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「んっとー、どうしよっかなーっ」
ポーチの中のおくすりをラムネ菓子のようにポリポリと口に運びながら、ベッドに寝転んで天井を見つめる。
ほんとのラムネ菓子みたいに美味しかったらいいのに。錠剤を噛み潰す度にじわりと口に広がる苦味に眉根を寄せる。
『綾斗、』
「もーっ! 今考え事してんのー!」
手に持っていた数錠のおくすりを勢いよく壁に投げつける。バラバラとカーペットに散らばるそれには見向きもせずに、携帯片手に寝返りをうった。
「こんな夜中に誰か呼べるかなあ……」
一応約束のセフレに電話はしてみたが、たった一回のコールも無しに留守電行きになった。あのセフレには以前も何度かドタキャンを食らわせている。今回でとうとう関係を切られたのかもしれない。
「あ、そーだ。竹内くん呼ぼーっとっ」
夜遊び用携帯の連絡先を眺めながら思いついた人物。竹内くんなら仕事の手伝いをする名目で呼べば喜んで来てくれるし。
お腹すいたからついでに何か買ってきてもらお。サラダがいいな~。あとチョコかクッキーも……
『……ただいま電話に出る事が出来ません。電子音の後にメッセージを、』
「……」
数回のコール音はまたしても留守電に繋がった。最後まで聞かずに通話を終了し、携帯をベッドに投げ捨てる。
竹内くんの携帯が留守電に繋がるのは、彼女と居る時だけ。最近残業続きだったから、きっと今日はラブラブに過ごしてるんだろうな。
「あーあ、なんで寝ちゃったんだろー……」
ちゃんと起きてちゃんと約束守ってたら、セフレ君と美味しいご飯食べて、気持ちいえっちも出来て、今頃二回戦とか突入出来てたのに。
独りぼっちになんか、ならなかったのに。
じわり、口に広がるおくすりの苦味に目を閉じる。
『綾斗、』
ああほらまた、パパの声。
精神安定剤。とっくに飲み慣れてしまったおくすりは、医師の指示通りに飲んでたってもう何の効果も発揮しない。だからいくつもの病院と薬局を掛け持ちして、いつも大量のおくすりを手に入れる。
そこまですればやっといつものアヤに戻れるけど、今日みたいな独りぼっちの夜は駄目。
パパの声も、頭に流れるあの記憶も、絶対に止まらない。
『綾斗、起きなさい』
ギシ。パパがベッドに手を付いて、布団をかぶって丸まったアヤを優しく叩く。びくりと揺れた背中を撫でながら、ゆっくりとはぎ取られていく布団。丸まって震えるアヤの体を優しく開いて、俯く顎を引いてキスをされる。
(ああ、もう駄目だ。記憶の波が止まらない、)
『パパと気持ちいい事しよう』
『やだ、やだ、パパ……やめて……』
『綾斗、言うことを聞きなさい』
『いたい、やだ、いたい、僕痛いの、』
『いい子だね。最高だよ』
『いたい、パパ、やだ、いたい』
『パパ、お願い、もうやめて』
――ヴヴ、
「ッ……!?」
突然震えた携帯に、一気に現実に引き戻される。見開いた目から涙が零れ落ち、ギュッと両手で抱きしめていた自分の身体はガクガクと震えていた。
「っ、はッ……アっ……!」
やばい。過呼吸だ。
発作前特有のあの息苦しさに気付き、とっさに目を閉じて呼吸を整える事に集中する。視界が閉ざされた事でまたパパの声が大きくなるが、さらに大きく響く耳鳴りにかき消されていった。
携帯の振動が止まる。こんな時間に誰だろう。携帯どこに置いたっけ。……あった。ああ、まだ気ぃ抜くと苦しい。身体も震えて馬鹿みたい……え……?
「竹内、くん……?」
鼻声の、弱々しい声が耳に届いた。これはちゃんとアヤの声。パパの声も綾斗の声も、もう聞こえない。
画面に表示された着信履歴からゆっくりとリダイヤルを押せば、今度はたった一回のコールで繋がった。
『もしもしアヤ? 今どこ居るんスか?』
「い、家だけど……なに……?」
『あれ? こんな時間に着信あったからてっきり呼び出しかと思ったんスけど……違った?』
呼吸が落ち着く。涙もぴたりと止まる。
「い、や……そうなんだけど……彼女と一緒じゃないの?」
『あー……うん、一緒だったけど抜けてきた』
「はあっ? 何で? 最近残業ばっかだったじゃん。久しぶりにゆっくりラブラブしなよ」
『いや、この時間にアヤが一人ってことは優先順位こっちでしょ』
身体の震えが止まる。耳鳴りも聞こえない。
「……」
『予定ドタキャンでもされたんスか? 一人で居たらまたパパの怖い夢見ちゃいますよー?』
「……見ないもん、」
パパの声も、さっきまであんなに鮮明に流れていた記憶の映像も、もう少しも思い出せない。
『とりあえず今から行きます。なんか欲しいモンとか……』
「竹内くんって、アヤの精神安定剤だね」
『……は?』
「えっとねー、サラダとチョコ買ってきて。じゃあね~っ」
『ちょっ、今のどういう意味……』
まだ何か言いかけている途中で通話を切り、シーンと静かになった部屋。大っ嫌いな独りぼっちだけど、竹内くんが来るから平気。怖くない。寂しくない。
おくすりの詰まったポーチをバッグの中にしまい込む。
「ふふっ。早く来ないかなぁっ」
なんて、まるで恋する乙女みたいにクッションを抱きしめてクスクスと笑った。
どうでもいいセフレ達に抱かれて過ごす夜よりも、クラブで男漁りしてる夜よりも、ずっと心があったかくて幸せ。
たまには、こんな夜も悪くないね。
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