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第四章・木漏れ日の場所4
夜の山道を歩き続けて数時間、暗かった山に朝陽が差しました。
木々の枝葉から見える朝焼けの空。草花がキラキラと輝いているけれど、色褪せて見えるのは気のせいではありません。今は美しく咲く花すらも色褪せて見えるのです。
私とハウストとイスラはひたすら山道を進みました。この道を数日前にゼロスとクロードも通っている筈なのですから。
太陽が真上に昇った頃、先を歩いていたイスラが立ち止まりました。何かを発見したようです。
「ブレイラ、近くに洞窟がある! どうする、寄ってみるか!?」
「洞窟……」
迷いました。
ゼロスとクロードが先に進んでいるなら寄り道なんてしている暇はありません。でも……。
「ブレイラ、寄ってみよう。それほど遠くないようだ」
「そうですね、何か分かることがあるかもしれません」
ハウストの言葉に頷いて、私たちは洞窟がある方へ向かいます。
そして山道から少し外れた所に洞窟はありました。
「思ってたより大きいな」
「ああ、洞窟の中も広い」
そう言ってイスラとハウストが洞窟に入っていきます。
私も後に続いて洞窟内を見回しました。
洞窟の奥から湧水の小川がちょろちょろ流れていて、とても過ごしやすい洞窟です。きっと多くの旅人がここを休憩場所として使ったことでしょう。
ふと、ハウストが焚き火の跡を見つけました。
「……この焚き火、新しいな。つい数時間前まで使われていたようだ」
「誰かがここにいたということですか?」
「ああ、ついさっきまでな」
「っ…………」
胸がざわつきました。
旅人が使っただけかもしれないのに、もしかしてという気持ちが込み上げてしまう。
少しして洞窟の奥を見て回っていたイスラが驚いた声をあげます。
「ブレイラ、これを見ろ! こっちだ!」
「どうしました?」
イスラに急かされて私とハウストも洞窟の奥に行きました。
そして、そこで目にしたものに目を見開く。だって、そこにあったのはハンカチ。そう、見覚えのあるハンカチです……!
「これはクロードのハンカチですっ! ああ、こっちはゼロスの……!」
私は岩の上に広げて置いてあったハンカチに駆け寄りました。
堪らずに手に取ってその感触を確かめる。この白いフリルのハンカチはクロードがむにゃむにゃしゃぶっているハンカチ。そしてもう一つのレースのハンカチは毎朝ゼロスのポケットに入れてあげているハンカチ。他に何枚かあるハンカチもすべて私が用意しているので間違いないです!
「ここにゼロスとクロードがいたのですねっ……!」
胸の前でハンカチを握りしめました。
握りしめたハンカチがじわりと温かい。まるでゼロスとクロードの温もりのようで、胸がいっぱいになる。ぎゅっと目を閉じると、ぽろぽろと涙が零れました。
「ゼロスとクロードがいますっ。すぐ近くに、ゼロスとクロードが……。今も私たちを探していますっ……!」
「急ごう。二人がここを出たのは今日の朝だ。ならばそれほど遠くに行っていないはずだ」
そう言ったハウストに私とイスラは頷きました。
会えるっ。もうすぐゼロスとクロードに会えるのです!
私たちはすぐに洞窟を出ました。
ゼロスとクロードを探そうと一歩踏みだした、その時。
――――ドオオオオオオオオオン!!!!
「え……?」
突然の爆発。
山の渓谷から土埃がもうもうとあがっている。ここからそれほど離れていない渓谷で大きな爆発が起こりました。
「ど、どうして爆発なんかっ……」
嫌な予感に背筋が冷たくなりました。
村を出る前、『人間と魔族の戦いが始まる。山にも大規模な罠が仕掛けられている』と忠告されたのです。
「ハウスト、この爆発は、まさかっ……」
「ああ、おそらく罠が発動した」
「ッ、ゼロス! クロード!!」
私は堪らずに駆けだしました。
爆発は私たちのいる洞窟から目と鼻の先。もし、もしゼロスとクロードが巻き込まれていたらっ……!
すぐに駆けだした私の隣にハウストとイスラが来てくれました。二人も一緒に走ってくれる、ゼロスとクロードの元へ。
私は走りながら右隣にいるイスラを見つめます。
「イスラ、勝手にごめんなさいっ」
「気にするな、ブレイラならこうするって分かってた。それに言っただろ、ブレイラはゼロスとクロードのことだけ考えてろって」
「イスラっ……。ありがとうございます!」
私は頷いて、次にハウストを見ました。
いつも無謀をする私にハウストは呆れているでしょう。
「ハウスト、……呆れてしまいましたか?」
「ああ、お前には言いたいことがたくさんある。まず不用意に爆心地に向かって走るな」
「ご尤もです。ごめんなさい……」
私は謝りました。
でも走るのはやめません。真っすぐに爆心地である渓谷に向かいます。
ハウストとイスラもそんな私を止めることなく一緒に走ってくれる。それって、私と同じ気持ちだからですよね。
ハウストは前を睨み据えました。
「ブレイラ、走れ! 俺とイスラがお前をゼロスとクロードのところへ連れていく!」
「はいっ!」
私は拳を握りしめ、更に早く走ります。
今はゼロスとクロードのことしか考えません。二人を迎えに行く為だけに走ります。
私の横を走っているハウストがイスラに目配せしました。
「イスラ、来るぞ」
「ああ」
イスラは頷くと剣を出現させました。
ハウストも大剣を出現させて身構えます。
渓谷に近付くにつれてぴりぴりした緊張感が高まっていく。ガサリッと木々が揺れた刹那。
ガキイィィンッ!!
「ギャアアア!!」
「ぐああッ!」
「うわあああああ!!」
ハウストが大剣で一閃し、木陰から襲ってきた三人の兵士を薙ぎ払いました。魔族の兵士です。間髪入れずに別方向からも人間の兵士が襲ってきましたが、ハウストは素早い動きで撃退しました。
魔族と人間の兵士が入り混じって襲ってくるのは、ここで私たちが侵入者として見られているから。ここにいる全てが私たちの敵なのです。
私の側を走っていたイスラも光の矢を出現させて空に向かって放つ。上空で一本の矢が何百本もの矢になったかと思うと、光の雨のように地上に降り注ぎます。
ドドドドドドドドドッ!!
地面に光の矢が突き刺さると隠れていた魔法陣が浮き上がって爆発する。それは特殊工作魔法陣、別名・トラップ魔法。
トラップが次々に爆発しました。この一帯のそこかしこに特殊工作魔法陣が仕掛けられていて、イスラはそれを発動させて魔法陣ごと消し飛ばしたのです。
爆風の中、私は前だけを見て走り続けました。
渓谷に近付くにつれてトラップ魔法も武装兵の襲撃も増えていきます。でもそんなものは私の視界に入りません。だってハウストとイスラは私を連れていってくれると言いました。ゼロスとクロードのことだけを考えろと言いました。
ならばトラップも武装兵の襲撃も私が気にすることではないのです。
こうして私はハウストとイスラとともに真っすぐ進みます。鬱蒼と生い茂る草木を掻き分けて視界の開ける場所に出る。
そこは渓谷でした。でも今、目の前に広がった光景に息を飲む。
「な、なんてことをっ……」
愕然としました。
岩肌がむき出しの深く広い渓谷。でも今、巨大な岩石が渓谷を埋め尽くしている。トラップ魔法の発動で渓谷の岩肌が爆破され、大量の岩石が崩落したのです。
全身が震えるほどの光景に愕然とする中、武装兵の怒声が耳に飛び込んでくる。
「急にトラップが発動しやがった!」
「子どもが巻き込まれてたぞっ……」
「そんなのは後回しだっ、それより被害報告を急げ!」
「畜生ッ、発動が早すぎる! 計画は台無しだ!」
「あ、ああっ……! ッ、ゼロス!! クロード!!」
聞いた瞬間、崩落した岩石に向かって駆けだしました。
「ゼロスっ、クロードっ、ゼロス! クロード! お願いです、返事をしてください!! ゼロス、クロード……!! うあっ、あああああああああッ!!」
二人の名前を叫んで巨大な岩石を何度も叩く。
この岩石の下にゼロスとクロードがいるっ。信じたくない現実に狂ってしまいそうっ……!
「ブレイラ、落ち着け!」
背後からハウストに止められました。
でも振り払って何度も岩石に飛びつき、叩いたり押したりを繰り返す。見上げるような岩石はびくとも動きません。でも、この下のどこかにゼロスとクロードがいるのです。
「止めないでください! 早くゼロスとクロードを助けてあげないとっ。……うぅっ、ゼロス! クロード! ゼロス!! クロード!!」
私は何度も呼びかけました。
早くゼロスとクロードを助けてあげたい。二人は必ず生きていますっ。この積みあがった巨石の下で、今も私を待っています!
「動くな! お前たち何者だ!」
私たちの周りに武装兵たちが集まりだしました。
あっという間に囲まれて剣を向けられます。
この一帯は人間と魔族の兵士が入り乱れる戦場でした。彼らは見慣れぬ私たちを警戒しているのです。
ぴりぴりした緊張感が走る中、ハウストとイスラが一歩前に出ました。
「この世界で目立つことはしたくなかったが、……仕方ない、不可抗力だ」
ハウストがそう言って大剣をひと振りし、その切っ先を武装兵たちに向けました。
その横でイスラも剣を構えて武装兵たちを見据えます。
「ここは俺たちが片付ける。ブレイラは下がってろ」
イスラが私を庇うように立ちました。
私は震える指先を握りしめ、取り囲む武装兵たちを見回します。
今、たくさんの魔族と人間の武装兵に囲まれている。彼らからすれば私たちは正体不明の侵入者。現在、魔族と人間は敵対関係のはずですが、共通の敵の前では肩を並べることもできるのですね。
その光景を前に、私はなんだか笑いが込み上げてきましたよ。
腹の底から沸々と込み上げるような笑いです。だって、笑えるではないですか。
「…………勝手なものです、ほんとうに」
ぽつりと言葉が漏れた刹那、素早く駆けだしました。
イスラの背後から腰に携えた短剣を引き抜いて、その勢いのまま目の前にいた人間の兵士に体当たりする。
ドンッ!!
「うわっ、貴様ッ……!」
咄嗟に兵士が剣を振り下ろすも、キィン! 甲高い音とともに弾かれる。寸前でイスラが剣で兵士の剣を弾き飛ばしてくれました。
兵士はうつ伏せに倒れ、私は背中を膝で押さえつける。そして。
グサッ!!!!
「ヒッ……!」
息を飲む兵士。そう、私は短剣を兵士の首の真横に突き立てたのです。
短剣が地面に刺さり、倒された兵士はみるみる青褪める。
「そのまま動かないでください。私、剣の扱いは不慣れなので間違いが起こるかもしれません」
「は、離せっ……」
「私は動くなと言いました。聞こえませんでしたか?」
地面に突き刺さった短剣を傾けました。
短剣の鋭利な刃が兵士の首元に薄っすらと赤い線を描く。
「ッ……」
「そう、いい子ですね。そのまま大人しくしていてください」
強張る兵士にうっそりと笑いかけました。
私は短剣を突きつけたまま兵士を黙らせると、取り囲む魔族と人間の兵士たちをゆっくりと見回します。
そして彼らを見据えたまま淡々と言葉を紡ぐ。
「聞きなさい。今、私の子どもがこの下にいます。あなた方の所為ですよ」
そう、あなた方が悪いのです。
ゼロスとクロードはなにも悪くない。それなのに、それなのにっ……。目の前が赤く染まっていくようでした。
「今すぐ武器を置きなさい。戦闘を停止し、渓谷の瓦礫を撤去し、私の子どもを救いなさい」
私は命令しました。
魔族も人間も関係ない、ここにいる全ての者への命令です。
しかし兵士たちは騒めいて、剣を構えて敵意を剥き出しにする。
「ふざけるな! どうして俺たちがそんなことを!」
「貴様、今の状況が分かっていないようだな!」
声を荒げる兵士たち。
私は思わず失笑してしまう。
「あなた方こそ今の状況を分かっているんですか? 私はお願いしているのではありません。あなた方を脅迫し、命令しているのです」
卑怯は承知です。ゼロスとクロードの為ならどんなことでもしてやります。
私は人質の兵士に薄く笑いかけました。
「可哀想に、あなた見捨てられそうですよ? でも安心してください。あなたが死んだ後、軍隊は瓦解してすぐに誰かがあなたの後を追うことになるでしょう。軍隊という集団は信頼関係があってはじめて秩序が保たれるんですよね。兵士を見捨てる軍隊がまともに機能するとは思えません。そうですよね?」
軍隊なら秩序は絶対のはずでした。
問うた私に人間の兵士たちが悔しげに黙り込みます。
でもその時、数人の兵士が味方の影に隠れて不穏な動きを見せる。そして、私の死角から兵士が襲いかかってきました。
「舐めた真似してんじゃねぇぞ!」
「調子に乗ってられるのもここまでだ!」
突然の襲撃。でも。
――――ドカッ!! バキッ!!
ハウストが見事な体術で全員殴り飛ばし、兵士の鼻先に大剣を突きつけました。
「悪くない不意打ちだったが、相手が悪かったな」
「クソッ、ただですむと思っているのかっ。貴様らは勇者と魔王を敵に回すことになるぞ……!」
兵士が挑発的に声を荒げました。
その意味に緊張が走る。なぜなら、私たちが四界大戦に巻き込まれるということ。
ここで魔族と人間の戦闘を一時停戦させることは、新勢力として四界大戦に介入したということなのです。
私は唇を噛みしめましたが、不意にハウストが声をあげて笑いました。
「ハハハッ、それは愉快だ! ブレイラ、どうする?」
「えっ……」
ハッとしてハウストを見ると、彼は平然としたまま私に問うてきます。
「お前が決めろ。お前はどうしたい?」
「私は、……」
言葉が詰まりました。
ここで私の願いを口にすれば四界大戦に巻き込まれます。
それは初代四界の王の時代でするべき選択ではありません。
でも、でも、震えそうになる指先を握りしめる。そして。
「私はゼロスとクロードに会いたいです。この先になにがあってもっ……!」
「何があってもか、いい返事だ。イスラ、お前はどうだ」
ハウストは次にイスラを見ました。
私もイスラを見つめ、ごくりと息を飲む。
そんな私にイスラがニヤリと笑いました。
「上等だ。初代四界の王か、相手にとって不足はない」
「イスラ、ありがとうございますっ……。巻き込んでしまって、ごめんなさい」
「謝るなよ。ブレイラは人間界から勇者を取り上げたことだってあるんだ、これくらい想定内だ」
「当たり前です。あなたとゼロスとクロードは、私のすべてです」
そう言って私は目を細めました。
イスラに勇者を辞めさせて、二人きりで逃げたことは今でも後悔していません。私の選択はすべてイスラとゼロスとクロードの為のもの。
「これで決まりだな」
ハウストは楽しげに笑うと、渓谷にいる兵士達を見回しました。人間や魔族など関係なく、ここにいる全ての兵士を。
「この一帯の戦闘を停止しろ、逆らう者は殺す」
ハウストの足元から闘気が立ち昇りました。
爆発的に膨れ上がる闘気。圧倒的な闘気に兵士達は青褪めて震撼し、次々に持っていた武器を置きました。
戦場で生きている兵士だからこそ理解したのでしょう、今、この一帯はハウストによって制圧されたのだと。
◆◆◆◆◆◆
――――時は少し遡る。
ブレイラ達が洞窟に到着する一時間ほど前にゼロスとクロードは洞窟を出発していた。
ゼロスは抱っこ紐でクロードをおんぶし、ブレイラを探しながら山の小道を歩く。
たくさん泣いたクロードの涙も引っ込んで、今はお気に入りのハンカチをむにゃむにゃしている。
よだれでベタベタになったハンカチが時折ぺとりとゼロスの首にあたった。……つめたい。きっとゼロスのシャツまで濡れているだろう。
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