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第四章・木漏れ日の場所3
「あぶー、あー、ばぶぶっ」
クロードはミルクを飲み終わるとお友達の子魚とおしゃべりしていた。
一方的におしゃべりしているだけだが、子魚は黙って話しを聞いてくれるので気分がいい。
「……あう?」
だが、ふと気付いた。いつもなら用事を終えたゼロスが呼びに来るのに、いつまでたっても呼ばれない。
不思議に思ってきょろきょろしたクロードだったが。
「っ!?」
抱っこ紐が放置されているのを見つけてしまった。抱っこ紐はクロードを運んでくれる便利なアイテムである。
クロードはハイハイで抱っこ紐のところへ行くと、ゼロスを探して洞窟内を見回した。
ここはゼロスとクロードとお友達の子魚のおうち、だからどこかにいるはずだ。クロードはいつもゼロスを見ていたのだから。
だが。
シンッ……とした洞窟内。
その瞬間、クロードの全身からサアッと血の気が引いた。ゼロスがいない!!
「あぶ!? あぶぶっ!?」
きょろきょろ探すけど洞窟にゼロスがいない。
ハイハイであっちへ行ったりこっちへ行ったり探すけど、それでも洞窟にゼロスがいない。
「あう、うっ……、あう~~っ……」
クロードは焦った。
洞窟中をハイハイでうろうろし、見つからないゼロスに焦りと恐怖が膨らんでいく。
クロードの黒い瞳がじわじわと潤みだした。
「あ、あう~、あう~……、うっ、ううっ……」
いつも不機嫌そうだったうなり声が今は不安げなものになる。
クロードはハイハイの体勢からよろよろと崩れ落ち、「うぐっ、うっ、うっ」と地面に泣き伏してしまったのだった……。
ゼロスは木の実を採ると洞窟に戻ってきた。
ポケットいっぱいに木の実が採れたから、今日はおやつをたくさん食べられる。
今からおやつを持ってクロードとブレイラ探しに出発だ。
しかし戻ったゼロスはギョッとした。
だって洞窟の真ん中で赤ん坊がうつ伏せに寝そべってぷるぷる震えていたのだから。
「クロード、なにしてんの?」
「ばぶっ!?」
クロードがガバリッと顔を上げた。
目が合った瞬間、クロードの黒い瞳からぽろぽろ涙が零れだしたかと思うと。
「あぅっ、ううっ、うああああああああああああああああああ!!!!」
「わああっ、クロード!?」
シャカシャカシャカシャカシャカシャカ!!!!
クロードが猛烈なハイハイで突進してくる。そのうえ雄叫びのような泣き声をあげながら、鼻水を垂らして泣きながら猛烈ハイハイ。しかも片手には抱っこ紐を掴んで引きずっている。
クロードは泣きながらゼロスのところへ猛烈ハイハイをすると、勢いのまま足にしがみついてわんわん泣き出した。
「うあああああああああ!! あああああああああああ!!!!」
「ど、どうしたの? どうしてなくの? ないてたら、わかんないでしょ?」
「あああああああああああああああああ!!!!」
「えぇ……」
絶叫泣きにゼロスは困惑してしまう。
がむしゃらにハイハイする姿も、必死の形相で泣く顔も初めて見たのだ。
クロードはいつも気難しい顔をして、不機嫌そうに「うー」とうなっているのだ。涼しい顔でむにゃむにゃハンカチをしゃぶって、ゼロスに「あー、うー」と小言らしきものを言っている。
それなのに今はゼロスの足にしがみついて大きな声でわんわん泣いていた。
しかも泣きながら怒っているようで、ゼロスになにかを訴えている。ゼロスは訳が分からなかったが。
「あう~っ、あう~っ、あああああ!! にーっ、あう~っ! にー! にー! あああああああああっ!!」
「…………うん? 『にー』? クロード、ぼくのこと『にー』っていったの? もしかして、あにうえってこと!?」
ゼロスの顔がパァッと明るくなってニヤニヤ照れ笑いした。
知っている。『にー』は『あにうえ』という意味だ。ブレイラから『ゼロスは赤ちゃんの頃、イスラのことをにーと呼んでいたんですよ?』と教えてもらったことがある。赤ちゃんは兄上のことを『にー』と言うのだ。
「クロード、にーだけど、にーじゃないの。あ・に・う・え、いってみて?」
「ああああああああ! ああああああああああ!!」
「……あの、きいてる?」
クロードの絶叫泣きに掻き消された。
泣きやむ様子がなくてゼロスは困ってしまう。いつものおこりんぼうも大変だが、こうして泣き虫になってしまうのも大変だ。
ゼロスは悩んだが、少しして「そうだ!」と閃いた。
さっそくゼロスはしゃがむと、赤ちゃんのクロードと同じ目線になった。
そう、ゼロスが怒ったり泣いたりした時、ブレイラはいつも地に膝をついて目線を合わせてくれる。優しく見つめてくれて、ゆっくり話しかけてくれる。そうするとどんなにゼロスがカッカッと激昂していても、ブレイラの声は静かに届く。ゼロスの耳から入って、胸の奥まで静かに届くのだ。
ゼロスはブレイラを真似することにした。キラキラした綺麗な瞳をつくって、優しく話しかけてみる。
「クロード、ないちゃダメでしょ? どうしてなくの?」
「ッ、うあああああああああああああああああああ!!!!」
「わあッ!」
力いっぱい絶叫泣きをされてしまった。
クロードは涙をぽろぽろ零して、鼻水なんて顎までだらだらだ。
ゼロスは「……ブレイラみたいにしたのに、どうして」と首を傾げる。せっかく瞳をキラキラさせたのにブレイラみたいにできない。
「あう~~っ、あう~~っ、にー、うぅっ、ああああああああああっ!!」
「わかったから、もうなみだふいて? ハンカチかしてあげるから」
ゼロスはハンカチでクロードの目元をふきふきしてあげた。ついでに鼻水もふきふき。
しばらくしてようやくクロードも落ち着いたのか、ゼロスの手からハンカチを受け取ると小さな手でぎゅっと握りしめる。まだ「うぐっ、うぐっ」と嗚咽は止まっていないが、ハンカチを握りしめていると安心するようだ。
「どうしてないてたの?」
「…………あいっ」
クロードが持っていた抱っこ紐をゼロスに差しだした。
これはゼロスがクロードと一緒にいる為の必須アイテムだ。
差しだされた抱っこ紐。それを見てゼロスの胸がドキドキした。だって、その理由は一つ。
「もしかして、ぼくがいなくなったとおもったの? だから、だからいっぱいないちゃったの?」
「うぐっ、うぐっ、……ひっく」
クロードが嗚咽を漏らしながらも、じーっとゼロスを見ている。
この視線には覚えがあった。
村の井戸で落としたパンを洗っていた時に感じた視線。戦って負けた時に感じた視線。それはふとした時にゼロスが感じていた視線だ。
もしかしたら、クロードはゼロスを追いかけて側まで来ていたのかもしれない。それだけじゃない、食器を返しに物置小屋を少し離れる時も、ニワトリに餌をあげていた時も、他にも気付かなかっただけでクロードはずっとゼロスが見える場所まで追っていたのかもしれない。いや、きっとそうだ。
「……そっかあ。ごめんね、ちょっとおやつとりにいってただけなの」
「あう~~。うぐっ、あーっ、……ひっく、あぶぅーっ」
クロードは怒って文句らしきものを言った。
でも嗚咽混じりで、涙で目が真っ赤になっている。プンプン怒っているのにちっとも怖くない。
ゼロスはクロードをじっと見つめる。
ゼロスは今までクロードはなにも分かっていないと思っていた。こんな状況になってしまったことも、ブレイラたちがいないことも、なにも分かっていないと。だってクロードはまだ赤ちゃんだから。
赤ちゃんだから何も分からない。だからゼロスが守ってあげて、ブレイラたちのところに連れていってあげないといけない。そう思っていた。
でも、そうじゃなかった。
クロードはいつも気難しい顔をしてるし、あまり泣かないし、それどころかおしゃべりは小言みたいだし、おこりん坊だし、あんまり可愛くない。初めてミルクを飲ませてあげた時はブッとされたし、ちっとも可愛くない。ブレイラは『クロードは可愛いですね。怒った顔も可愛いですよ?』と言っているけれど、ぜんぜん可愛くない。
そんな分かりにくいクロードだけど、そうじゃなかった。
クロードもずっと、ずっと不安だったのだ。
ゼロスが『今はクロードと二人きりの家族』と思っていたように、クロードもゼロスと二人きりだと分かっていたのだ。だからずっとゼロスが見える場所にいた。ハイハイでゼロスを追いかけていた。
「ごめんね、こんどからちゃんというから。だいじょうぶ、ひとりにしないから」
「…………あいっ。……ぐすっ」
「うん、だいじょうぶだから」
ゼロスはだいじょうぶとクロードに言い聞かせた。
だいじょうぶ。だいじょうぶなのだ。必ずブレイラに会えるから。ブレイラはゼロスとクロードを見つけて、必ずお迎えに来てくれるから。
ゼロスは自分の首にかけていたペンダントを外す。ブレイラから贈られた祈り石のペンダント。ゼロスの自慢の宝物だ。
「クロード、これかしてあげる。ブレイラがまもってくれるの」
これはゼロスのだけどブレイラはクロードも大好きだから大丈夫。まだクロードのペンダントはないから貸してあげよう。クロードは家族だ。
ゼロスはクロードの首にペンダントをかけてあげた。
「あぶ、あー」
クロードは首にかけられたペンダントをしげしげと見つめる。
小さな手で祈り石を握りしめた。
「あげるんじゃないの、かすの。わかってる?」
「…………。……あーん」
「わあ、ダメダメッ! ぱくってしたらダメ! ……もう、あかちゃんはなんでもたべちゃうんだから~」
ゼロスは慌ててペンダントを遠ざけた。
クロードが「ぶー」と不満を訴える。
そんな様子にゼロスは呆れた顔になったが、今度はチェーンを短くして口に届かないようにしてあげた。これでだいじょうぶ。
「クロード、どう? そのペンダントいいでしょ」
「ばぶっ」
「それはぼくのだけど、ブレイラがクロードのもつくってくれるんだって。よかったね」
「ばぶぶっ」
「それじゃあ、いこっか。ブレイラさがしにいこ!」
「あいっ」
ゼロスが抱っこ紐を広げると、クロードが装着しやすいように短い手足を動かす。いつになく協力的だ。
こうしてゼロスはクロードをおんぶすると二人で洞窟を出発する。今日もいつものようにブレイラ探しを始めたのだった。
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