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第六章・発動のトリガー20

「……うまいぞ」  デルバートが紅茶を一口飲んで答えてくれます。  淡々としているけれど不快に思われてはないようですね。安心して小さく笑いかけると、……スッと目を逸らされてしまいました。  …………大丈夫ですよね、不快に思われてませんよね。面差しがハウストに重なるところがあるけれど、ちょっと分かりにくいところがあります。  そしてデルバートより分かりにくくて面倒くさい人がここには一人。 「……毒なんて入ってませんよ」  初代イスラにそう声を掛けました。  初代イスラはお菓子も紅茶も口をつける様子がないのです。 「俺は遊びに来たわけじゃない」 「…………そうですか」  やっぱり生意気ですね。  控えているレオノーラが焼き菓子を食べようとして……縮こまってしまったじゃないですか。初代イスラの視界の外れでこそこそ食べることになって可哀想に。  私はレオノーラを気にしつつもハウストの隣に腰を下ろしました。  抱っこしているクロードに赤ちゃん用ビスケットを渡しているとハウストが気遣ってくれます。 「ブレイラ、人数が多いから大変だっただろう」 「いいえ、大丈夫ですよ。十万年後からたくさん持ってきて良かったです。ハウストも紅茶のおかわりがあれば言ってくださいね」 「ありがとう」  そう言って笑いかけるとハウストも優しく目を細めてくれました。  他にも十万年後の紅茶と焼き菓子に大満足のリースベットが上機嫌で話しかけてくれます。 「ブレイラ、このような素晴らしい品を感謝するぞ。今日の感動はしっかりと書き記しておく」 「書き記す?」 「趣味で日記を書いておるのじゃ。どんな些細なことも書き記している」 「それは素敵なご趣味ですね」 「まあな、この日記を後世に残すのじゃ」 「精霊王様の書き記したものは後世の宝になります。それは子孫の方々の助け」 「子孫どもが私のただの日記をありがたがるなんて、想像するだけで笑えてたまらん」 「えっ…………」 『助けになります』と言いたかったのですが、……どうしましょう。思っていたのと違います。  しかもリースベットはとても愉快そうに続けます。 「ただの日記を重大な禁書に紛れ込ませて残してやるのじゃ。右往左往して手に入れた禁書に普通の日記が混じっていて、クククッ、……ダメじゃ、笑ってしまうっ! きっと子孫の連中は大真面目に解読しようとするぞ!」  …………。  ………………ど、どうしましょう。今頃、十万年後ではフェリクトールや学識者や司書官など、たくさんの方々が禁書の解読作業を進めているのですから。  リースベットの後ろに控えていたジェノキスを見ると、「……俺たちの初代、こういうとこあるんだ」と複雑すぎる顔で苦笑していました。 「さて、今日は記録に残すことがたくさんありそうじゃ、禁書として残しておくべきことが。まずは異形の怪物のことじゃが、われも一度遭遇して戦ったことがある。それはクラーケンという名のようだ。そうじゃな、ジェノキス」 「ああ、あれは間違いなくクラーケンだった」 「クラーケン!?」  驚いて声をあげました。  私が初めて『クラーケン』に遭遇したのはまだハウストと婚約する前、人間界のモルカナ国に行った時のことです。  緊張が走る中、話しを聞いていたゼロスがハッとして顔をあげました。 「ぼくもしってる! ぼくも、さっきみたいなのとたたかったことある!」  ハイッ、ハイッ、と手をあげて主張するゼロス。  それには私も覚えがありました。ゼロスとクロードを探している時に『幼い子どもが村を襲った怪物を倒した』という噂を聞いたのです。 「それはクロードと二人で村にいた時のことですね。どんな怪物だったか覚えていますか?」 「おぼえてる! ぼく、はじめてみたからびっくりしたの。えっとね、こんなのだった」  そう言ってゼロスは小枝を拾うと地面に描き始めます。  どんな異形の怪物が出現したのか気になってゼロスの手元を覗き込む。ハウスト、イスラ、初代王の四人、ジェノキス、レオノーラも気になっていたようで覗き込みます。  こうして大人たちが真剣な顔で注目する中、ゼロスも真剣な顔でお絵描き。 「こうで、こうで、……えっと、あたまはこんなで、あしはこうなってて。うしさんをポイポイッてしてるの」  ゼロスは真剣です。真剣ですが。  ………………。  ……………………。  ………………………………。  なんとも言えない空気が漂いだします。  ゼロスの手元に注目していた大人たちの顔が、お絵描きが進むにつれて居た堪れないものになっていく。  怪物の正体が知りたくて注目してみたものの、そこに描かれていたのは大きな丸に四つの棒が突き刺さった絵……。  ゼロスはまだ三歳。冥王だけどまだ三歳。  お絵描きが大好きなゼロスは私をよく描いてくれますが、画用紙に描かれた私は丸に四つの棒が突き刺さってます。たまに手足の数を間違えて棒が五つになっているくらい。  そう、ゼロスは冥王ですが絵心は年相応なのです。 「できた~! じょうずにできた~!!」  ゼロスがぴょんぴょんしました。  クロードも「あいっ、あいっ」と地面の絵を指差して教えてくれる。赤ちゃんのクロードにはちゃんと異形の怪物に見えているようです。  またしても、どうしましょう……。ゼロスは誇らしげに胸を張って、クロードも当たり前のように指差している。それはとても微笑ましいけれど、でもね、でもね、私たち大人からするとこれはただの丸と棒なのですよ……。  ――――コホンッ。リースベットが咳払いを一つ。  リースベットが何ごともなかったようにゼロス画の怪物から目を逸らしました。まるでそう、幼児のお絵描きに真剣に注目した恥ずかしい事実をなかったことにするように。

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