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第十章・幾星霜の煌めきの中で4

「ジェノキス、お疲れ様でした。この時代での出会いが、あなたにとって救いになることを願っています」 「ああ、充分なくらいだった。なんだかんだ楽しかったぜ」  そう言ってジェノキスは朗らかに笑いました。  まっすぐな面差しのジェノキスに、私もそっと笑みを返します。 「そうでしたか。良かったです」  ほっと安堵しました。  ジェノキスは受け止めたのですね。イスター家当主に代々継承されていた契約を。  血筋の宿命を受け止めたジェノキスの強さに胸がいっぱいになります。  でもふと、ジェノキスがニヤリと笑いました。 「ブレイラ、いいのか?」 「なにがですか?」 「そんな顔で俺を見るなよ、その気になる」 「っ、その気って……。あなたという人は……」  せっかく胸をいっぱいにしたのに呆れてしまったじゃないですか。でもジェノキスらしいですね。  しかし。 「ついでに魔王様の機嫌が悪くなってるぞ。ほら」 「えっ?」  ハッとしてハウストを振り向くと、彼が目を据わらせていました。  少し離れた場所でデルバートやイスラと飲んでいますが、私たちの場所がよく見えていますから。 「ああいうとこちっとも変わらねぇよな、あの魔王様は」  ジェノキスが少し呆れた顔で言いました。  呆れる気持ちも分かります。でもね、あなただって出会った頃から変わりませんよ。 「ふふふ、またそんな意地悪を言って。あなただって変わっていません。出会った頃と同じ、ステキなままです」 「……からかいやがって。ブレイラが一番変わったんじゃないか?」 「そうですか?」 「そうだ、タチが悪くなった」 「褒めてくれると思ったのに」 「褒めてるぜ? ますます口説きたくなった。あんたを攻略したいもんだ」  そう言ってジェノキスがニヤリと笑いました。  冗談口調の際どいセリフ。私は目をぱちくりさせましたが、次に笑みとともに目を細めます。 「それは困りました。あなたはとてもステキな方なので」 「…………今度はかわしやがって」 「ふふふ、ステキだと思っているのは本当ですよ」  私はそう言うと、「さて」と立ち上がりました。  これ以上はハウストが不機嫌になってしまいます。彼のところへ行こうと思うのですが、ここにはゼロスとクロードがいるのでどうしましょうか。  ちょっと困ってゼロスとクロードを振り返りましたが。 「アハハッ、おじさんのかたぐるま~」  気が付くとゼロスは座っていたオルクヘルムの肩によじのぼって肩車してもらっていました。いえ、勝手によじのぼったので強制肩車ですね。ハウストも時々『ちちうえのかたぐるま~』と勝手によじ登られて肩車をさせられています。オルクヘルムは降ろすのを諦めているようで、ゼロスを肩に乗せたまま酒を飲んでいました。  さっきまで泣いていたクロードもオルクヘルムの隣にちょこんと座って哺乳瓶でミルクを飲んでいます。でもオルクヘルムをじーっと見たと思ったら。 「あいっ」 「だから無理だっつってんだろ」 「あう?」 「あう? じゃねぇよ」  また自分の哺乳瓶を渡そうとして困らせていました。  クロードも泣かされつつもオルクヘルムに懐いているようですね。  もしかしたらオルクヘルムは見かけによらず面倒見がいいのかもしれません。  これなら少しくらい離れても大丈夫そうです。  私はゼロスとクロードを視界に入れたままハウストのところに足を向けました。 「ハウスト」  声を掛けるとハウストが振り向きました。  でも目を据わらせたままで怖いお顔です。 「楽しそうだったな」 「今夜は特別な夜ですからね」 「……はぐらかすなよ」 「あなたに嫉妬してもらえるなんて。喜んでしまう私を許してくださいね」 「魔王を弄ぶとは……。そんな人間はお前しか知らない」 「ふふふ、そのまま私しか知らないでいてください」 「次は俺に注文をつけるか」  ハウストは憮然とした顔で言いました。  私はハウストの隣に座り、彼の横顔を見つめます。  憮然とした怖い顔。でもどこか不貞腐れているように見えるのは気のせいではありませんね。  普段のハウストはもっと寛容で鷹揚な落ち着きのある方ですが、ことジェノキスに対しては警戒を隠しません。それは私を思ってくれているからだと分かっていますが……。 「あなた、ジェノキスが絡むとピリピリしますね」 「当たり前だ。あの男は駄目だ」  きっぱり言い返されて目を丸めました。  ハウストとジェノキスは良好な関係とは言いませんが、心底不仲というわけでもないのです。利害が一致すれば共闘することもありますし、互いに認め合っている様子がありますから。  首を傾げてしまいましたが、そんな私にハウストが憮然としたまま続けます。 「もしこの世界でお前が俺以外に惚れることがあるとするなら、あの男がもっとも可能性が高い。だから駄目だ」 「えっ……」  目を丸めてしまいました。  まさかそんなことを思っていたなんてびっくりです。 「ハウスト、あなたという人は……」 「お前がどれだけ否定しようと確信していることだ」  そう言ったハウストは思いがけないほど真剣な顔をしていました。  これは彼の嘘偽りない言葉ということ。  でも次にニヤリと笑う。 「だが、それは『もしも』の話し。現に今、お前は俺を愛していて、俺もお前を愛している。これはこの先も決して変わらない、俺はお前に愛され続けるための労なら惜しまないからな」  それはいつもの不遜な笑み。  彼らしいそれに私も目を細めます。 「では、一緒ですね。私もあなたに愛され続けるための努力を惜しみません。これからもずっと」  そう言って隣のハウストの腕にそっと触れました。  するとその手にハウストの大きな手が重なって、指を絡め合うように握り合います。  彼の鳶色の眼差しに見つめられたまま、握られた手を持ち上げられて唇を寄せられました。 「お前だけだ」 「私も、あなただけです」  見つめ合ったまま言葉を交わしました。  そのまま呼吸が届くほど顔の距離が近づいて、そのままゆっくり影が重なっ……。 「いつもこんな感じになるのか。流されやすくないか?」 「大丈夫だ、ブレイラならもう少しで我に返る。根が生真面目な性格だから、こういう場所だと雰囲気に流されきらないんだ。ハウストは分かっててやってる」 「っ! わ、わあああっ!」  すぐ近くから聞こえてきた冷静な会話。もちろんそれはデルバートとイスラのもの。  二人は淡々としたままグラスを煽っていました。  そうでした、こんなことをしている場合ではありません。今は宴会中なのです。 「す、すす、すみませんっ! ここがどこか忘れていたわけじゃないんですがっ……」  よりにもよってここにはデルバートもいたというのに……。  デルバートとイスラに恥ずかしいところを見せてしまいました。  しかし焦っているのは私だけだったようで。 「……お前ら邪魔するなよ。少しは気を利かせたらどうだ」  ハウストが不満そうにデルバートとイスラに言いました。  とても不遜な態度で私は更に慌ててしまいます。

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