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第六章・発動のトリガー28

「ハウスト、よく聞いてください。今ここは戦場のようなもの。いつ異形の怪物が出現してもおかしくありません。違いますか?」 「違わない。違わないが、あそこにいるのは初代魔王と剣士だ。問題ないだろ」 「そうですね、あなたの言うとおりです。怪物が現われても二人なら問題ないでしょう、普段の二人なら」 「どういう意味だ?」  ハウストが訝しみました。  そんなハウストにふっと優しく笑いかけます。  あなたの答えは正解ですが、でも今、大切なことを見落としているのですよ。 「もし私がレオノーラ様だったとして今ここに怪物が現われたら、いつもより反応が遅れてしまうかもしれません。だって目の前のたった一人に夢中になって、警戒心が欠けてしまいますから」  私はハウストを見つめて伝えました。いつもよりキラキラした瞳を作って熱い想いを訴えるように。  そんな私にハウストは平らな目になっていきますが、いいんです、続けます。 「あなたといる時、私はあなたに夢中になって隙だらけになってしまうんです。だから今、あの二人もそうなっているかもしれません。でもそれは愛しあっているなら当然のこと」 「…………。お前、そういうふうに言えば俺が落ちると思ってるだろ」 「うっ……。そ、そういうわけでは……」  そっと目を逸らしてしまう。  ハウストが呆れた顔で私を見ました。 「あの二人が気になるんだろ」 「そ、そんな、他人様の恋愛が気になるなんて、そんなはしたない真似、そんなっ……」 「のぞき見したいんだろ」 「の、のの、のぞき見なんて人聞きが悪いですよ。私はただ怪物が出現したらと心配して」 「ほう、心配か」  じーっ。ハウストの視線が……痛いです。  私は誤魔化すように目を泳がせましたが観念しました。 「のぞき見とか、そういうのがしたいわけじゃないんです。心配なのも本当です。ただ、偶然とはいえこういうのは初めてだったので……、私にもこういう機会が巡ってくるなんてと興奮してしまって」 「こういう機会とはどういう意味だ」 「……北離宮の女官や侍女は友人と恋の話しをする時とても楽しそうにしているんです。正直、私はあなたと出会う前はそういった話しを馬鹿らしいと思っていました。生きるのに精一杯でしたし、誰かと親しくすることもなかったので……」  そう言いながらハウストを見つめます。  少し申し訳ない気持ちになるのは、愛するあなたを呆れさせてしまったから。 「でも不思議ですね、自分も誰かを好きになると、そのなにげない会話がいかに幸せなものか分かるんです。……でも、今の私には結婚報告というものはあっても、途中経過のそういうのがあまりないというか……」  私は天涯孤独でしたが、ハウストと出会って魔界の王妃になりました。  王妃の私に気軽に雑談を向ける者はなく、向けられたとしても結婚報告という正式な事後報告ばかりなのです。もちろん仕方ないことだと分かっていますが、女官や侍女がとても楽しそうに話しているので私も少しくらいと……。 「そういえばそうだな……」  ふむとハウストが頷きました。  あと少し、と私もうんうんと頷きます。天涯孤独だった時も王妃になった今もこういった話しとは無縁の生活なのですよ。 「しかし、のぞき見を正当化しているだけのようにも思えるが……」  ハウストが悩むように真っ当なことを言い出しました。  あ、まずいです。このままでは逆戻りです。 「なにげないことを幸せだと思えるのは、ハウスト、あなたのおかげですね」 「そうか?」  ハウストの表情が上向きになりました。いい感じです。  ハウストの指が私の頬を撫でて、そっと覆い被さってきましたが。 「あっ、二人に動きがっ」 「おい」 「シッ、気付かれます」  彼の肩越しに見えたデルバートとレオノーラに動きがありました。  私はハウストと一緒に木陰に潜む。彼のじとりっとした視線を感じましたが今は気付かない振りをしましたよ。  そうした中、デルバートが熱烈な告白を続けます。 「俺は本気だ。お前だってそうだったはずだ。……俺は今でもあの夜のことを後悔している。あのまま閉じ込めておけば良かったとっ……」 「…………」  デルバートの腕の中でレオノーラが静かに目を伏せました。  目を閉じて唇を引き結ぶ。黙り込んだあと、仮面をかぶるかのような表情でゆっくりと目を開けました。  そして。 「あの夜のことはお忘れください」  レオノーラが静かに言葉を紡ぎました。  その言葉にデルバートが愕然とします。 「忘れろ……?」 「……はい。あの夜の私たちはいつもとは違った状況で、そのせいで気持ちが昂っていただけです。あなたは魔王で私は人間。あれは魔王様にとって気の迷いのようなもの、だから」 「言うな!」  鋭い声でデルバートが遮りました。  デルバートは激情を抑えながらもレオノーラを睨みます。 「俺の勘違いだというのか? この胸にある、滾るような想いも錯覚だとっ」 「……そうです。どうかお忘れください」 「俺を愛していると言ったお前の言葉も……気の迷いだと言うのか!?」  そう問うたデルバートの声は微かに震えていました。  レオノーラを睨むデルバートの目には憎悪すら帯びている。でも憎悪の中にある切なさは、彼が深く傷ついているのだと分かるもの。  それは見ているだけで胸が締め付けられるほど痛々しい表情に見えました。  しかしレオノーラはそれに気付きながらも、淡々としたままデルバートを見上げます。そしてデルバートの胸に手を置き、そっと、ほんとうにそっと押しました。  一人分の距離が開く。それは手を伸ばせば届く距離なのに、どうしてでしょうね、今、途方もなく遠い距離に見えてしまいます。 「デルバート様、どうか私のことは忘れてください」 「っ、レオノーラ!」 「忘れてくださいっ」  レオノーラは強い口調で繰り返しました。  デルバートは震える拳を握りしめます。 「お前は、魔族と人間だからというが、それだけが理由じゃないだろっ……。――――勇者だな。そんなにあの男が大事か」 「…………イスラ様は私の主人です。側を離れるつもりはありません」 「あいつはお前を見捨てたぞ? それは死んでもいいということだ」 「イスラ様のご命令なら」  レオノーラが迷いなく答えました。  その返答にデルバートが苦々しげに舌打ちします。 「…………もういい、埒が明かん」  デルバートは苛立ちながらもそう言うと、レオノーラに背を向けて立ち去っていきます。  でもレオノーラは追うことをせず、その背中が見えなくなるまで静かに見つめていました。  私とハウストも木陰から見つめていたわけですが。  ………………ど、どうしましょう、想像していたのと違います。  私はね、もっとこう幸せな光景を期待していたわけですよ。覗いているだけで頬が蕩けてしまいそうな、恋人同士の甘い甘い光景を。近くには例の小屋もあるわけですし、二人とも今夜はそちらで休まれるのかな、なんて思ったりして。それなのに、それなのにまさかの展開で……。  しかも、佇んでいたレオノーラが不意にくるりと振り返る。咄嗟に身を隠すも。 「ブレイラ様、ハウスト様、お恥ずかしいところを見せました」 「ッ!」  ビクリッ、肩が跳ねました。  …………。  ………………完全に、完全に気付かれていました。  あまりの恥ずかしさと居た堪れなさにハウストを見るも、『俺は知らないぞ』とばかりに彼が首を横に振る。なんですか他人事みたいに、あなたも共犯なのに。  しかし今更逃げることはできません。観念して私たちは木陰から出ました。

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