171 / 262
第十章・幾星霜の煌めきの中で3
「洞窟の小魚を召喚したんですね。元気そうで良かったです」
元気にスイスイ泳ぐ小魚の姿に安心しました。
ゼロスもクロードもとても嬉しそうです。
しかし、ここに無粋な男が一人。
オルクヘルムが小魚を見てニヤリとします。
「お、食うのか? まだ小せぇがうまそうな魚だな」
「ちがーう! これはたべちゃダメなの! ぼくの、お・と・も・だ・ち!」
「あうー! あーあー、あぶぶっ!」
ゼロスとクロードがプンプン怒りました。
せっかくお友達を召喚したのに食べられては大変ですからね。
ゼロスは自慢のお友達を誇らしげにリースベットに見せます。
「ぼくのおともだち、おるすばんもじょうずにできるの。すごいでしょ?」
「なるほど。戦闘専門というより留守番担当というわけじゃな」
「うん。おさかなさん、まっててくれた」
「あぶー、ばぶぶっ」
リースベットは酒を煽りながらゼロスやクロードと愉快そうに話しました。
そこにジェノキスとオルクヘルムも混じって、ゼロスは満面笑顔で楽しそうにおしゃべり。ゼロスは今より幼い頃は初めての大人に対して人見知りすることもありましたが、徐々にそういうことが少なくなってきました。元々おしゃべりが大好きな人懐っこい子ですが、この時代に来てから更に大きくなったのですね。力も、心も。
成長を感じて嬉しさと頼もしさを覚えるけれど、……少しだけ寂しいのも、ほんとう。いずれ私の足にしがみ付いて隠れることもなくなるのでしょうね。それはきっと遠くありません。
クロードはゼロスの隣にちょこんと座って、「あぶーあー、ばぶぶっ、あうー」と気難しい顔でなにやらおしゃべり。小さな眉間に小さな皺を刻んで、ひたすら「あーうー、あー」としゃべっています。どうやら自分なりの意見というものをおしゃべりしているのかもしれませんね。
しかし小うるさい赤ちゃんにオルクヘルムがムムッと眉間に皺を刻みます。そして。
「なんだこのチビ。それ」
ツンツン。
クロードの小さな眉間をツンツン。
「ばぶ!? あうーっ、あーあー! あいーっ、あー!」
すごいです。赤ちゃんが猛烈に抗議してます。
短い腕を振り回して、オルクヘルムに向かってプンプン抗議です。
「ばぶぶっ、あぶっ! あー!」
「ああ? うるせぇなぁ」
「ばぶっ!? ……うぅっ、う~~っ……」
あ、いけません。クロードの瞳がうるうるしてきました。
強気にプンプンしてましたが、ぎろりっと睨まれてびっくりしたようです。
でもゼロスがすぐに気付いてくれました。
「あっ、なにしてんの! クロードにいじわるしたらダメでしょ!」
コラーッとオルクヘルムに怒ってくれました。
そんなゼロスをオルクヘルムが煩そうに見ます。
「先にケンカ売ってきたのはチビの方だろ。あーとかうーとか、なんか喚いてたぞ?」
「クロードはおこりんぼうだけど、あかちゃんなの。あかちゃんにはやさしくしなさいってブレイラがいってた!」
「なんだブレイラか」
「なんだとはなんです」
思わず突っ込んでしまいました。
オルクヘルムをじろりと睨んで「それ没収しますよ?」と酒瓶を指差します。そうするとオルクヘルムは苦笑して観念してくれました。
でもそうしている間もクロードの瞳はうるうるしたまま。いつも強気で怒りん坊な赤ちゃんですが、自分が怒られるとびっくりして泣いてしまうことがあるのです。
つい先日も魔界の城でハウストにワガママを怒られて、その時も唇を噛みしめて泣いていましたから。
でも今はゼロスがクロードを慰めてくれます。
「クロード、もうだいじょうぶだから、ないちゃダメ」
「あう~、あう~」
「あのおじさん、あとでえいってしといてあげるね」
「……あいっ」
「ハンカチいる? どうぞ」
「あい。……むにゃむにゃ、あむあむ、むにゃむにゃ」
クロードはハンカチを渡されてむにゃむにゃしました。
良かった、お気に入りのハンカチをおしゃぶりして落ち着いたようですね。
無事にクロードの機嫌が直ってひと安心です。
「子どもがいると賑やかじゃな。子どもというのは興味深い」
「すみません、またうるさくなってしまって……」
「気にするな、われにとっては珍しい光景じゃ。もっと見ていたいくらいじゃが、禁書の完成が近くてな」
「え、禁書が!?」
私ははっとしてリースベットを見ました。
するとリースベットは笑みを浮かべて頷きます。
「ああ、ジェノキスにずっとせっつかれていたぞ。だが、それもようやく終わりそうじゃ」
「リースベット様、ありがとうございます!」
私は心から感謝しました。
私たちの時代からこの初代時代へ時空転移するのに初代精霊王リースベットの禁書を使用したのです。ならば元の時代へ戻るのも当然リースベットの禁書が必要でした。
「この禁書が発動すれば、そなたらの時代の精霊王の力と呼応しあうはずじゃ。それを辿れば十万年後に戻れるぞ」
「本当に、本当にありがとうございます! なんてお礼をすればいいかっ」
「気にするな。われもそなたらには楽しませてもらった。十万年後の世界はなかなかに愉快なもののようじゃ。それに精霊族の子孫にも会えたしな」
そう言ってリースベットがジェノキスを見ました。
ジェノキスは精霊界三大貴族の正当な継承者です。それはこの初代時代から残っている血筋ということ。
グラスを掲げたリースベットとジェノキスの光景に私は目を細めました。
「ジェノキス、ありがとうございました。あなたのお陰で元の時代に帰れます」
私は改めてジェノキスに感謝しました。
無事に十万年後に帰れる手筈が整ったのはジェノキスのおかげです。彼は自分の任務を遂行しながら、リースベットに禁書作成をお願いしてくれていたのですから。
時空転移を可能にするほどの禁書を作成できるのは初代精霊王リースベットだけ。ジェノキスが交渉してくれていなければ私たちは帰れませんでした。
「当然だ。それに、この時代に来たのは俺自身の為でもあるからな」
「ジェノキス……」
ジェノキスの首にはイスター家先代当主から継承した家紋のペンダントがかけられています。
精霊族三大貴族の三家は初代時代から精霊王に仕える特別な血筋。初代時代の当主マルニクスの直系であるジェノキスの血には初代精霊王との契約が結ばれていたのです。
その契約によってジェノキスの父親であるイスター家先代当主は、実の息子であるジェノキスの手によって殺されなければなりませんでした。
ジェノキスにとって初代精霊王リースベットの存在は、ジェノキスが父親を手にかける理由を作った張本人でもあったのです。
ジェノキスはこの時代に時空転移してから、そんなリースベットやマルニクスと行動を共にしていました。
ともだちにシェアしよう!