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第三章・冷たい雨が降る9
「ちょっとまってて。おにく、ちっさくしてあげる」
「あいっ」
ゼロスはクロードが食べやすいようにお肉を小さくしてあげる。
ソワソワしながら待っているクロード。今日のお肉はとてもおいしそうな香りがしているので、クロードもいつもと違うと分かっているのだ。
「どうぞ。あ、こっちもおいしそう!」
「あぶ! あー!」
「おいしいね~!」
「ばぶぶっ」
二人はたくさんの料理を楽しんだ。
次から次へとパクパク食べる。クロードもむにゃむにゃモグモグ頬張った。
「きょうのスープ、ぴちゃぴちゃじゃないね。こい~~!」
「あい~~っ」
「あかちゃんはこいのダメなんだけど、きょうはとくべつ!」
「あぶぶ~っ」
今夜のスープは具材がたっぷりで、しかも濃い。いつもの薄いぴちゃぴちゃスープじゃなかった。
こうして二人はおいしい料理でお腹いっぱいになる。
「ごちそうさまでした!」
「ばぶっ」
二人はすべて平らげるとごちそうさまをした。
魔界のお城で食べていたご馳走とは違うけれど、今夜の料理もおいしいご馳走だった。
「おいしかったね。いっぱいたべちゃった」
「あーあー、あぶー」
クロードも料理の感想を言っている。赤ちゃんなのでなにを話しているか分からないが、とても満足そうな顔なのでおいしかったのだろう。
「ぼく、おかたづけしてくるね」
「あいっ」
ゼロスは空になった食器を重ねると物置小屋を出た。
食べ終わった食器は家に返しにいくのが決まりだ。
いつものようにゼロスは家の戸を開けようとしたが、ふと手が止まる。戸の僅かな隙間からレオノーラが見えたのだ。
どうやらレオノーラが来ているようである。ゼロスは声を掛けようとしたが、その前に中から声が聞こえてくる。
「村が襲われたと聞いた時は驚きました。村の方々が無事で良かったです」
「ああ、今思い出しても恐ろしいよっ。あんなおぞましい怪物は見たことがない! 一時は村もどうなるかと思ったけど、ゼロスが村を守ってくれたんだ! あんな小さな子どもなのにスゴイ子だよ!! 驚くほど強いんだから!!」
フレーベ夫人が興奮した口振りで今日の出来事を話していた。
聞いていたゼロスは気分がよくなって、えっへん、胸を張る。
もっと聞いていたくなったので、気配を消して戸の隙間から中を覗いた。
家の中にはフレーベ夫妻の他に、レオノーラともう一人男がいた。兄上のイスラと同じくらいの背丈や年齢だ。でもゼロスが一番気になったのは、兄上と同じ力を感じることである。
レオノーラが男に話しかける。
「イスラ様、今回の怪物は一ヶ月前に森で討伐したものと同じ種類ではないでしょうか」
『イスラ』
その名前にゼロスはドキッとした。
あにうえとおなじおなまえ! とびっくりしたのである。
ゼロスは胸がドキドキする。ゼロスの兄上ではないけれど、同じ名前だったのがなんだか嬉しい。
ゼロスがドキドキしている間も、家の中では大人たちの会話が続く。
「同種のものでしたら村人だけで対処することは難しいでしょう。近隣の村も含めて何人か兵士を配置してはどうでしょうか」
「好きにしろ。配置も任せる」
「ありがとうございます。すぐに手配します」
イスラの許可にレオノーラとフレーベ夫妻はほっと安堵した。
正体不明の怪物が出現したことで村人は不安だったのだ。
こうして怪物の一件はとりあえず片付いた。だが話しは終わっていないようで、レオノーラが申し訳なさそうにフレーベ夫人を見る。
「ゼロスとクロードの里親のことですが、申し訳ありません。もう少し時間をいただけませんか? 必ず見つけてきますので」
「ああ、そのことなら大丈夫。もうその必要はないよ」
「どういうことですか?」
「今回の一件を聞きつけた町の名主様がぜひゼロスを養子に迎えたいと申し出てきたんだよ!! こんな良い話しが舞い込むなんて、あの子はほんとうに幸運な子だ!!」
「驚きました、孤児にそんな良い話しがあるなんてっ。では、弟のクロードも一緒に?」
「それが、赤ん坊の方は養子にできないとおっしゃっていたよ……。でも町の孤児院に入れるように手配してくれるそうだ。町の孤児院ならここよりずっと良い暮らしができる。兄弟は離ればなれになるけど悪い話しじゃないと思うよ?」
「……そうですね。悲しむかもしれませんが仕方ないことです」
「ああ、こればかりはね。でもこんな恵まれた話しは他にないよ、あの二人はきっと幸せになれる。今まで貰われていった孤児を思えば格別な養子先だ。この話しは受けないと勿体ない」
「はい、私もそう思います。こんな素晴らしい話しはありません。ぜひ話しを進めましょう」
レオノーラとフレーベ夫人が嬉しそうに話していた。
聞いていたゼロスは意味が分からなかった。『さとおや』『ようし』、どういう意味だかさっぱりだ。
でも……。
「……ダメ、それはダメ……っ」
ぽつり、思わず言葉が零れた。その声は微かに震えていて、ゼロスの顔がみるみる強張っていく。
分からないことばかりだけど、一つだけ分かったことがある。それは、それはこのままだとクロードと離ればなれにされるということ!
「ダメーーッ!!!!」
バンッ!! 勢いよく戸を開けた。
ゼロスはフレーベ夫人とレオノーラをキッと睨みつける。
「どうしてそんないじわるするの!? ダメでしょっ、ダメでしょ~!!」
「ゼ、ゼロス、聞いてたんですか?」
レオノーラが驚いた顔でゼロスを見た。
そして宥めるようにゼロスを説得する。
「落ち着いてください。あなたとクロードにとって悪い話しではないんです。兄弟が別々になるのは悲しいことですが、しっかり生きていける生活が約束されるんですよ?」
「ぼくとクロードははなれちゃダメなの!! クロードはぼくのおとうとだから、だからっ……!!」
興奮して言葉が出てこない。
怒りがふつふつとこみあげて、目の前が真っ赤に染まっていくようだった。
だってそれはゼロスにとって今までで一番ひどい言葉だったのだ。
やっぱり守るんじゃなかった。だって、レオノーラもフレーベ夫人も村人たちも、ゼロスとクロードを離ればなれにする悪いヤツらだったのだ。
「ッ、やっつけてやる! ぜんぶ、ぜんぶやっつけてやる~~!!!!」
ゼロスの魔力が爆発的に膨れ上がった。
激高したゼロスは攻撃魔法を展開し、レオノーラとフレーベ夫人に向かって発動させようとする。村ごと吹っ飛んでも構わなかった。でもその寸前。
――――ピタリッ。
「えっ……?」
発動する寸前、ゼロスの魔力が強制的に押さえつけられた。
無理やり頭を押さえつけられるように、魔力が力尽くで押しつぶされていく。
「くっ、……うぅ、ちからがっ……」
ゼロスがハッとしてイスラを見る。目が合った瞬間、サアッと全身から血の気が引いた。
イスラから感じる圧倒的な魔力。
「お前、今なにしようとした」
イスラが淡々とした口調で問うた。
冷ややかな目で見据えられ、ゼロスの顔が強張っていく。
しかしゼロスは小さな拳を握りしめる。ここで引いたらクロードと離ればなれにされてしまう。ゼロスはクロードと一緒にブレイラのところに帰るのだ!
「ぼくにいじわるしちゃダメでしょ!! ええいっ!!!!」
ゼロスが勢いよく殴り掛かった。
イスラは片手で拳を受けとめるも、ゼロスが反動を利用して蹴りを入れる。
「えいっ! ッ、もいっかい!」
防御されても体勢を立て直し、素早い動きでイスラの背後に回った。
そしてイスラの背中に飛び蹴りしたかと思うと。
「えいえいえいえいえいえいえいえいえいえいッ!!」
ドドドドドドドドドドッ!!!!
飛び蹴りの勢いに乗ってイスラの背中に連続足踏みの連続蹴りを炸裂した。
渾身の力で連続足踏みするゼロスだが、その顔がしだいに険しいものになる。
だって吹っ飛ばない。それどころかイスラの背中はぴくりとも動かない。
「ぅ、うぅっ~! はやくとんでけ~~!!」
ゼロスは歯を食いしばってイスラの背中に連続足踏みをしたが、――――ガシリッ!! 足首を掴まれた。咄嗟にゼロスは逃げようとしたが。
「わああああっ!!」
ガシャーーン!!!!
投げ飛ばされた。戸を破壊して外へ投げだされる。
ゼロスは地面に叩きつけられるも、すぐに立ち上がって体勢を立て直す。ここで負ければクロードと離ればなれだ。それはダメだ、絶対にダメだ!
ゼロスはイスラに立ち向かおうとする。だが、破壊した戸の向こうからゆっくりとイスラが出てきた。
一歩、一歩とゼロスに向かって歩いてくる。イスラの足元から闘気が立ち昇り、圧倒的な力でゼロスの闘気が制圧される。
「ッ……ぅ!」
攻撃したいのに体が動かない。カタカタと震えて、足が地面に縫い付けられたかのように動かない。
ゼロスは今まで感じたことがない恐怖と絶望に飲み込まれた。
……勝てないっ。今のゼロスでは目の前のイスラに勝てない。
「うっ、うぅっ、うう~~~!!」
ゼロスの瞳に涙が滲み、悔しさに唇を噛みしめた。
目の前のイスラを倒さないとクロードと離ればなれにさせられる。でも勝てないっ、戦闘力が比較にならないほど違っていて、今のゼロスではどうしても勝てないっ。
ゆっくりと近づいてくるイスラにゼロスの幼い顔が恐怖で歪む。ダメだっ、勝てない、ころされる……!
「あうー、あー……」
その時、物置小屋から声がした。
振り向くとクロードが開いた戸からちょこんと顔を覗かせている。
「クロード、あぶないからでてきちゃダメ!!」
ゼロスが声をあげると、イスラもクロードの方に目を向ける。
その様子を見てゼロスは焦った。クロードがイスラに捕まってしまう! そう思ったゼロスは咄嗟にクロードの元へ駆けだした。
「クロード、こっちおいで! ぼくからはなれちゃダメ!」
ゼロスがクロードを小脇に抱えると、クロードも「あいっ」と小さな手でゼロスのシャツを掴んだ。
ゼロスは急いでカバンに持ち物を詰め込む。哺乳瓶もハンカチも、ゼロスとクロードの大事な持ち物だ。
ゼロスはカバンを肩に斜め掛けすると、クロードを小脇に抱えたまま物置小屋を飛びだした。
そしてイスラやレオノーラ、フレーベ夫妻に背を向けて駆けだす。
ゼロスは夢中で逃げた。背後でレオノーラとフレーベ夫人が呼び止めているが、そんなものはゼロスの耳に届かない。聞きたくない。
だって、このままここにいたらクロードと離ればなれにされる。逃げるのは嫌だけど、今は勝てない。
でも悔しくて、遠く離れた場所からイスラを振り返る。
ゼロスはイスラをキッと睨んだ。
「おまえなんか、おまえなんかっ、ぼくのあにうえにえいってされちゃえ! ぼくのあにうえは、おまえなんかよりずっとつよいんだから!! う、ううっ、うわあああああああああああん!!」
ゼロスはそう怒鳴ると、泣きながら走った。
悔しくて、悲しくて、大粒の涙が次から次へと溢れてくる。
でも今は拭うこともできず、クロードを小脇に抱えて無我夢中で逃げた。
兄上と同じ力を感じたけれど、同じ名前だけど、あいつは兄上じゃない。
ゼロスの兄上は怒ると怖いけど優しいのだ。たくさん構ってくれるし遊んでくれる。
兄上に会ったら、あいつにいじわるされたことを話そう。そうすれば兄上はプンプン怒って、えいっとやっつけてくれるはず。あいつなんか、兄上にやっつけられてしまえばいいのだ。
こうしてゼロスとクロードの村での生活が終わる。
森に飛び込んだゼロスとクロードは、また二人きりで暮らし始めるのだった……。
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