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ヘマトフィリア
※流血表現あり
ガシャンッ
「ひいぃっ!?」
突然響いた派手な音で目が覚めた。
何かが派手に割れた音と、千尋の派手で間抜けな叫び声。
思わず吹き出しそうになるのをこらえてキッチンに向かえば、これまた派手にぶちまけられた食器の残がい。
その中心に立ち尽くしている千尋は、今にも泣き出しそうな間抜け面で。
「おはよう千尋」
「ご、ごめん! 佐伯さんにコーヒー入れようと思ったら手が滑って……!」
「ふふ、千尋客なんだからゆっくりしてていいのに。怪我は無い?」
「怪我は無いけどお皿とカップがぁ……!」
「食器なんてどうでもいいよ。動かないで待ってて?」
可愛いな。たかが数枚の食器であんな泣きそうな顔。ウン十万もするアンティーク品が割れた訳でもないのに。
クスクスと笑みを零しながら掃除用具を取りにリビングを出る。
が、すぐに届いた小さな声に、足を止める。
「痛っ……!」
(ああ、コレはやばいな……)
ゆっくり振り返れば案の定、真っ白な破片の上にポタポタと落ちる真っ赤な鮮血。
どくり、
奥底で疼いた“何か”に気づかないフリをして千尋に駆け寄る。
血に濡れる指先を取って、カウンターに置かれたタオルで押さえれば、更に泣きそうな顔になる千尋。
「こら、動くなって言ったのに」
「ご、ごめん」
「結構ザックリいったね。痛くない?」
「うん、痛くはないけどなんかもう何から何までごめんなさい……絆創膏とかある?」
千尋の声が遠くに聞こえる。
視界に入った指先の赤が脳裏に貼り付く。
足元にも、数滴の赤。
綺麗な綺麗な、千尋の、血。
「佐伯さん? あの、絆創膏って……」
「……」
「……? ねぇ、どうし……っ!」
タオルをゆっくりと開き、赤い血が伝う指先を唇に近付け、優しく舐めとる。
反射的に逃げようとした手をキツく掴み、そのまま口に含む。
「さっ、佐伯さんっ!? ちょっ、何して……」
舌に広がる血の味。鉄の匂い。千尋の血。
ほら、やっぱり千尋の血は美味しかった。だってこんなに大切で、可愛くて、愛しくて、大好きな千尋。
ああ、俺もう駄目だ。
「ごめん、」
「へ……? わっ、」
床に散らばった食器の破片もそのままに、千尋を抱きかかえて寝室へ運ぶ。
ごめんね、二度目のお姫様抱っこも俺のせいでムードぶち壊しになっちゃった。
事態が飲み込めず混乱したままの千尋をベッドに乱暴に降ろし、その勢いで押し倒す。
「わっ、ちょっと佐伯さっ……んむぅっ、」
「……」
「んっ、ふぁ、んんッ……」
ああ、失敗だった。
黙らせる為にしたキスだったけど、絡む舌と唾液のせいで血の味が薄れてしまう。
このままじゃ、全部消えてしまう。
唇を離して千尋の手を取るが、もう血は止まっていて。
「……クソッ、」
小さく舌打ちしてから、そのかすかに血の滲む傷口に、無意識に爪を立てた。
「なに、い、たい……っ!」
「ちゅ……、ン……」
「い、痛いよ……っ、佐伯さん、やめっ、」
必死に抵抗する身体をしっかりと押さえつけ、何度も何度も傷口を抉る。何度も何度も血を吸い出す。
足りない、足りない、こんなんじゃ足りない、
「やめっ……っ、……え……?」
「……」
「さ、えきさん……、それ、なに……」
ベッドサイドに隠したナイフ。
恐怖に歪む千尋の顔は、今の俺には見えていなくて。
さあ、どこを切ろう。どこでもいいか。綺麗な千尋だから、どこを切っても綺麗な血が流れ出す。
甲高い耳鳴りと頭痛でぼんやりと膜がかかった頭の中。ただ千尋の笑顔だけを思い浮かべてナイフを振り上げた。
「ま、待って、嘘、でしょ……? 佐伯さん……こわい、からっ……」
やっぱり首にするね。綺麗な千尋の、一番綺麗な姿が見れる場所だから。大丈夫だよ。俺が全部飲んであげるから。大好きな千尋の血液。一滴も無駄にはしないから。
「や……めて、佐伯さっ、やめ……っ……千紘ッ!」
「っ……!」
振り下ろしたナイフは反射的に軌道を変え、千尋の肩を掠めシーツに突き刺さる。
綺麗な肌からじわりと鮮血が滲む。
「……ふっ、う、あっ……」
千尋の目からボロボロと溢れる涙。
その恐怖で染まった瞳は真っ直ぐに俺を見ていて。
「あ……、」
一気に力の抜けた手から、ナイフが滑り落ちた。
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