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第六章・発動のトリガー18

「ハウスト、お疲れ様です! 心配していました!」 「ああ、お前も無事で良かった」  ハウストは側までくると私の背中に手を当て、目元にそっと口付けてくれました。 「怪我はないな?」 「はい、皆が守ってくれました。クロードもこの通り無事でいます。それよりゲオルクはどうでしたか?」 「取り逃がした。だがこんな物を落としていったぞ」  ハウストが拾ったのはブローチでした。ブローチにはなにかのシンボルと思われる紋章が刻まれています。  もちろん私やイスラは初めて目にする紋章でした。  ハウストは初代王たちにもブローチを見せます。 「この紋章に見覚えは?」  オルクヘルムとデルバートと初代イスラからは特に反応がありません。  どうやら初代王の三人は知らないようです。  ハウストは初代イスラの後ろに控えているレオノーラにも見せました。 「見覚えはあるか?」 「存じません」  レオノーラが静かに答えました。  特に変わった様子はありませんでしたが、ハウストはスッと目を細めます。 「妙だな、そんな筈はないんだが。――――そうだろ、リースベット!」  突如ハウストが呼びかけました。  リースベット。それは初代精霊王です。  振り向くと、崖の上にリースベットとジェノキス、他にも側近と思われる精霊族の方々の姿がありました。 「ジェノキス!?」  ジェノキスの姿に驚きました。  手紙の返事もなく、今まで連絡が途絶えていたのです。 「ハウスト、どうしてここにリースベット様やジェノキスがっ。他にも精霊族の方々まで……」 「さっきゲオルクを追っている時に会った。どうやら精霊族はゲオルクを追っていたようだ」 「そうでしたか」  突然のことに驚きました。  そうしている間にも崖からリースベットとジェノキスが跳躍し、私たちの前に着地します。 「ここにこれだけの王が揃っているのに、一人の老人の暴挙も止められぬとは。不意を突かれたとはいえ情けないことじゃ」  リースベットはデルバート、オルクヘルム、初代イスラを流し見て嘲るように笑いました。  挑発に三人が闘気を高めます。しかしリースベットは一触即発の闘気を涼しい顔で受け流してレオノーラを見据えました。 「さてもう一度聞くぞ。このブローチの紋章、そなたに見覚えはあるか?」  もう一度問われてレオノーラの顔が微かに強張りました。  僅かな変化ですが、たしかに狼狽と困惑が窺えます。 「どんな些細なことでもよい、覚えていることを話せ」 「……遠い昔の記憶です。はっきり覚えているわけではありません」 「構わん。話せ」 「…………」  迫るように問われてレオノーラは視線を落として黙り込みました。  そんなレオノーラにリースベットが荒野を指し示します。 「見よ、この荒野の光景を。ゲオルクを野放しにすれば、この光景が全世界に広がるだろう。人間の村や町もただでは済まんぞ? か弱き同族が無差別に惨殺されては、さすがに夢見も悪いじゃろ」  荒野に広がる凄惨な光景。荒野では重傷を負った兵士たちが運ばれていき、怪物が倒されても混乱したままです。片隅では死傷した兵士が並べられ、仲間の兵士たちが嘆いていました。そこには魔族や人間や精霊族といった種族は関係ありません。荒野に出現した異形の怪物は無差別に襲いかかったのです。  レオノーラは荒野を見回して唇を噛みしめる。でもぽつりぽつりと話しだしました。 「…………子どもの頃、村で見たことがあります。村の教会に刻まれていた刻印と同じものです」 「なるほど、それで村は今どうなっている」 「村は、……村は私が子どもの頃に」  レオノーラはそこで言葉を止めました。  困惑とともに黙り込みましたが、ふいに初代イスラが続けます。 「俺が村を滅ぼした。村で生き残ったのはレオノーラだけだ」  淡々と告げられた言葉。  その言葉にシンッと静まり返ります。  皆の視線が初代イスラに集中するなか、レオノーラが庇うように前に立ちました。 「違うんですっ、誤解です! たしかに私の村は滅ぼされましたが、イスラ様が滅ぼしたわけではないんです!」  レオノーラが焦った様子で言いました。  必死に初代イスラを庇おうとしますが、初代イスラは冷ややかな目でレオノーラを見ます。 「俺の親が殺したんだ。同じだろ」 「同じではありません、イスラ様は私がお仕えする大切な主人ですっ。私は一度としてイスラ様に滅ぼされたと思ったことはありません!」  レオノーラはきっぱりと言い切りましたが、初代イスラの目は冷ややかなままでした。  複雑な二人の関係に私も困惑しましたが、ふと呆れた様子のリースベットが割って入ります。 「そんなことはどうでもよい、そなたら二人で片付けよ」 「なんだと?」  あっさりとあしらったリースベットを初代イスラが睨みつけました。  しかしリースベットが気にした様子はありません。 「肝心なのは村とゲオルクの関係じゃ。他に十万年後にも出現しているという異形の怪物と、この時代の世界各地にも出現している異形の怪物のこと。今回のような大規模な襲撃は初めてじゃったが、今までも各地で出現していたのは間違えようがない事実。魔王も勇者も幻想王も目撃したことくらいはあるじゃろ」  リースベットがそう言うと、デルバート、初代イスラ、オルクヘルムも神妙な面持ちになりました。これは肯定。この時代の王たちも、この時代になんらかの異変が起きていることに気付いていたのです。 「これで決まりじゃな、一同が揃ったこの滅多にない機会に情報交換といこうではないか。われらは戦場で会えば殺しあう関係じゃが、異形の怪物の前では敵味方もない。そなたらも情報は欲しているはず」 「いいだろう、俺は賛成だ。異形の怪物とやらのことは把握しておきたい」  まずオルクヘルムが賛成しました。  デルバートと初代イスラも異存はないようです。  思わぬ展開に感心していましたが、リースベットが今度は私を見ました。 「さてブレイラ」 「は、はいっ」  突然声を掛けられて目を瞬く。まさか声を掛けられるとは思っていなかったので内心驚きます。  でもリースベットは深刻な顔を作って続けます。 「聞いていたとおり、これから込み入った話しになる。長くなると思わんか? きっと幼い子どもには耐えられん長さじゃろうな」 「そうですね、長くなりそうですね……」 「そうじゃろう。しかもここは落ち着いて話せるような場所ではない」 「た、たしかに……」  蜘蛛の怪物は倒したとはいえ、その後始末で多くの兵士が行き交っていました。  リースベットはうんうんと頷き、ずいっと私に迫ります。 「そなた時空転移してきた時に十万年後の菓子をたくさん持参したそうじゃな。ジェノキスから聞いたぞ、かなりの大荷物でこちらへやって来たと」 「ゼロスとクロードがいつも食べているお菓子を恋しがっていると思ったので……」 「そうかそうかっ。そうじゃろうな、さすがにこの時代に十万年後の甘く芳ばしい菓子はない! 子どもなら尚更恋しがるじゃろうっ、でもそれは子どもだけであろうかっ!」  リースベットは朗々と語りながら、ちらりっちらりっ、私を見てます。無言の圧を感じるほどに。  …………。  これはもしかして、もしかして……。 「……あ、あの、よかったら、うちに来ますか?」 「そうか!! そこまで言うならぜひ招待を受けよう!! ブレイラが頼むなら仕方ない!!」  リースベットが即答しました。  待ってましたといわんばかりの様子です。そんなリースベットの後ろではジェノキスが「悪い、リースベット様は十万年後に興味津々なんだ……」と申し訳なさそうな顔で私を見ています。  そんなジェノキスに私は小さく苦笑してしまう。  こうしてまたしても思わぬ展開になりましたが、私たち家族は初代王たちを洞窟の家に招待することになったのでした。

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