「……レオノーラ、あれから変わりはないか？」 「はい……」 「そうか。あの時の怪我は治っているのか？」 「すぐに直りました」 　二人が話している『あれから』と『怪我』というのは、レオノーラが魔族に囚われていた時の話しですね。 　でも話しを聞いていると、囚われていたというより匿われていた感じでしょうか。 「あの時、お前を帰してから後悔していた。帰すべきではなかったと。勇者との関係を知っていたからな」 「それは……」 　レオノーラは視線を下げて唇を噛みしめました。 　否定したいのに否定できないようでした。 「……悪かった。別の言い方をすればよかったな」 「いえ、だいじょうぶです……」 「そうか……」 　また沈黙が落ちました。 　このままではいけません。せっかくの機会なのに、このままでは何事もなく終わってしまいます。 　黙って見ていることができなくなって、堪らずに二人に提案してみます。 「あの、もしよかったら私にこの時代の話しを聞かせてもらえませんか？　できれば楽しいお話しを。お礼といってはなんですが私も十万年後のお話しをするので」 「楽しいお話しですか？」 　レオノーラが眉をあげました。突然の提案に少し驚いたようです。 　分かります。私だって自分から言い出したのに内心慌てていますから。 　でも幸いにも楽しい話しならたくさんあります。イスラと親子になって、ハウストと結婚してゼロスやクロードとも家族になってから、私はたくさんの楽しい思い出をつくることができましたから。 「まず私から話しますね。家族五人で初めて旅行した話しです」 「家族旅行ですか。素敵ですね」 　レオノーラは好意的に聞こうとしてくれるようでした。 　デルバートもグラスを傾けながら私を見ているので、この提案に乗ってくれているようです。二人とも沈黙のままでいるより良いと判断したのでしょう。 　私は家族五人で洞窟を冒険した話しをします。 「五人で洞窟を冒険しました。洞窟に美しい地底湖があったんですよ。そこでイスラがゼロスも泳げるように特訓してくれたんです」 「イスラ様が。良かったですね、イスラ様はお優しそうですから」 「いえ、それがですね……。泳げるようになったのは間違いないんですが」 　あれを優しい特訓と言ってもいいのでしょうか。 　高所から飛び降りるという実践重視のスパルタ特訓でした。 　返事に困りましたが、笑って誤魔化して続けます。 「その後、地底湖に古代の巨大魚がいたので、みんなで一緒に泳いで遊んでいました。とても楽しかったんです」 「それは良い思い出ですね、聞いているだけで楽しそうです。そういえば、ブレイラ様たちはこの時代でも洞窟にいらっしゃいましたね」 「ふふふ、どうやら縁があるようです。おかげでそれほど嫌だとは思ってないんです」 　冗談めかして答えました。 　本来、洞窟で寝泊まりするなんて不便で仕方ないのですが、ハウストとイスラのおかげでそれほど不便を感じていません。それに家族が全員揃っていると、どんな場所でも楽しい時間になるから不思議です。 　それはレオノーラにも伝わっているようで、優しく目を細めてくれます。 「そうですね。二度お邪魔しましたが、ブレイラ様たちがいらっしゃる場所は明るくて楽しい雰囲気がします」 「ありがとうございます」 　そう言われると照れてしまいます。 　でも次はデルバートの話しが聞きたいですね。 「デルバート様は行ってみて楽しかった所とかありませんか？」 「俺か？」 「ぜひ聞いてみたいです。ね、レオノーラ様？」 「はい、私も……聞いてみたいです」 　レオノーラが今までより積極的な返事をしました。 　それにデルバートも気付いたようです。 「そうだな、特に変わった話しができるわけじゃないが、遠征で西に行った時に見事な大瀑布を見たぞ。まるで大地が裂けたような巨大な大瀑布だ」 「……もしかしてそれは大河上流の、山岳地帯にある大瀑布ですか？」 　レオノーラがおずおずと訊ねました。 　思わぬ反応にデルバートは少し驚きながらも嬉しそうに目を細めます。 「知っていたのか？」 「私も一度行ったことがあります。それはもう見事な大瀑布でした」 「そうだったのか」 　共通点を見つけてどこか嬉しそうな二人。 　他愛ない共通点ですがこういうのって嬉しくなりますよね。それはデルバートもレオノーラも例外ではないようです。 　二人は私の存在を忘れて会話を続けます。 「大瀑布から少し南の方角に、温泉が沸き出ているところがあるんです。知っていましたか？」 「それは知らなかった」 「でしたらぜひ行ってみてください。その温泉には山の動物たちも入りに来るんです」 「賑やかそうだな」 「ふふふ。はい、とても」 　レオノーラが楽しそうに頷きました。 　言葉を交わすうちに最初の緊張感も薄くなっています。 　レオノーラは気付いているでしょうか。 　レオノーラはさっき家族といる私を楽しそうだと言ったけれど、デルバートとお話しするあなたもとても楽しそうに見えますよ。 　こうして私はデルバートとレオノーラの他愛ない雑談を目を細めて見つめていました。 　その日の夜。 　月が輝きを増す時間。酒盛りが終わり、私とイスラとレオノーラの三人は天幕に戻っていました。 　明日は早いので明かりを消して早々に休んでいます。 　でもふいに、横になっていたはずのイスラがむくりっと起き上がる。 　イスラは私とレオノーラを起こさないように静かに着替えだします。 　行くのですね。私、気付いてますよ。酒盛りの時から魔族の兵士たちが守備を固めていたことを。 　イスラは手早く支度を整えると天幕を出て行こうとする。 「イスラ、行くんですか？」 　声を掛けて、ゆっくり体を起こしました。 　イスラはばつが悪そうに私を振り返ります。 「悪い、起こしたな」 「いいえ、起きていました」 「……気付いてたのか？」 「私はなんの力もないので確信はありませんが、あなたを見ていたらなんとなく。つれないですね、言ってくれれば良かったのに」 「心配かけると思って」 「何も知らずに朝を迎えることの方が嫌です。私にはよく分かりませんが、ゲオルクが関係してるんですよね。ここは戦場になるんですか？」 「俺たちは島に上陸した時から祈り石の術中にいた。今夜それを撃破する」 「そういうことですか」 「ああ、ここには近づけさせない。安心して眠ってろ」 　イスラが私の肩に手を置きました。 　まるで横になってろと言わんばかり。 　私はイスラの手に手を重ねてムッとして見つめ返します。 「あなたが戦っているのに眠れるわけがないでしょう」 　きっぱり言い返してやりました。 　そんな私にイスラは目を細めます。 「そうだな。ブレイラはそうだった」 「はい、そうですよ。私は一緒に戦うことは出来ませんが、あなたの無事を祈らせていてください」 「ありがとう」 「待っています。戻ってきてくださいね？」 「当たり前だ。すぐに帰ってくる」 　私は小さく笑んで頷くと、イスラの額にそっと口付けました。 「ご武運を」 「ああ、行ってくる」 　そう言ってイスラが天幕から出て行きました。 　それを見送ると背後でまた人が動く気配。 　振り向くとレオノーラが起きていました。