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第八章・力無き者たちの祈り15

「すみません、起こしてしまいましたね」 「いいえ、私も起きていましたから」 「そうでしたか。ふふふ、デルバート様もイスラも私たちに隠していたつもりでしょうが」  私はそう言って笑いかけましたが、レオノーラは少し視線を下げて曖昧な表情をするだけでした。  でもレオノーラの枕元に置いてある剣に気付いて、……ああ、私は失言をしてしまったようです。  だって、レオノーラは私とは違って剣士でもあるのです。  天幕の外は戦場になるのに、剣士がここに残される意味は一つ。 「レオノーラ様、嫌な気持ちにさせたならごめんなさい」 「いいえ、気にしていません。魔力を使う作戦行動なら、足手纏いになることは分かりきっていますから」  そう言って小さく笑ってくれました。  どんなに剣の鍛錬を積んでも戦場において魔力の有無は大きいのです。この時代、魔力無しは同じ人間からも蔑まれると聞きました。  レオノーラが気を取り直して私に話しかけてくれます。 「イスラ様はさすが十万年後の勇者様でいらっしゃいますね。魔力の強さもデルバート様に匹敵するほどです。剣の腕も見事なものでした」 「はい、イスラは赤ちゃんの時からとても強いんです。しかも頭脳も明晰でなにをしてもすぐに習得してしまうんですよ?」 「ふふふ、そんな感じしますね」  笑ってくれたレオノーラにほっとします。  きっと天幕に残されたことは剣士として悔しいことでしょうから。  でもふと、レオノーラが真剣な顔で聞いてくる。 「……でも、ブレイラ様はそのことで不安になることはありませんでしたか? イスラ様を可哀想だと思ったことは?」  聞かれた内容に目を丸めてしまう。  そんな私にレオノーラはハッとして謝ります。 「す、すみませんっ。出過ぎたことをっ……」 「レオノーラ様、謝らないでください。改まって聞かれたのは初めてだったので、少し驚いてしまっただけですから」  そう言って安心させるように笑いかけました。  だって、それは私にとって覚えのあるものだったのです。まだイスラが幼い時、勇者であることを哀れに思ったことなら何度もありました。 「そうですね、幼い頃から特別な強さを持っていたので、無責任な期待と羨望を向けられていました。私はそれから守ってあげたかったのを覚えています。戦い方を知らない私ができることは多くありませんが、それでもイスラに勇者を辞めてほしくて、人間界から攫って逃げたこともありますよ。どうしても許せなくて人間から勇者を取り上げました」 「ええっ、人間から勇者を……?」  レオノーラがちょっと引いてしまいました。  自分から聞いてきたのに……。 「……私にとって勇者はイスラなので、いいんです。それに人間のために戦うイスラが、人間のために傷つくなんて絶対嫌でした」 「それで、イスラ様はどうされたんですか?」 「イスラは……勇者でした。力があるからとかではなくて、自分の意志で勇者であり続けることを選びました」  そう答えるとレオノーラは複雑な顔になってしまいました。  当時は私も悩みましたがもう決めたこと。 「私はイスラを信じています。イスラが決めたなら私はそれを信じるだけ。イスラの決断に否とは言いたくありません」 「そうでしたか……」 「はい、イスラは歴代最強の勇者になるので初代勇者より強くなりますよ?」  そう言うとレオノーラが目をぱちくりさせました。  でも次にはふっと笑ってくれます。 「イスラ様はとても強いですよ」 「イスラだってとても強いです。負けません」  そう言い返して私も小さく笑いました。  そして私も聞いてみる。 「レオノーラ様が私にそれを聞いたのは、レオノーラ様も同じような気持ちになったことがあるからではないですか?」 「…………」  レオノーラの表情が少し強張りました。  やっぱり図星ですね。  だって皆は私がイスラの親であることを祝福するのです。尊い存在の親であることを名誉にせよと。  だから先ほどの質問は、レオノーラ自身が同じ気持ちになったことがあるから。 「初代勇者イスラのことですよね」 「…………。……はい、そうです」  レオノーラは少し迷っていましたが、観念したように頷きました。  その反応に私は目を細める。今、レオノーラと出会って初めてその心の一片に触れたような気がしたのです。  そしてレオノーラがゆっくりと初代イスラとの関係を語ってくれます。 「イスラ様は死にたかった私の生きる意味なんです」 「死にたかった……?」  予想もしていなかった言葉に驚きました。  私の反応にレオノーラは苦笑して頷くと、初代イスラとのことを教えてくれます。 「私の村はイスラ様の部族に滅ぼされ、私以外はすべて殺されました。本当なら私もその時に一緒に殺されているはずで、私自身もそれを望んでいたんです。当然ですよね、生き残ってもなんの希望もありませんでしたから。一人残されるくらいなら、私も一緒に殺してほしかったんです」 「そうですか」  その内容に胸が痛くなるけれど、表情には出さずに聞いていました。  レオノーラは淡々とした口調で続けます。 「何度も自害しようと思いましたが、その勇気もなくて、結局拾われて生き残ってしまいました……。生き残った私は幼いイスラ様のお世話役になりました。イスラ様は幼い頃から心を閉ざしておいでで、いつも一人でいるような方でしたので、あまり親しくすることはありませんでした。でも私にとってその距離感は丁度良いものでしたよ」  レオノーラにとって初代イスラの部族は仇。その部族の跡取りであるイスラに対して積極的な好意を持てるはずがなかったのです。 「でもある夜、陣営を強襲されてイスラ様が殺されそうになったんです。だから私、チャンスだと思いました。これで殺してもらえる、やっと死ねると思ったんです。だからイスラ様を庇って切られた時は、痛みよりも死ねる喜びの方が強かったんです。解放感みたいなものでしょうか。でも」  レオノーラがそこで言葉を切りました。  今まで淡々と語っていましたが、次にはふわりと穏やかな笑みを浮かべます。 「でもその時、イスラ様がとても悲しそうな顔をしたんです。とても驚きました。私は死にたかっただけなのに、むしろ嬉しいくらいだったのに、それなのにイスラ様はあんなに悲しんで。イスラ様のあんな顔は初めて見ましたから。それを見て、この方のために生きようと思ったんです。私の為にこんな悲しい顔をしてくれるのはこの世界でイスラ様一人。差し出がましいことですが、守ってあげたいと心から思いました」 「レオノーラ様の生きる意味になったのですね」  私は静かに聞きながら、なぜでしょうね、自分がイスラの親になると初めて決意した時のことを思い出しました。  それは決してレオノーラのそれと重ねることは出来ないけれど、幼い初代イスラを守りたいというレオノーラの痛々しい愛情に、私は胸が苦しいほど締め付けられたのです。 「はい。あの強襲の時以来、イスラ様は私を信頼してくれるようになって、話しかけたり笑いかけたりしてくれるようになりました。とても嬉しかったのを覚えています。でも」  そこで言葉を切ると、嬉しそうだったレオノーラが視線を落としました。 「……でも、その強襲を切っ掛けにイスラ様は強大な魔力を覚醒させました。規格外の特別な力に人間はイスラ様を畏怖し、人間の王として無責任な期待と羨望を向けるようになったんです。イスラ様はそれに応えるだけの力を備えていましたが、だからこそ私はお側にいたいと思いました。イスラ様が大人になるまでずっと側で守りたいと」 「そうですか」 「はい、だから側にいる為に必要なことはすべてしました。私が剣の鍛錬に力を入れるようになったのもこれが切っ掛けなんです。側にいる為には戦場でも生き残らなければいけませんから」  レオノーラは魔力無しですが剣の腕は見事なものです。きっと血の滲むような努力と鍛錬を積み重ねたのでしょう。  それもすべては初代イスラのため。初代イスラが大人になるまで側にいるために、どうしても必要だったのですね。 「私はイスラ様が大人になるまで生き残れるなら何をしても悔いはありません。どんな方法を使っても生き残りたいんです。しかし一つだけ、失敗したかもしれません」 「失敗ですか?」 「はい。私は部族の首領であるイスラ様の御父上に同衾していました。それをイスラ様に知られて以来、イスラ様から遠ざけられてしまいましたから」 「え、同衾……?」  思わぬ事実に心臓がドクリッと鳴りました。  でもレオノーラは淡々と続けます。まるで当然のことのように。 「そうです、剣の腕が未熟だった頃に同衾していました。当時は戦力にならなかったので、私のことを少しでもお気に召していただかなければ殺される可能性もありましたから」 「…………そう、ですか」  言葉が出てきません。  指先が冷たくなるような感覚。  淡々と告げられるけれど、そこにある事実に心臓がドクドクと音を鳴らす。  すべては生き残るため、初代イスラの側にいるためと、レオノーラはそう言うけれど、私は、わたしはっ…………。 「ブレイラ様、どうしました?」  レオノーラが首を傾げて私を見つめています。  強張ってしまった私の反応が不思議なのです。だって、レオノーラにとってそれは当たり前の選択だから。 「……いいえ、いいえ、レオノーラ様。なにもありません」  私はゆっくり顔をあげ、そっと微笑しました。  レオノーラは天涯孤独になってから今も無我夢中で戦っているのです。ずっと戦っている人に、どうしてあなたの戦いは哀れだなどと言えるでしょうか。  あなたの苦難に哀しくなったなど、決して口にしてはならないことなのです。

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