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第八章・力無き者たちの祈り20
「なんだ?」
イスラが私の視線に気付きました。
「いえ、イスラも王様ですから、そんなところがあるのかなと思いまして」
「俺? たしかに俺も王様だけど、政治的なことは各国の王に一任してるしな……。それに俺はブレイラが笑ってる人間界ならそれが正解だと思ってる」
「私ですか?」
「ブレイラは俺の第一の民だろ? そんなブレイラが笑ってる世界が間違いなはずないからな」
「イスラっ……!」
なんて嬉しいことを!
さすがイスラです。デルバートに聞かせたいですね、あとオルクヘルムと初代イスラにも。
「あなたが当代勇者であることは人間界にとって幸運なことです」
「ありがとう。俺にとってもブレイラが親だったのは幸運なことだ」
「ふふふ、あなたは私の自慢です。いつもあなたを思っていますよ」
「俺もブレイラを思っている。どんな時もだ」
「イスラ……」
私とイスラの間に和やかな雰囲気が流れて、とても温かな気持ちでいっぱいです。
近くで軽食中の兵士たちが真顔になっていたり、私たちからそっと目を逸らしている気がしますが、きっと気のせいですね。
「でもまあ、良かったな。レオノーラはずっと苦しそうな顔してたから」
ふとイスラが言いました。
この強引な休憩時間には少し呆れているようですが、デルバートとレオノーラの関係が上手くいったことに安心しているようです。
「イスラもレオノーラ様のことを心配してたんですね」
「心配っていうか、あんまり辛そうな顔をしてほしくなかったんだ。ブレイラと似てるから気になって仕方なかった」
イスラはそう言うと私を見て目を細めます。
「顔もそうだけど、雰囲気とかが昔のブレイラになんとなく似てるんだ」
「雰囲気まで……。私、あんな感じでした?」
あまり実感がありません。自分のことなのでよく分からないのです。
でもずっと一緒にいたイスラがそう言うのならそうなのかもしれません。
「ああ、笑う時にちょっと困った顔をするんだ。笑ってるのに泣きそうな感じもあって、それを見てると放っとけなくなる」
「そうでしたか」
「でも今は、困ってるのが薄くなった気がする。いつ頃からか分からないけど、吹っ切れた感じがするようになったんだ」
「吹っ切れた……」
なんとなく昨夜のことを思い出しました。
昨夜、私はレオノーラに思ったままのことを伝えたのです。
『幸せになることを恐れないでほしい』と。
『幸せになろうとする自分を責めないでほしい』と。
もしかしてそれは自分自身のことだったのかもしれません。
「でも昔も今もブレイラが一番綺麗なことに変わりはない。ブレイラの笑顔が一番綺麗だ」
「イスラ、ありがとうございます」
あなたのおかげです。
あなたがいつも側にいてくれるからです。
私はレオノーラのことを思いました。
今、レオノーラはどうしているでしょうか。デルバートとなにをお話ししているでしょうか。
この時間がレオノーラにとって心から笑顔になれるものであることを願います。
◆◆◆◆◆◆
デルバートとレオノーラは陣営地を離れ、二人きりになっていた。
レオノーラは不思議な心地になる。
あれほどたくさん話しをしたいと思ったのに、いざ二人きりになると上手く言葉が出てこなくなるのだから。
レオノーラはデルバートの存在を強く意識しながらも、困ったように視線を泳がせてしまう。こういう状況は生まれて初めてでどうしていいか分からないのだ。
でも、そんなレオノーラにデルバートが声を掛ける。
「レオノーラ」
「は、はいっ……」
レオノーラが緊張しながらも返事をした。
だが、デルバートを目にしてその緊張がゆっくりと緩んでいく。
だって、デルバートも一緒だったのだ。それに気付くと心が温かくなるような愛おしさがこみあげる。
レオノーラは目を細め、微笑とともにデルバートを見つめ返した。
「はい、なんでしょうか」
落ち着いたレオノーラにデルバートの緊張も解れていく。
今レオノーラは微笑んでいる。それはデルバートがずっと見たいと焦がれていたもの。
「レオノーラと過ごした一ヶ月を俺は今も忘れられないでいる。お前も同じ気持ちだと思っていいんだな?」
確かめるように聞きながらも、デルバートの瞳に期待がこもっている。
今の二人に答えなど一つしかない。
「はい、私も。私もあなたと過ごした一ヶ月を忘れたことはありませんでした」
あの一ヶ月はレオノーラにとって甘い夢のような時間だった。
夢からは覚めなければいけないと思っていたが、夢は見てもいいのだとブレイラから教わったのだ。そして、幸せになることを恐れるなと。
「デルバート様、触れても……いいでしょうか」
「ああ、光栄だ」
「ありがとうございます……」
レオノーラはおずおずと手を伸ばす。
今まで自分から誰かに触れようとすることはなかった。
生き残るために体を暴かれたことはあっても、心から求めたことはなかった。
でも今、初めて自分から触れようとしている。触れてみたい、触れてほしいと、心から望んでいる。でも初めてのことは怖くて途中で何度も手が止まってしまっていた。
そして、そんなレオノーラの手をデルバートは辛抱強く待った。
デルバートは知っているのだ。レオノーラのような無力な人間がこの世界で生き残るための方法を。その方法を実践しなければレオノーラは今ここにいなかっただろう。
しかし、もっと早く出会っていればと強く思う。そうすれば辛い思いをさせることも悲しませることもなかったはずだ。もっと早く出会っていれば。
デルバートの中で自分への憤りがこみあげる。
過ぎ去った過去はどうしようもないと頭では分かっている。分かっているが、レオノーラを思うと。
――――モミモミモミモミ。
「!? レ、レオノーラ……?」
またしてもモミモミ。
思いがけない眉間のモミモミにデルバートは目を丸めた。
想像していたことと違う。もっと違う意図をもって触れてくれると思っていたのだ。
「こ、これなのか? これがしたかったのか? 俺は口付けてくれるのだとばかりっ……」
動揺と驚きを隠せないデルバート。
しかしすぐに自分のセリフの情けなさに気付き、「困らせる期待をしていたわけじゃないが……」などと誤魔化す。
そんなデルバートにレオノーラはきょとりとしたが、ハッとして首を横に振った。
「す、すみませんっ。私も最初はそのつもりでしたが、デルバート様が急に怖い顔になってしまったのでっ……」
「そ、そんな顔をしていたかっ」
「は、はい。急に……」
「そうか、悪かったっ……」
二人してなぜか焦ってしまう。
でも焦っている自分たちに気付くと、なんだかおかしな気持ちが込み上げてきた。
ここにいるのは百戦錬磨の魔王とそれなりの経験があるレオノーラ。決して初心な二人ではない。それなのに今、自分たちが笑ってしまうほど緊張していることに気が付いたのだ。
デルバートは表情を緩ませると、自分の眉間をモミモミしているレオノーラの手を取った。
「これはブレイラに教わったのか?」
「はい」
「そうか、いいことを教えてもらったな」
「はい。他にもたくさん教えていただきました」
会話しながら二人の指が戯れるように絡み合う。
そのまま指を絡めて手を握り、互いの呼吸が届く距離に近付いていく。
レオノーラは頬を赤くして微笑むと、改めてデルバートに問う。
「デルバート様、口付けてもいいでしょうか」
「ああ、ずっと待ちわびていた」
デルバートがそう答えると、二人は引かれあうように口付けを交わしたのだった。
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