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第三章・冷たい雨が降る3

 その夜、食事を終えたゼロスとクロードは早々に眠りについた。  毎日お仕事のあとは森にブレイラを探しに行くので疲れているのだ。いつも二人はごろんと横になるとすぐに眠ってしまう。  でも今夜のゼロスはうまく眠れなかった。  体はとても疲れているのに何度も寝返りを打つばかり。眠ろうと目を閉じるのに、思い出すのはフレーベ夫人の言葉だった。 『まったく可愛げのないガキだね! 毎日森に親を探しに行ってるようだけど、いつまでそんな無駄なことしてるんだ! あんたらは捨てられたんだよ!』 「ぐっ、ぅ……」  また思い出して、お腹の底から鉛のような塊が込み上げる。  ゼロスは咄嗟に胸を押さえて縮こまった。鉛のような塊はゼロスの胸をぐっと押しつぶして、苦しくなって、呼吸がうまくできない。  鼻がツンとして、視界がじわじわと滲む。 「うっ、うっ、……っ」  ゼロスは漏れそうになる嗚咽を押し殺した。  涙が溢れるまま声を殺す。大きな声で泣いたらクロードがびっくりしてしまう。クロードは赤ちゃんだから、なにも知らないのだ。  フレーベ夫人はまちがっている。いっぱいまちがっている。ゼロスは嗚咽を殺しながら何度も自分に言い聞かせた。  だってブレイラも父上も兄上もゼロスとクロードが大好きだから、絶対に探してくれている。絶対にお迎えにきてくれる。ゼロスとクロードがいないからブレイラはたくさん悲しんでいる。  ゼロスがゴシゴシ涙を拭っていると、ふとクロードの寝言が聞こえる。 「あうー……、あー……、スピー……」  見るとハンカチをむにゃむにゃしながらスヤスヤ眠っていた。  起きている時は怒りん坊のクロードだが、寝ている時は眉尻が下がっていた。時折「ぷー……」と寝息が聞こえていて、それがなんだかおかしい。 「クロード、へんなの」  ゼロスは少しだけ笑うと、クロードのお腹に乗せていたレースのハンカチを直してあげた。  トントン、優しく叩く。ゼロスもブレイラにトントンされると嬉しくなるから、ゼロスもクロードにトントンしてあげた。 「…………ハンカチ、よごれちゃったね」  トントンしながら薄汚れたレースのハンカチを見つめる。  とても綺麗な白いハンカチだったのに、今ではくたびれて、薄汚れて、ところどころに染みが滲んでいる。綺麗にしたくて井戸水で洗っているけれど、以前のように真っ白にはならない。どんなに洗っても少しずつ薄汚れていった。  レースのハンカチをお腹に乗せるとお城のベッドみたいだったけれど、もうお城のベッドみたいではなくなった。  クロードから穏やかな寝息が聞こえて、ゼロスも横になってじっとする。  物置小屋の小窓から淡い月明かりが差し込んでいた。  ゼロスは小窓から月を見上げる。夜空に浮かんでいたのは曲線の美しい三日月。  ゼロスは夜空の月にブレイラの面影を追う。  ブレイラを思い出していると、心がじんわりと温かくなった。ブレイラはゼロスとクロードを見つめる時、琥珀の瞳を甘く輝かせる。ゼロスはその瞳が大好きで、見つめられるととても幸せな気持ちになれるのだ。  暗い物置小屋に優しい月明かりが満ちて、淡い光のなかでゼロスはうつ伏せになって体を丸めた。  まるでブレイラに抱っこされているように、丸く小さくなって、静かに眠ったのだった……。 ◆◆◆◆◆◆  私とハウストとイスラは夜明けとともに出発しました。  地図を頼りに、まず一番近い村から一つずつ訪ね歩きます。 「三歳の男の子と赤ちゃんの男の子を見かけませんでしたか? ゼロスとクロードという名の、黒髪の可愛い子どもと赤ちゃんです」  たくさんの人に尋ねました。  しかし返事はどれも首を横に振るものばかりで、二人の手がかりすら得ることはできません。  早朝から訪ね歩いて幾つかの村を探しましたが、ゼロスとクロードはいませんでした。でも諦めません、陽が沈むまで、いいえ陽が沈んでも探し続けます。 「この村にもいませんでしたね。次の村へ行きましょう」  私はハウストとイスラとともに村を出ました。  次の村にはゼロスとクロードがいるかもしれません。早く次の村へ行かなくては。  私は背中に大きなリュックを背負い、ハウストとイスラとともに森の小道を進みます。  歩きながら周囲をぐるりと見回しました。  初代四界の王の時代、世界は創世期の後期にあたる時代でした。まだ四界を区切る結界もなく、全ての世界が繋がっている時代です。  この時代の四界は私の知っている四界ではありません。  見上げた青空は十万年後と同じ青空だけど、地形も河川もところどころ違っています。見たことがない植物や動物もありました。  もしここにゼロスやクロードも一緒にいてくれたなら、どれだけ楽しい時間をすごせていたでしょうか。  目にするもの全てが初めてで、珍しくて、きっとゼロスはおおはしゃぎして駆け回ったことでしょう。 『ブレイラ、こっちきて! きれいなおはなさいてる!』  お散歩の時、美しい花を見つけるとゼロスはいつも私を呼んでくれます。 『よく見つけてくれました。綺麗ですね、教えてくれてありがとうございます』 『まあね! ブレイラよろこぶとおもって!』  ゼロスが照れ臭そうな笑顔を浮かべていました。  ゼロスは森に遊びに行った時も、木の実や花びらを拾ってきて、お城に帰ってくると『おみやげでーす!』とみんなに配り歩いてくれるのです。 『ちちうえ、どうぞ』  ハウストにはどんぐりを。 『あにうえ、どうぞ』  イスラには木の実を。  二人は苦笑しながらもちゃんと受け取ります。 『ちちうえ、あにうえ、ありがとうは?』  もちろん強制感謝をねだるのも忘れません。  ハウストとイスラはイラッとしてしまうけれど、それでもキラキラした瞳で待っているゼロスに根負けするのです。  二人が褒めるとゼロスは誇らしげに胸を張る。誇らしくなるのはゼロスが父上と兄上に憧れているからでしょうね。  ゼロスは私やクロードにもお土産を配ってくれます。

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