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第四章・木漏れ日の場所5

「……ぼくのおようふく、ぬれちゃうんだけど」 「うー」 「うー、じゃないでしょ」  文句を言ってもクロードは素知らぬ顔でむにゃむにゃしている。  ゼロスは「もう~」とムッとしたが、ハッと顔を上げる。そして素早く木陰に身を隠した。 「あう?」  突然のことにクロードが不思議そうにゼロスを見る。  ゼロスは口の前に指を立てた。 「クロード、しゃべっちゃダメ。しーっ」 「…………。……し」 「そうそう。しーっ」  木陰に隠れたゼロスとクロードは息をひそめる。  そんな二人の近くを三人の武装した兵士が歩いていく。  兵士が遠ざかって、ゼロスはほっと安堵の息をついた。  今日はやたらと武装した兵士を見かける。それは人間や魔族の兵士で、なんだか不穏さを感じさせるものだ。  ゼロスは見つからないように何度も隠れている。もし見つかったら村に連れ戻されるかもしれないからだ。 「もうだいじょうぶ。クロード、いこっか」 「あいっ」  二人はまた山の小道を歩きだす。  しばらく歩くと、山道を抜けて広い渓谷に出た。 「わあ~っ、ひろ~い!!」 「あぶ~っ!」  ゼロスとクロードは歓声をあげた。  森の景色から視界が一気に開けて大興奮だ。 「クロード、いってみよっか!」 「あぶぶっ!」  クロードも黒い瞳をキラキラさせて、短い手足を縮めたり伸ばしたり。とても興奮している。  ゼロスはクロードと一緒に渓谷へ駆けだした。 「わああい! おっきい~! ひろ~い!」 「あぶ~っ、あー!」  渓谷の底から空を見上げると、剥きだしの岩肌が迫るような大迫力。橙色の岩肌の向こうに真っ青な空が見えて、そのコントラストの美しさに胸が高鳴る。  ずっと張り詰めている心が少しだけ緩んだ。 「クロード、おりる?」 「あいっ」 「いいよ、ちょっとだけね」  降ろすとクロードがハイハイで動きだした。  楽しそうにハイハイしたかと思うと、ちょこんとお座りして青い空に向かって小さな両手を伸ばす。 「おー! おー!」 「アハハッ。おー、おー、だって。おっきいね~!」  ゼロスも楽しくなってぴょんぴょんした。  クロードもそれに合わせて上体を跳ねさせる。  子どもは興奮するととにかく体を動かしたくなるのだ。 「クロード、おいかけっこしよ! こっちだよ~、こっちだよ~!」  ゼロスはおすわりするクロードの周りをはしゃぎ回った。  クロードも手をパチパチ叩いて喜んで、一緒にかけっこ遊びをしているつもりになっている。  こうして二人は渓谷の底で無邪気にかけっこ遊びを楽しんだ。ゼロスがまた駆けだそうと一歩踏み出した、次の瞬間。  ――――ピカッ!! 「え?」  突如、足元に魔法陣が出現した。  その魔法陣を中心に、渓谷の岩壁に数えきれないほどの魔法陣が出現する。  これは特殊工作魔法陣。しかし今頃気付いても遅い。  ドドドドドドンッ、ドオオオオオオオオオオオオン!!!!  魔法陣がいっせいに爆発した。岩壁を爆破したのだ。  ガラガラガラガラガラガラ!!!!  爆破された岩石が雨のように降りかかる。 「クロード、あぶない!!」 「あぶぅっ」  ゼロスはクロードを小脇に抱えると、降ってくる岩石を見上げた。そして。 「えいえいえいえいえいえいえいえいえいえいッ!!」  ドドドドドドドドドドッ!!  ゼロスは小さな拳で巨大な岩石を粉砕していく。  渓谷を破壊するほどの巨大な爆発。渓谷を埋め尽くすほどの巨石が次から次へと降ってくる。  ゼロスは抱えたクロードを守りながら岩石を破壊し続けたが、それでもゼロスとクロードの小さな体を覆い隠すように周囲に岩が積みあがる。  それはあっという間にゼロスの背丈より高く積もって、視界を覆っていく。気が付けばゼロスとクロードは僅かな空間に取り残され、積みあがった岩石に閉じ込められていた。  やがて爆発音も聞こえなくなり、岩石が崩落する震動も感じなくなった。  トラップ魔法の発動が終わったのだ。  でも、ゼロスとクロードは暗くて狭い空間に取り残される。閉じ込められてしまった。  巨大な岩石に挟まれた空間は二人がくっついて座るほどの広さしかない。 「…………クロード、だいじょうぶ?」 「あいっ……」  小脇に抱えたクロードがごそごそ動く。  暗くて薄っすらとしか見えないが無事のようだ。 「だいじょうぶ、すぐだしてあげるから。えいっ」  ドゴッ!! パラパラパラッ……。 「うわあっ! ペッペッ……!」 「ケホッ、ケホケホッ……」  頭上の岩を殴って粉砕したら、狭い空間に小石や砂利が舞い散った。  頭から被った砂利をゼロスは慌てて手で払う。クロードのも払ってあげた。  しかも岩石を一つくらい粉砕しても外に出られることはない。頭上には渓谷を埋め尽くすほどの岩石が積もっているのだ。  でもゼロスは怯まずに小さな拳を握りしめる。 「えいえいえいっ!」  ガンガンガンッッ!  近くにある岩石を粉砕した。でも狭い空間にもうもうと砂埃が立ち込めて、ゼロスは慌てて自分とクロードから砂埃を払った。だめだ、この狭い空間で岩石を粉砕すれば、地上へ出る前に砂に埋まってしまう。もしくは崩れて押しつぶされる。  ならばいっそのこと魔力で渓谷一帯を吹っ飛ばしてしまおうかと思った。でも、それもダメだと肩を落とす。ゼロス一人ならともかく、まだ赤ちゃんのクロードを巻き込んでしまうかもしれないのだ。 「どうしよう……」  ゼロスは困ってしまった。  側にいるクロードを見ると、不安そうにゼロスを見上げていた。  そんなクロードは砂埃を頭から被っていて、ゼロスの胸がぎゅっとする。 「ごめんね、きれいにしてあげる」 「あう……」  ゼロスはクロードの頭や顔についている砂を払ってあげる。  あんまり綺麗に出来なかったけれど、赤ちゃんは綺麗にしなければならないのだ。ブレイラが言っていた。  ゼロスはクロードの前にしゃがむ。 「クロード、だいじょうぶ。ぼくが、ここからちゃんとだしてあげるから」 「あいっ……」 「でも、ゆっくりね。いっぱいえいってすると、クロードがぺちゃんこになっちゃうかもしれないの」  ゼロスはクロードに言い聞かせた。  クロードはまだ赤ちゃんだから守ってあげなければならない。  ちゃんと守ってあげて、一緒にブレイラのところに帰るのだ。  ゼロスは周囲を見回すと、岩石の隙間に埋まった土砂を掘ることにした。  ガッガッガッガッ!  指先に力を入れて掘り進む。  暗くて狭い空間で、ゼロスは無我夢中で穴を掘る。  だいじょうぶ、魔界のお城の裏山で穴掘りをして遊んだことがあるからだいじょうぶ。 「あぶ、あー……」  背後からクロードの小さな声がした。  不安そうに響いたそれに、ゼロスは振り返って話しかける。 「ぼくたち、モグラさんみたいだね。モグラさんもこうやってほるの」 「……あう?」 「モ・グ・ラさん。つちのなかにいるんだよ?」  ゼロスはそう話しながら土砂を掘る。  楽しそうな口調をつくって、楽しそうに笑って見せた。  だってクロードはゼロスを『にー』と呼んだ。それは『あにうえ』ということ。  ゼロスのあにうえは強い。いつも前を向いて、どんな困難にも屈したりしない。  ゼロスが見上げるイスラの横顔は力強くて、ゼロスの憧れだ。少しでも近づきたくて、後を追いかけるのに夢中になる。  だから、ゼロスも『にー』になるのだ。  ガッガッガッ!  ゼロスは必死に掘り続ける。時折クロードに「モグラさんみたいでしょ?」と明るく話しかけながら。  こうして無我夢中で掘り続け、どれだけの時間が経過しただろうか。渓谷が爆発した時は明るかったけれど、もう陽が沈んで夜になっているかもしれない。 「だいじょうぶ、もうちょっと、もうちょっとだから。ッ、いたっ……」  ゼロスの指に痛みが走った。  見ると指先の肉が裂けて、爪が割れていた。血が出て真っ赤になっている。  夢中で掘っていたので今まで痛みも感じなかったのだ。  ゼロスはそれでも掘り続けようとしたが、痛みで手が痺れていた。少し休憩が必要かもしれない。  ゼロスが膝を抱えて座ると、向かい合うようにしてクロードもちょこんと座った。  クロードはじっとゼロスを見つめている。きっと本当はクロードも怖いのだ。不安なのだ。でもゼロスを見つめてじっと耐えている。 「クロード、だいじょうぶ。ぼく、つよいの」 「すっごくつよいの。だからだいじょうぶ」 「だいじょうぶ。もうちょっとで、でられるから。だいじょうぶ」  ゼロスはクロードに『だいじょうぶ』と言い聞かせた。何度も言い聞かせた。  指の肉が裂け、爪が割れたけど、だいじょうぶ。  痛みで手が痺れているけど、だいじょうぶ。  少し休めば治るのだ。少し休めば、また掘り進めることが出来る。 「まっててね。もうすぐだから」  ゼロスはそう言うと、また掘り進めようとした。  しかし。 「ぐッ、うぅっ……」  手に激痛が走った。  指を握りしめて全身を震わせる。  ゼロスの小さな手は限界だったのだ。 「あう、あー……」  クロードの声が微かに震えていた。  それに気付いたゼロスはだいじょうぶと宥めようとする。でも。 「だいじょ、ぶ……ッ。うぅっ、……だい、じょ……。ぅ、うぅ、うわああああああああああああああああああん!! だいじょうぶじゃない~~!! あああああああああん!!!!」  ゼロスは泣いた。大きな声で泣いた。  大粒の涙がぼろぼろ溢れて、涙が止まらない。  ずっとだいじょうぶと言い聞かせてきたけれど、もう限界だった。心も体も悲鳴をあげていた。 「うわああああああああん!! あああああああああああああん!!」  血まみれの手が痛い。  寂しくて、苦しくて、心も体も縮こまっていく。縮こまって、硬くなって、壊れてしまう。  もうだいじょうぶじゃないっ。ブレイラに会いたいっ……! 「うえええええええええん!! ブレイラ、ブレイラ~~!!」  抱きしめてほしい。手を繋いでほしい。  ブレイラに会いたい。ブレイラに会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。 「っ……、にー、にー。……うぅっ、うああああああああああああああん!!!!」 「うわあああああああああん!! ブレイラ~~!!」  ゼロスとクロードは暗闇の中で泣いた。  助けてほしくて、見つけてほしくて、迎えに来てほしくて、大きな声で叫ぶように泣いた。 「うぅ、ブレイラ、ブレイラ……! うええええん、ブレイラっ……」  泣いて泣いて、たくさん泣いて。それでも真っ暗で、狭くて、なにも変わらない。  だからゼロスは泣きながら掘った。  小さな指は血まみれだけど、少しずつ、少しずつ前に掘り続けた。 「うぐっ、いたいッ……。うええんっ、いたいよ~っ。ひっく、グスッ……」  いたいいたいと弱音を吐きながら、たくさん泣きながら、それでも掘り続ける。  ぜんぜんだいじょうぶじゃないけれど、それでも前へ前へと掘り続ける。  暗い絶望に押しつぶされて、心も体も悲鳴をあげている。でも、それでもゼロスは信じているから掘り続けた。ブレイラはゼロスとクロードが大好きなのだ。それだけは何があっても『絶対』なのだ。 「うぐっ、ぅっ、……いたいっ。うぅ、……くっ」  ガッガッガッ。  掘って掘って、指の痛みすらも感じなくなった、その時。 「――――どこですか?   ステキな冥王さまは、 どこですか?」  ピクリッ。  ゼロスの指が止まった。  微かに聞こえた呼び声。空耳かと思った。夢かと思った。  だってこの呼び声は、かくれんぼ遊びの時のもの。ゼロスはかくれんぼが上手だからブレイラは見つけられない。でもブレイラはゼロスが大好きだから、どうしても会いたくなってしまう。そんな時、ブレイラはゼロスを呼ぶのだ。  ゼロスはブレイラの声なら、どこにいても、どんな時も聞こえるから。だから。 「――――どこですか? 強くてかっこいい、ステキなっ、ステキな冥王さま……!」  ……聞こえる。聞こえるっ。  ゼロスとクロードに会いたくて、ブレイラが呼んでいる……!  ゼロスの瞳がじわじわと潤み、熱い涙がぽろぽろと零れた。  ブレイラの呼び声がゼロスの耳に届いて、胸の奥に熱を灯して、心臓がドクドクと鳴りだす。痛みを感じなくなっていた心と体に息吹をもたらす。 「……ここですっ。……ここに、います、うぅっ……。ステキな、めいおうさま、……ここですっ……!」  ゼロスは答えた。  声が掠れて、震えて、上手く声が出ない。  でもブレイラの呼び声に必死で答えた。  ゼロスはかくれんぼの時のように手をあげた。血まみれの手をあげて、いっしょうけんめい呼び声に応える。 「ハイっ、ハイ……っ。ここですっ……。ステキなめいおうさま、ここにいます……!」  側ではクロードもぽろぽろ泣きながら「……あいっ、あいっ」と手をあげている。ゼロスの真似をして、いっしょうけんめいここにいると訴えている。  見つけてほしくて、迎えにきてほしくて、ゼロスとクロードはブレイラの呼び声に答え続けた。  すると岩石の向こう側が騒がしくなる。そして、ゼロスとクロードを閉じ込めていた岩石がゆっくりと、ゆっくりと取り除かれていく。  頭上の高い位置にあった岩石がどけられた。  まず夜空が見えた。次に丸い月が見えて、満月の優しい光が差して、そして。 「ゼロス、クロードっ……! 見つけました、見つけましたよっ……!」  見上げた先に、満月を背にしたブレイラが見えた。  泣いているのに、でも微笑んでいる。  ブレイラは涙をぽろぽろ零しながら微笑んで、ゼロスとクロードに向かって手を差し伸べた。  そう、とうとうゼロスとクロードにブレイラのお迎えがきたのだ。 ◆◆◆◆◆◆

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