないか。どうでした、中村さん?」 振り返り、遅れて入ってきた中村さんの表情を窺ってみれば、どうやら改めて返事を聞くまでもないようだ。 俺は勇輝を椅子に座らせ、その湿った髪にドライヤーを当てていく。 勇輝はアシスタントさんが淹れてくれたお茶を口許に運びながら、何やらじっと岸本さんを見つめていた。 「ん? 何? 勇輝くん、どうかしたかな?」 「ああ...っと...いや、えっと...岸本さんの名刺をまだ貰ってなかったなぁと思って。あの、でも俺の方は名刺とか無くて、ほんとすごい失礼な話なんですけど...」 「おっと、そうだった、ごめんごめん。大好きな二人に会えたせいですっかり忘れてました。では改めまして...株式会社アドバンテージ代表取締役、岸本孝弘です」 シルバーのカードケースから手慣れた様子で一枚名刺を抜くと、ニコニコと笑いながらそれを勇輝に手渡す。 受け取った名刺を一頻り眺めると、勇輝はパッと花が咲いたように華やかな、けれど少し幼い顔でフワリと岸本さんに笑いかけた。 「んふっ...やっぱりそうだ。タカ兄...ですよね?」 「...え?」 「え? あれ? 言っちゃいけなかった? ごめんなさい。あ、そうか...そりゃそうだよね...」 貰った名刺を大切そうに手の中に収めたまま、勇輝の顔がみるみる曇っていく。 「勇輝くん...もしかして、僕の事覚えてくれてるの?」 岸本さんの言葉に勇輝は一瞬何かを言おうとして、しかし慌てて言葉を飲み込んだ。 周囲をキョロキョロと窺い、そっと岸本さんの耳元に口を寄せる。 「俺、デリカシー無くてごめんなさい。嬉しくてちょっとテンション上がっちゃって。こんな大きな会社の社長さんがあんな店に出入りしてたなんて...みんなの前で言う事じゃ無いですもんね」 小さく囁かれたその言葉に、岸本さんはプッと派手に吹き出した。 「ああ、そんなの全然気にしなくて大丈夫。僕、カミングアウトしてますし。勇輝くんこそ、昔の事とかあんまり話したくないんじゃないかと思って、僕からは何も話さなかったんです。それにね、正直、まさか僕の事を覚えてくれてるとも思わなかったから」 「そんなの、覚えてるに決まってるじゃないですか。ていうか、すぐに気づけなくてほんとすいません...」 俺は勇輝をきちんと椅子に座り直させ、改めて髪の毛を乾かしていく。 そんな俺の手をトントン叩くと、貰った名刺を嬉しそうに見せてきた。 「あのね充彦、岸本さんてね、昔俺がボーイやってた店によく飲みに来てくれてたお客さんだったんだよ」 うん、それはついさっき聞いたばっかりだ。 それも熱烈な勇輝への思いも込みで。 「......へぇ、そうなんだ。すごい偶然じゃん」 「初めて会った時から、どっかで見た事あるよなぁって思ってたんだ。でもさっきはどうしても思い出せなくて」 「あの頃は、今よりもっと尖ってましたしね」 岸本さんが、少し照れ臭そうに笑う。 それを見た勇輝も、嬉しそうに笑った。 「ほら、その顔とかは全然変わってない! すごくカッコいいのに、褒められたりするとすぐにこんな可愛い顔になるんだよ。でも、確かにあの頃髪はツンツンだったし、服もこんな綺麗なスーツなんて着てなかったもんね。レザーのショートジャケットにボロボロのジーンズとか。あっ、そう言えばいきなり金髪になってた事もあった!」 「ちょ、やめてやめて。あれは本当に若気の至りでした。似合ってなかった自覚はあるんだから言わないでよ。しかし、そんなことまで覚えてるの?」 「覚えてるよぉ。俺、タカ兄来てくれるのすごい楽しみだったもん。全然詳しくなかった服の事とか教えてもらえて、素敵な夢の話を聞かせて貰えて、いつも本当に楽しかった」 ドライヤーを当てる俺の手をそっと制して、勇輝が岸本さんの方を真っ直ぐに向いた。 その顔にはほんの少しだけ陰が浮かぶ。 「岸本さん、ごめんなさい...俺、約束守れなかった...」 「ん? 何が?」 「『次に店に来るときは、絶対保証金持ってくる。だからその時は俺を選んでね』って言われたのに...その前から、会員になる為にも一生懸命頑張ってるって聞いてたのに...なのに、店があんな事になっちゃって。あの時は本当にごめんなさい」 「あれ~? あの時の約束、反故になったなんて僕は全然思ってませんよ。なんなら保証金を坂口くんに渡すので、今から約束守ってくれますか?」 さっきまでの会話があるからこれが本気じゃないとはわかっていても、さすがにこの冗談は笑えない。 俺が睨むと、岸本さんはそっぽを向いて肩を竦めた。 さっきまでの俺と岸本さんのやりとりを知らない勇輝は、そんな言葉に悲しそうに目を伏せる。 「ごめんなさい、岸本さん。約束は守りたい、守るべきだって思う...岸本さんの言葉、ハッキリ覚えてるんだもん。でも俺はね、もうその約束は守れません...ほんとに...本当にごめんなさい。体を売ってたのは昔の話だから忘れて欲しいとか、そんな事じゃないんです。俺、本当に充彦が大切で...もう充彦以外に抱かれるなんて絶対無理で...」 泣き出してしまうのではないかというほどに目を潤ませ、必死に頭を下げる勇輝。 俺は後ろからその体をフワリと抱き締める。 「んもう...岸本さん! タチの悪い冗談はもういいでしょ。勇輝、本気で悩んでますけど」 さすがに勇輝のその表情と俺の抑えた声に『やり過ぎた』と気づいたらしい。 岸本さんは俺の腕の中の勇輝の頭をポフッと撫でた。 「ごめんね...ユーキが僕を覚えてくれてたって思ったら、つい嬉しくてふざけ過ぎちゃいました。今は『ユーキ』じゃなくて『勇輝くん』なのにねぇ。あ、さっき僕が言った事はほんとに冗談だから気にしないで。確かにね、ユーキを僕の物にしたくて、あの時はとにかくがむしゃらに働いてきた。その結果こうして今、勇輝くんがうちの服を着てくれる...それだけでもう十分。僕は幸せ者です、本当にありがとう」 岸本さんのその言葉に、勇輝は潤んだ目元をこっそり拭う。 「これからも二人の事、応援してますよ。そりゃあもう、全力で。あ、でも...もし坂口くんと喧嘩して嫌がらせでもしたいって時には、いつでも僕の所に来てくださいね。坂口くん以外に抱かれるわけにはいかないにしても、抱く事はできるでしょ?」 「......はぁ!?」 俺の間抜けな声に、岸本さんは見た目よりもずっと幼い顔でニッコリと笑ってくる。 「二人ともちょっと勘違いしてるみたいだけど、僕は...バリネコですから。リバすら無理なんだよ」 それだけ言うと、岸本さんは時計を見ながらゆっくりと立ち上がった。 「勇輝くん、幸せになってね。あの頃のみんな、何よりもそれを祈ってるよ。それから坂口くん...勇輝くんを泣かせるような事でもあったら、ただでは済まないから心しておいてね。何かあった時には僕ら、結構怖いと思いますよ」 『僕ら』が怖いってのは重々承知してる。 勇輝への思いが桁外れに強いだけじゃなく、社会的地位の高さも半端じゃないだろう。 確かに何をされるかわかったもんじゃない...まあ俺が、ベッドの上以外で勇輝を泣かせるなんて事があるはずもないわけで、そう考えれば実際は怖くもなんともないんだけど。 「ご心配なく。今まで以上に幸せで、超エロエロな勇輝を見せられるように、毎日ばっちり可愛がりますから」 俺が『フン』と鼻息も荒く言い切ると、岸本さんはそれに満足そうに頷いた。 「楽しみにしてます。勿論、今後の二人のモデルとしての仕事にもね。じゃあ僕は次のコレクションの打ち合わせがあるんで帰ります。撮影の邪魔してごめんね。今日は本当に会えて良かった」 軽やかな足取りで出ていく岸本さんを勇輝はお辞儀で、俺はふんぞり返って見送った。 ********** 「充彦、ほんとにお疲れさま。今日は難しいセリフとか言わされて大変だったろ?」 「まあね~。でもさ、それで言うなら勇輝も後半は苦手なグラビア系の写真撮影だったし、すっごい疲れたろ。んで、今日は何が食べたい?」 家まで送るという社長の申し出を断り、俺達はスーパーの前で下ろしてもらった。 まだ店内に買い物客は多いけれど、どちらからともなく手を繋ぐ。 「うーん...今日はさ、俺が作るよ。昨日も今朝も、仕方ないとは言えお預けくらわしちゃったわけだし。それに、俺の撮影なんて充彦がいなかったらどうにもなんなかったでしょ。まあそのお詫びっつうか、お礼っつうか」 「マジで? んじゃ今日は久々に勇輝の和食が食えるのか! ヤベッ、すっげえテンション上がってきた」 「何食いたいとかある?」 「そりゃあまあ、勇輝の和食となったらまずはだし巻きは外せないよな。お前のだし巻きは、ほんと出汁の割合が絶妙なんだよ。あとはなぁ...あ、あれがいい。だいぶ前に作ってくれた、ニンジンの塩きんぴら」 「そんなんでいいの? オッケーオッケー。んじゃ今日は奮発して、だし巻き玉子はう巻きにしようかな...『スタミナ付けちゃうぞ』的な?」 「なになに、朝までタップリシッポリコースをご所望で?」 「......うん」 少し頬を赤くしながら、カゴに鰻を入れる勇輝。 あ、イカン...可愛すぎて勃ちそうだわ。 「なあ、充彦...」 厚揚げだの納豆だのを手に取りながら、ポツリと勇輝が俺の名前を呼ぶ。 「あのさ...岸本さんからなんか聞いた?」 「...ああ、まあな」 「今まで俺の口から詳しい話とかしてなくて...ごめん」 「別にさ、んなのどうでも良くない? 俺はひたすら勇輝が好きで堪らなくて、勇輝は目一杯俺に甘えてくれる。いや、俺だけに甘えてくれてる。俺からすればさ、その『今』だけで十分じゃない? 過去は所詮過去だよ」 そのまま動かなくなった勇輝の手から厚揚げを取り、ポンとカゴに投げ入れる。 「過去の話を聞いたからって、これからも俺が勇輝を好きなのは変わらないしな。もしお前の方が俺を嫌いになったとしても、絶対手放すつもり無いし」 「...嫌いになんてなるか、バーカ」 「まあ、勇輝がどんなにこれまでの客から愛されてたのかを聞けてさ、ますます幸せにしないといけないなぁって改めて気合いは入ったかな。もっともっと幸せにするから、お前も覚悟しとけよ」 そっと頭を引き寄せて、その額にチュッと口づける。 人前でのそんな行動に勇輝は慌てて俺から距離を取り、キョロキョロと辺りを窺った。 「勇輝、それ挙動不審すぎだって」 「バ、バカがいきなりイラン事をするからだろうが!」 「いやん、恥ずかしがる勇輝くんもカッワイイ~」 拗ねたようにカゴを放り出して、ドスドスとガニ股で歩いていく勇輝。 カゴを持ち、そんな姿にクスクスと笑いながら後をついていく俺。 俺達が幸せであればあるほど、その事を我が事のように幸せだと見守ってくれる人達がいる。 勇輝は以前、俺と社長の関係に深い絆を感じて妬けるなんて言ってたけれど、それで言うなら勇輝は見えない愛情でしっかりと包まれているじゃないか。 「勇輝!」 まだ恥ずかしそうに、それでもいつまでも隣に並ばない俺を心配したようにチラリと振り返る。 「愛してる」 ここはスーパーで、片手には食材が山盛りのカゴとかぶら下げてて、ほんと全然格好なんてつかなくて...だけど、仕事終わりに二人で仲良く買い物をしてるっていう何気ない日常があんまり幸せで、思わず口にした言葉。 怒られるかな...ますます照れて走って行っちゃうかな...なんて思ったけど、勇輝の走り出した方向は出口とは逆。 気づけばその体は俺の腕の中だった。 「俺も...その...愛...してる...」 躊躇うような小さな小さな声が、勇輝なりの目一杯の本気を伝えてくる。 ああ、ダメだ...今ので完全に勃った。 「勇輝、帰るぞ」 「え、なに、急に?」 「飯より、お前を美味しくいただく方が先だわ。」 今日は勇輝の手作りはアウトだな。 つか、まともな晩飯すら食える気がしない。 ズボンの前を気にしながら、カゴの中の食材の上にレジそばのカップラーメンをいくつか適当に放り込むと、勇輝の手を強く握りしめたままで俺はレジの列に並んだ。 俺達が表紙になった雑誌が発売された日、例のサイトの掲示板が再び祭り状態になったというのは、勿論俺達が知る由も無い。

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