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「いや~驚いたよ。悪戯かと思ったらまさか千尋君本人だったとは」
「い、いきなりすみません……」
「いいんだよ。本当に嬉しいから。さ、座って座って」
「はい、失礼します……」
深くかぶっていたニット帽を恐る恐る脱ぎながら、ファンレターの差出人、大地さんに促されたソファに腰を降ろす。
相談に乗ってほしい。そう言って呼び出した彼は、22歳の学生さんらしい。
誠実そうな見た目からはAV、しかもゲイ物のそれとは一切かけ離れているようにしか思えないが、実際は俺の一番のファンだと言ってくれ、手紙も毎月欠かさず送ってくれている。
いつも暖かい言葉をくれて、今回の突然の接触にも笑顔で応えてくれた優しい人。
念の為に待ち合わせの場所はRのホテルからかなり離れた駅にしたが、もしかしたらここまで来る途中に誰かに見られていたかも。もしかしたら全部バレているかも。
変な事ばかり考えながら罪悪感と不安にビクビクと縮こまる。悪いのは全部ルールを破った俺の方なのに。
「はい、コーヒー好きなんだよね。どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
口の中に広がる苦味に眉をひそめながらなんとか一口飲み込む。佐伯さんが淹れてくれる大好きなコーヒーが浮かんで。
「それで、相談っていうのは?」
「えっと、その……」
「ゆっくりでいいよ? 何でも聞いてあげるからね」
罪悪感でキリ、と痛んだ胸をそっと押さえた。
――――
「弥生くんねぇ……」
「勝ち負けとかじゃないのは解ってるんです。でも悔しくて、今のままじゃ駄目って焦りが出てきて……」
うんうんと頷きながら話を聞いてくれる大地さんに甘えて、身勝手な本音を全て吐き出す。
「こんな事佐伯さ……マネージャーにも言えないし、頼る人も居なくて……いきなり呼び出してしまい本当にすみません」
「いやいや、謝らないでよ。俺を頼ってくれて嬉しいよ」
頭を下げる俺を制し、ニコニコと微笑んでくれる大地さん。本当に優しい人で良かった。相談しただけで少し気持ちも軽くなった気がする。
すっかり冷たくなってしまったコーヒーを一気に飲み込み、カップをテーブルに戻す。
「弥生くんかあ。デビュー作の一本しか見てないけど、俺もあの子は売れると思ってたよ。顔も可愛いし、男の喜ばせ方も分かってる」
「男の喜ばせ方……、」
「経験と知識とテクニック。全部使ってファンを虜にする。千尋くんとはまったく違うタイプの男優だよね」
確かに俺とは正反対。根本的に俺が追いつける要素なんて無いんじゃないかって、しょんぼりと肩を落とした俺に、大地さんがエールを送ってくれる。
「落ち込まないで。とりあえず千尋君が今出来る事は、この3つを磨いていく事じゃないかな?焦らず少しずつね」
「経験と知識とテクニック……どれも俺には無いや。うん、頑張ってみる……!」
「うん! その意気だ! じゃああとは具体的な対策だね。どうやって磨けばいいと思う?」
「えっと……あっ! AV鑑賞とか?」
佐伯さんから“勉強”として与えられていたゲイビ鑑賞のノルマもついついサボりがちになり、いつの間にかすっかり忘れ去られていた。
よし、帰ったら早速……
そう意気込んで立ち上がろうとしたが、大地さんに手を引かれてふたたびソファに座り込む。
「AV鑑賞かあ……それよりもっと効率良いやり方があるんだけどな」
「何ですか?……っ、んン!」
興味津々で自分から顔を近付けた俺に、濡れた唇を重ねて、舐めるようなキス。一瞬理解出来ずに固まった後、慌てて大地さんの胸を押し戻す。
「ちょっと……、何してっ……!」
「勉強、俺としてみない?」
「ッ……、」
一度破られたルール。
きっともう修復不可能。
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