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第十章・幾星霜の煌めきの中で7

「こんばんは。お邪魔していいですか?」  二人に向かって声を掛けました。  初代イスラが面倒くさそうな顔で私を見ましたが、その隣のレオノーラが穏やかに迎えてくれます。 「こんばんは、イスラ様、ブレイラ様。どうぞおいでください、飲み物を用意いたします」 「大丈夫です、私たちの分は持ってきましたから。レオノーラ様もゆっくりしてください」  立ち上がろうとしたレオノーラに声を掛け、私はその隣に腰を下ろしました。  そして持ってきた料理や飲み物を並べます。 「よかったらこれもどうぞ。そろそろ足りなくなったんじゃないかと思ったんです」 「わざわざすみません。ありがとうございます」 「いえ、せっかくの夜ですから。それにこの料理は私も手伝ったんですよ、ぜひ食べてみてください」  私は肉料理を進めました。  レオノーラはぱくりっとひと口食べて、少し驚いた顔で目を瞬きます。 「ブレイラ様、この味は……」 「十万年後から持ってきた調味料を使ったんです」 「そうでしたか。初めての味わいだったので驚きました。お肉の味が濃厚になってとても美味しいです」 「喜んでいただけて良かったです。初代イスラもどうですか? おいしいって言ってもいいですよ?」  さあさあと進めると初代イスラが眉間の皺を深くします。  でもイスラが「さっさと食べろよ」と勧めると、不機嫌な顔をしつつも食べてくれました。 「…………。……まあまあだな」 「それはおいしいという意味ですね」  返事は生意気でしたが、意地っ張りな初代イスラが『まあまあ』ということは『おいしい』という意味。気に入ってもらえて良かったです。 「あなたに気に入ってもらえて良かったですよ」 「誰もそんなこと言ってないだろ」 「意地悪ばかり言いますね。もうすぐお別れなのに」  私がそう言うと初代イスラの表情が少しだけ変わりました。  その反応に目を細めます。少しは残念に思ってくれているということですよね。 「リースベット様の禁書があと少しで完成するそうです。完成したら元の時代に帰ることになりますので」 「そうですか、寂しくなります。でも無事にお帰りできるようで良かったです」 「はい、おかげさまで。この時代の初代イスラやレオノーラ様にたくさんお世話になったので、お礼とご挨拶をさせてください」 「とんでもありません。私の方こそイスラ様やブレイラ様にはお世話になりました。ありがとうございました」  私たちは深々と頭を下げてお礼を言いあいました。  その隣ではイスラと初代イスラが他愛ない軽口を交わしています。 「お前、さっきからそればっかだな。そんなに気に入ったのか?」  イスラが初代イスラの手元を覗き込みます。  見ると初代イスラは十万年後の料理が気に入ったのか、さり気なくたくさん食べていたようです。イスラが目ざとく見つけたようですね。 「うるさい、余計なこと言うな」 「それなら、これとこれも食べてみろ。気に入るんじゃないか?」 「……。…………どれだ」  初代イスラが仕方ないといった態度ながらも食べてみます。 「な、いけるだろ?」 「……まあまあだな」  はいはい、おいしいということですね。もう分かりますよ。  でもそうしていると持ってきた料理があっという間になくなりました。レオノーラがそれに気付きます。 「少しお待ちください。同じものを頂いてきます」  そう言ってレオノーラが料理を取りに行こうとしました。  しかしイスラが呼び止めます。 「レオノーラはブレイラとここにいろ。俺たちで行ってくる」 「でも、イスラ様方にそんなことをしていただくわけには」 「構うな、それくらい自分で出来る。おい行くぞ」  イスラが初代イスラを誘いました。  初代イスラは面倒くさそうな顔をしましたが特に文句も言わずに立ち上がります。  こうして渋々な様子ながらも初代イスラはイスラとともに騒がしく盛り上がっている宴会の方へ歩いていきました。  私とレオノーラはそんな二人の勇者を見送ります。  初代イスラは何も言いませんが、あれはイスラに気持ちを許していますよね。イスラの前では初代イスラの偏屈な態度が少しだけ崩れて気安くなるのです。ほらやっぱり友人じゃないですか。きっと素直に認めてくれないでしょうが、私には二人が友人関係に見えますよ。 「………………初めてです」  ふとレオノーラがぽつりと呟きました。  レオノーラを見ると、その横顔は初代イスラを見つめていました。それはまるで見守るような眼差し。  レオノーラが初代イスラを見つめたまま言葉を続けます。 「初めてです。イスラ様のああいう姿を見るのは。いつもお一人で、誰とも親しくすることはありませんでしたから」  レオノーラもいつもとは違った初代イスラの様子に少し驚いているようです。 「どうやら友人になったようですね。同じ年頃ですから気が合うこともあるのでしょう。勇者同士ですからある意味対等ですし」 「友人……。そうですか、イスラ様に友人ができたんですね」  レオノーラは眩しそうに目を細めました。  嬉しそうだけれど少しだけ切なさを帯びた瞳。 「……複雑ですね。嬉しいですが、少しだけ寂しい気持ちがあるんです。いけませんね……」  密やかに紡がれたレオノーラの本音。  微かな罪悪感を忍ばせてレオノーラは縮こまってしまいそうだけれど、私はゆっくりと首を横に振りました。私はその瞳の意味を知っています。 「分かります。私も同じ気持ちになることがありますから」 「ブレイラ様も?」 「はい。イスラがまだ小さな頃は『ブレイラ、ブレイラ』と私の名を呼んで、私とずっと手を繋いでいたのに、気が付けばあんなに大きくなっていました」 「……想像できませんね。とてもご立派な方なので」 「子どもの頃からしっかりした子でしたが、『だっこしろ』と甘えることもあったんですよ? とても可愛い子どもでした」 「……やっぱり想像できません。あのイスラ様が」  レオノーラは少し驚いた顔になりました。  そうですよね、今のイスラしか知らない方からすれば、あまりそういう印象はないのかもしれません。 「ふふふ、私しか知らないイスラです。私の自慢です」 「…………それは少し理解できます。私にも、私しか知らないイスラ様がいらっしゃいます」 「そうですよね。でも、成長するにつれて私の知らないイスラが増えていきました。私の知らない場所で、私の知らない方々と交流してるんです。もちろん帰ってきたらお話ししてくれますが、きっと私に話さないこともあるでしょう。今もそう、イスラは初代イスラに私には見せない顔を向けています」 「ブレイラ様……」 「最初は大人になっていくイスラの時間から少しずつ私が減っているのだと思いました。でも、今はそうではないのだと思っています。減っているわけじゃなくて、イスラが大きくなっているのだと。イスラの中で私は私のままなんです。イスラの心に私だけの場所があるんです」  だから平気なのだとレオノーラに伝えました。  寂しいのもほんとう、嬉しいのもほんとう、それで良いのです。 「口にはしませんがイスラも初代イスラと友人になれて嬉しいんだと思います。勇者同士なので、ある意味対等ですからね」  私がそう言うとレオノーラが目を瞬いて、でも次には穏やかに目を細めました。 「はい、イスラ様にとっても同じだと思います」 「ふふふ、イスラがお世話になります」  そう言って私はなにげなくイスラと初代イスラが歩いて行った方を見ましたが。 「……ん? ……ああ、すみません。ゼロスが初代イスラに絡んで困らせてしまっています」 「ええっ?」  レオノーラがびっくりして私が見ている方向に目を向けます。  するとそこにはオルクヘルムに肩車してもらったゼロスが初代イスラになにやらおしゃべりしながら絡んでいます。ジュース入りのグラスを「カンパーイ! カンパーイ!」と初代イスラに向かって何度も掲げているようでした。ゼロスはとても楽しそう。  初代イスラはとても迷惑そうですが、オルクヘルムが面白がってゼロスを肩車したまま挑発しているようですね。リースベットまで囃し立てて盛り上がっています。  いけませんね、初代イスラが怒ってしまわないといいのですが。  でもそれはきっと大丈夫なのでしょう。初代イスラを見つめるレオノーラの横顔は穏やかなままです。  レオノーラは初代イスラの反応を一瞬も見逃すまいとするように見つめていました。 「あ……」  ふとレオノーラが声をあげました。  三歳児に絡まれて騒いでいる集団にデルバートとハウストが呆れた顔で近づいたのです。  ハウストがクロードを抱っこしてくれているので、あそこにいるのは初代魔王と十万年後の当代魔王と次代の魔王、三人の魔王が勢揃いという奇妙な状況です。

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