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「よろしくネ」
「最悪。どしゃ降りじゃん。くそ、ビニール傘でも買って……」
「チヒロ君、車乗ってくー?」
「ひいぃッ!?」
「そんなに驚かないでヨ」
人もまばらな平日の駅前。突然後ろから見知らぬ人に名指しで声をかけられれば誰だって驚くだろ。
え?見知らぬ人、だよな……? もしかして知り合い?俺が忘れてるだけ?
中学生時代の記憶まで引っ張り出しながらぐるぐると頭をフル回転させる俺を見て、目の前のこの金髪さんはにっこりと微笑んだ。
「そんな怪しまないでッ。同業者だヨ~」
「同業者?」
「“MARY”の伊織っついます。よろしくネ。ハイ名刺もドーゾ」
「まりーって、どっかで……あれ、俺名刺あったっけ」
「知ってるからいいよ~。Rのチヒロくんでしょ? お世話になったしぃ~」
慌てて財布を漁り始めた俺に伊織さんはひらひらと手を振る。
お世話になった? 男優さんかな。絡んだことあった? そう言われてもやっぱり俺の記憶の中にはいない。だってこんな派手な人、一度見たら絶対忘れない。緩く着崩したスーツに、きっちりとセットされたド派手な金髪。
混乱している俺に気付いたのか、伊織さんはにこにこと笑う。
「俺は男優じゃなくてマネージャーやってんノ~。そんでお世話になったのは俺じゃなくて結城翼なノ~」
「つば、さ……あっそうだ! MARYって翼が居た事務所!」
どっかで聞いた名前だと思ったらそれだ。思い出した思い出した。
「じゃあ伊織さんって翼のマネージャーさんなの?」
「そー。その節はお世話になりましター」
「いえいえこちらこそ……」
ぺこりと頭を下げる伊織さんに、俺もぺこりと下げ返す。
結城翼。
久しぶりに聞いた名前に胸がざわついたのは一瞬だけだった。
今は俺には佐伯さんが居て、毎日幸せにやってるし。うん、良かった。俺ちゃんと前に進めてるみたい。
「すみません。車乗せてもらっちゃって……」
「いいよーっ目的地同じだしぃ」
乗り込んだ車の中。甘いコロンの香りに包まれる。伊織さんの間延びした喋り方も相まって、ふわふわと心地良い感覚に襲われた。
それを引き戻すようにかけられた伊織さんの声に顔を上げる。
「それよりどお? シュン君とうまくやってる?」
「えっ? シュン君って……佐伯さんのこと知ってるの?」
「オトモダチだよー。昔同じ店で働いてたノ。ホストクラブね」
「そうなんだ……」
「うんっ。もー五年くらい前かなぁ。長い付き合いですネ……で、キミはなんでそんな笑顔なノ?」
「えっ? 俺笑ってた?」
どうやら無意識に緩んでいたらしい頬を慌てて押さえる。
変なこと言った? と、不思議そうに顔を覗き込んでくる伊織さんにぶんぶん首を振って。
「違うの! 嬉しいの!」
「うれしー……?」
「うん。俺、佐伯さんのこと知らないことだらけで。だから、佐伯さんの友達とか昔のこととか……少しでも知れて嬉しい」
「……」
付き合ってるのに変かもしれないけど。
でもプライベートも過去の事も、うかつに踏み込めない空気があって、たまに距離を感じてしまう。
俺がズカズカと何でも聞けば済む話なんだろうけど。
だけど、もし拒絶されたらどうしようって。変な事を考えてしまう。
「……ねぇ、連絡先教えてヨ。オトモダチになろーっ」
「へ……」
「俺も共通の友達って少ないからさァ。一緒にシュン君トークで盛り上がろ?」
「い、いいのっ……?」
恐る恐る聞き返してみれば、伊織さんはもちろん、とにっこり笑った。
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