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「落ち着いた?」
「取り乱しましたすみません……」
「ふふ、本当に怖がりなんだね。最近テレビでもホラー特集とか多かったしねー」
「うう……」
泣きじゃくって真っ赤に腫れた目をタオルで冷やしながら、ソファにぐったりとうなだれる俺を見て、佐伯さんがクスクスと笑う。
「今日はうちでゆっくりしてって」
「うん、ありがとう……」
キッチンに取り付けられたカウンターに座りパソコンを開く佐伯さん。
夜の十一時。
この時間に連絡もせず押し掛けてる時点で既に迷惑極まりないと思うが、せめてこれ以上の粗相をしないようにと、ソファの上で口を閉じる。
「……」
それにしても、凄い部屋。
シンプルな家具だけが置かれた、あまりにも生活感の無さすぎる部屋を見渡してため息をつく。
アヤにひっついてきたから細かくは見てなかったけど、外観も綺麗な高層マンション。リビングだけでもこの広さと、この洒落た造り。いわゆる高級タワマンってやつでは?
そんな所に一人で住んでる佐伯さんって、実は凄い人なんじゃないの?
「っ、」
心にかかるモヤモヤ。打ち消すように冷たいタオルを握りしめた。
「ん、出たね」
「ごめん、お風呂まで借りちゃって」
「ふふ、そんな遠慮しないで」
これまた水垢ひとつ見当たらない広くて綺麗なバスルームを出ると、脱衣場に用意されていた皺ひとつ無い真っ黒なパジャマ。恐らく新品のもの。さらに肌触りからして結構高そうなもの。
なるべく引きずらないようにしながら恐る恐るリビングを歩く。
「なんか飲む? この時間にコーヒーは駄目だから紅茶とか……」
「い、いやっ、俺勝手に押しかけてきちゃっただけだし、佐伯さんは自分の作業してていいから!」
様々な種類のグラスが並ぶ大きな棚から、ティーカップを取り出そうとする佐伯さんの手を掴んで止める。
が、そのせいで自分の手がかすかに震えている事がバレて、逆に掴まれてしまう。
「千尋まだ怖い? あーごめん、やっぱ風呂一緒に入れば良かったね。待ってて、照明もっと明るくするわ」
照明のリモコンに手を伸ばす佐伯さん。慌てて引き止めれば、首を傾げてこちらを見つめる。
「ち、違うの、そうじゃなくて……佐伯さんが……」
「俺……?」
「あ、のね、俺佐伯さんの事……知らない事が多すぎて、それ考える度に悔しくて、悲しくなるの」
「……」
この家に来てから。いや、佐伯さんと結ばれた日からずっと俺の心に影を落とすモヤモヤ。
押し黙ってしまった佐伯さん。恐る恐る顔を上げてみれば、眉根の下がった悲しそうな瞳と目が合って。
自分の失言を取り消そうかとも思ったが、少し考えてから意を決して続ける。
「佐伯さんの家も本当はずっと前から来てみたかったんだよ? 今回の流れはちょっとアレだったけど……でも今日ここに来れて本当に嬉しかった。佐伯さんの私生活とか、ちょっと覗けるかなって思って」
「……」
「でも、ここには、俺の知ってる佐伯さんは居なくて、そしたら、なんか、もう……佐伯さんが遠い存在に感じる……」
見えない壁はずっと消えなくて。
これ以上佐伯さんに近付くことは出来ないんだ。
かなしい、くやしい、
「……ごめんね、泣かないで」
「……っ、」
溢れてくる涙を優しく掬われ、濡れた目元に唇が触れる。
「ごめんね。俺昔から人と距離置く生き方してて……、苦手なんだ。自分のプライベートな部分を見せるの」
俺の手を握りながら、ぽつりぽつり、ゆっくりと言葉を繋げる佐伯さん。
「でも俺は、千尋と二人でいる時が一番楽しいし、幸せだし、凄いラクなの。それが本来隠してるプライベートな部分だよね、うん」
自分の事なのに、そう感心したように頷いて話す佐伯さんが可愛くて、思わずくすりと笑みが零れる。
どこか人間らしさが欠けてる人だとは思っていたけど、今の佐伯さんはまるで感情を覚えたての子供みたいで。
「え、そこ笑うとこ?」
「ううんっ、なんでもないっ」
「……ふふ、可愛い、」
「……ン、」
今日初めてキスしてくれた。
嬉しくて緩んだ頬を、やんわりと抓られて叱られる。いつものじゃれあい。いつもの佐伯さん。
「ごめんね。この家に居ると仕事スイッチ入っちゃって、完全にお客様おもてなしモードになってたね」
「そんなのいらない。パジャマもコーヒーも紅茶もいらない」
「そうだね。風呂上がりはパンイチでアイス片手にゴロゴロすんのが俺らの日常だもんね……おいで、」
手招きされ、ソファに腰を下ろす。
「今夜はだらだらお喋りしようよ。千尋が知りたい事何でも聞いて? 出来る限り答えるから」
優しい笑顔にまた泣きそうになってぎゅっと抱きついた。
知りたい事は山ほどある。全部答えてくれるか解らないけど、それでもいいや。
前よりずっとずっと近くなったから、今はこれでいい。
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