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「は? 竹くんとヤりたくない?」
「うん。撮影は他のスタッフにして」
「なんで竹くんじゃ駄目なの?」
「アヤにもわかんないよ。なんか緊張、するから……、」
顔を真っ赤にして俯いたアヤに、佐伯千紘史上最高に苦い顔をする。
俺も千尋とくっつく前まで……いや、くっついてからもギャラリー達には散々振りまいてきた物だが、いざ自分がギャラリーの立場になるとわかる。
このピンク色の空気、心底うざい。
「それさあ、お前多分竹くんのこと好……、」
「佐伯さんストップ。アヤ、緊張って? どんな感じなの?」
「ちいちゃん。どんなって……んっと、んーっと……」
「ゆっくり整理しよ? 待ってて。ココアいれてきてあげる」
「うにゃー……」
頭を抱えながらテーブルに突っ伏してしまったアヤに優しい笑みをこぼしてキッチンに向かう千尋。
なんとなく見送っているとアヤに見えない位置で手招きされ、作業中だった書類もそのままに俺もキッチンに向かう。
「馬鹿なの佐伯さん。アヤの恋を応援してあげようとか思わないの?」
「いや応援も何も……あいつ自分が竹くんの事好きなのも気付いてないじゃん」
「自分の気持ちに気付くのも大事なイベントだよ。少なくとも俺はそうだった」
大事なイベント。手際よくココアを作りながらそう呟く千尋に目を向ける。なんだか嬉しそうな優しい瞳。
「俺は、佐伯さんの事好きって気付いた時嬉しかった。まあ嫉妬がきっかけだったからちょっと辛かったけど、でもそれ以上に幸せだった」
「……うん、」
「それに、アヤには幸せになってもらいたい。だからいっぱい応援して出来る限りの事したい」
「ふふ、そうだね。そうしよっか」
「うんっ」
応援も何も、あの二人もうどうせ両想いだし、それ以前にあの二人がどうなろうが微塵も興味は無いし、それより明日の撮影に竹くんの代役を呼べるかどうかで頭いっぱいなんですけどね。
でも愛しい愛しい千尋が死ぬほど幸せそうに笑うから、俺も笑みをこぼしてぎゅっと抱きしめた。
そのピンク色の空気をぶち壊したのは、アヤの一言。
「ラブラブ中邪魔して悪いけど、それってつまりアヤが竹内くんのこと好きだって言いたいの?」
「…………」
さようなら、大事なイベントさん。
「無理。ありえない」
「えっと……何が無理なの……?」
「全部だよ全部。アヤが恋愛してんのも、その相手が竹内くんってのも全部無理。ありえない」
きっぱりと言い切ったアヤに、思わず千尋と顔を見合わせて苦笑い。
でもまあ確かに、自他共に認めるビッチのアヤが一人の男に落ち着くのは想像出来ない。
「お前が男作んのって伊織以来? てか伊織としか付き合った事無いっけ?」
「えっ。アヤと伊織さんって付き合ってたの!?」
「……昔の話だよ。アヤが15歳の時だもん」
知らなかった、と目を丸くして呟く千尋。
Rが出来る前は俺と伊織と竹くんは同じホストクラブで働いていて、アヤもその頃から交流があった。
だがアヤは人に自分の過去を絶対に話そうとしないから、俺もそれ以上の詳しい事を話すことはしない。
千尋がアヤに作りたてのココアを手渡す。が、それを受け取る気配は無く、壁に寄りかかって腕を組んだまま、ぼんやりと何かを考え込むアヤ。
「アヤ? どうしたの?」
「ん。ちいちゃんごめん。ちょっと出かけてくる」
「えっ?」
「おい、午後の撮影は?」
「気分乗らないから行かなーい」
こちらの問いに、ひらひらと手を振りながら部屋を出ていく小さな背中。
「ふふ、多分大丈夫だよ」
静かに閉まるドアを不安そうに見つめる千尋の頭をポンポン、と軽く撫でた。
***
竹内くんは好き。
顔も良いしえっちも上手いし。馬鹿みたいに優しいし、一緒に居て心の底から笑顔になれる、安心出来る居場所。
過去のことも精神的に不安定なことも、何でも隠して生きてるアヤが全部をさらけ出して話せる、たった一人の大事な存在。
大切に愛されている彼女の事を考えると羨ましいなって思う。あと、ちょっとずるいって思う。
おかしくない? おかしいよ。
アヤが人を好きになるなんて、すっごくおかしい。
「何ソレー。のろけに来たンならお引き取り願いマース」
「ちっ、違うもん。これ、この前伊織に貰った媚薬クッキーのお礼」
「わァ。いちごのショートケーキっ。ダイスキ!」
子どものような笑顔で上機嫌にキッチンに消えていく後ろ姿を苦笑いで見送りながら、ジャケットを脱いでソファに座る。
変わらない。
伊織の家に来たのは久しぶりだけど、生活感のない殺風景なインテリアも、甘い甘いコロンの香りも。初めてここに来た時から、何もかも一切変わらない。
それは伊織自身も同じ。
派手な髪色も、ルーズな性格も、間延びしただらしない口調も、何も変わらない。あの頃のまま。
だから、アヤは何度もここに帰ってくる。
「媚薬の効果はどうだっター?」
「んにゃ、最高だった。ちいちゃんは自分じゃなくて佐伯さんに使ったんだって。もったいないよねー」
「ふふっ。アヤ相変わらずビッチー」
「……」
テーブルに差し出されたケーキとココアをぼんやりと見つめる。
アヤはビッチ。
そんなの分かりきった事だし、なんなら最高の誉め言葉だったのに。今は心臓がズキズキする。
「……竹内くんの彼女ね、子どもの頃からの夢が花嫁さんになることなんだって。だからまだ正式にプロポーズした訳じゃないのに、式場とか指輪のデザインとか、何から何までこだわり抜いてるの」
「竹内クン大変そー」
「うん、プレッシャーもキツいって愚痴ってた。でもね、それ以上にとってもとっても幸せそうだった」
ずっと考えてた。もし、その日が来たらアヤはどうなるんだろうって。
竹内くんが結婚したら、子どもが出来たら。
竹内くんが今僅かにでも向けてくれているアヤへの関心なんか、消えてなくなっちゃう。アヤなんか、ぽいってされちゃう。だって、アヤは女の子じゃないから。
「竹内くんには何でも話せるのに、これだけはずっと言えなかった。怖くて、言えなかった」
本物の女の子と、ニセモノのオンナノコ。
わかってる。好きになる前に同じ土俵にすら立てていないこと、アヤなんかが好きって思っちゃいけないこと、本当はずっと前からわかってる。
こんなあったかくて苦しい気持ち、早く忘れたい。
「女とか男とか知らんケドー、アヤも絶対似合うヨ。花嫁サン」
こんなに思い詰めてるアヤを横目にケーキを口に運びながらさらりとそう言ってのけた伊織。睨みつけるが、伊織にはこんなの効かない。むしろニコニコと楽しそうな笑顔。
小さくため息を吐きながら、さっきから鳴り続けている携帯に目を向ける。
「お仕事ー?」
「……うん、遅刻だけどやっぱり行こうかな」
「悩みは解決したノー?」
「伊織に話したらなんかどうでもよくなった」
クッキーのお礼なんかのために来たんじゃない。全部お見通し。そうニコニコと笑う伊織にため息を吐いてから、しっかりと顔を上げる。
もやもやと身体中にまとわりついていた薄暗い感情が消えて、少し軽くなった身体。
飛び込むようにぎゅっと伊織に抱きついて、胸に顔をうずめる。
「アヤー? どしたのさァー、」
「……伊織、ありがとな。さっさと失恋してまた来るわ」
「ふふ、うんっ。行ってらっしゃイ、綾斗」
「ん、」
ポンポンと優しく撫でられた頭。最後にもう一度だけ強く抱きしめてから、ゆっくりと腕を解く。
伊織は、変わらない。変われない。
初めてアヤが愛した人。
初めてアヤを愛してくれた人。
アヤは、変わる。
何もかも怖いけど、それでも前に進むの。
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