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第十章・幾星霜の煌めきの中で13
「まったくだ。まさかこんなに早く事が動くとはな……」
「そうですよね。イスラ、心当たりはありますか?」
今度は左隣にいたイスラに訊ねました。
初代イスラと一番親しくしていたのはイスラです。何か聞いていなかったでしょうか。
「うーん、どうだろうな。特になにも聞かなかったけど……。でも、あいつなりにいろいろ考えたんじゃないか?」
「あの初代イスラが。なんだか信じられない気もしますが、イスラがそう言うのならいろいろ考えたのかもしれませんね」
そう言って初代イスラを思い出します。
お世辞にも他人を気遣えるタイプには思えませんし、ましてや人間の敵である魔王の元へレオノーラが行くことを許すなんて想像もしていませんでした。
……うーん、考えこんでしまう。でもふと、左隣にいるイスラが笑っているのに気付きました。
イスラも初代イスラのことを思い出しているのか、目を細めて笑っています。
そんなイスラの様子に私はなんだか考えているのがバカらしくなりましたよ。きっと初代イスラにとって悪くない変化があったのだと思えましたから。
「イスラ、あなたも良かったですね」
「俺が?」
「時代は違うけれど良き友人ができました。友人とは良いものなのですよ」
私にも友人がいるから分かるのです。
私の十万年後の友人たちは今も私たちを心配して帰りを待ってくれていることでしょう。そしてこの時代にも友人ができました。それはレオノーラ。本人に確かめていませんが、私はレオノーラを友人だと思っています。
「あれが俺の……」
イスラは複雑な顔で呟きましたが、ふふふ、それは照れ隠しですね。
私は小さく笑うと、ここから少し離れた場所に視線を向けます。
そこにはデルバートとレオノーラがいました。
ここからでは二人の会話は聞こえませんが、それでも二人が親密なのが分かります。まさに甘い雰囲気の二人きりの世界というやつですね。
だって側ではゼロスが水桶を担いで「うみだよー! これがうみだよー!」と小魚に海を見せながらはしゃいでます。しかもクロードも一緒になって「あー! うー! ばぶぶーっ!」と声をあげて甲板をハイハイで行ったり来たり……。とても騒がしいと思うんですが、デルバートもレオノーラもまったく気にしていません。
でもそんな二人の睦まじい姿に温かな気持ちになりました。今までのことを思うと、どうかこのままでと願うほどに。
「デルバート様とレオノーラ様が幸せになるのは嬉しいですが、これからレオノーラ様は人間と敵対関係になるのですね……」
四界大戦が続く限り、それは初代イスラに剣を向けるということ。
それを思うと切なさが込み上げてしまう。
「……こればかりは仕方ない。だが今はそっとしておいてやろう」
「そうですね」
レオノーラが魔王デルバートの元へ来たのは、初代イスラがレオノーラを解放したと考えるべきか。それともレオノーラが初代イスラを解放したと考えるべきか。
どちらが正解なのか分かりません。ただ初代イスラの決断はとても大きなものだったことでしょう。
レオノーラがデルバートの元へ来て一時間ほどが経過しました。
私たちはまだ出港していません。船団の準備を整えるのは時間がかかることなのです。なにより上陸前の嵐で半壊状態になった船もありました。
他に人間も精霊族も幻想族も出港したという報せを聞いていないので、きっとどこも大変なのでしょうね。
船の客室でクロードをお昼寝させていると、ふと扉がノックされました。
「ブレイラ様、レオノーラです。少しよろしいでしょうか」
「どうぞ、入ってください」
声を掛けるとレオノーラが入ってきました。
ベッドでお昼寝しているクロードに気付くと申し訳なさそうな顔になります。
「すみません、お邪魔してしまいました」
「大丈夫ですよ、さっき眠ったところですから気にしないでください。こちらこそ、さっきはゼロスとクロードがお騒がせしてしまいました」
甲板でデルバートとレオノーラは二人の世界状態でしたが、飛んできた海鳥に興奮したクロードがハイハイで突っ込んでいってしまったのです。もちろんゼロスまでおおはしゃぎして、せっかく二人で親密だったのに騒がせてしまっていました。
「いいえ、楽しいくらいでしたから」
その時のことを思い出したのかレオノーラがクスクス笑います。
その微笑みに私は目を細めました。とても綺麗に笑うようになりましたね、ほんとうに綺麗です。
そんなレオノーラが改めて私を見ました。
そして緊張したような、でも興奮したような様子で話します。
「あの、聞いてくださいっ。さっきデルバート様が、今からイスラ様に会うと言ってくれました」
「え、それはっ……」
告げられた内容に息を飲みました。
だってそれはあまりにも非現実的で、都合がよく、夢みたいな。
でもレオノーラは興奮したように頬を赤らめて、潤んだ瞳を煌めかせて言葉を続けます。
「デルバート様が、私がこのままイスラ様と袂を分かつのは不憫と思い、魔王として勇者のイスラ様に会ってくださるとっ……」
「そ、それは本当ですかっ!? そんなことってっ……、ああでもすごいっ、そんなことがあるなんてっ……!」
思わず大きな声を出してしまう。
でもこれは仕方ないですっ。だって、だってこれはまるで奇跡!
興奮する私にレオノーラも何度も頷きます。
「今でも信じられませんっ。さっきデルバート様が言ってくださったばかりなのに、聞き間違えなんじゃないかと思ってしまってっ」
「こんな聞き間違いはありませんっ。言い間違いはもっと許されませんっ。デルバート様と初代イスラの歩み寄りは、敵対している魔族と人間の関係が変わっていく兆しになるかもしれませんっ。もしそれが上手くいったらっ……!」
「はいっ、もしかしたら四界大戦自体が……」
レオノーラが言葉を詰まらせました。
それは夢のような未来。もしデルバートと初代イスラが会談して正式に停戦すれば、四勢力の拮抗が崩れて精霊族と幻想族も戦争を続けることが難しくなります。
停戦が終戦となれば次は親交が結ばれることでしょう。
私はレオノーラに笑いかけます。
「そうなったら、堂々とデルバート様と一緒にいられますね。初代イスラとの関係を繋いだままデルバート様の元に。どちらか一つなんて選ばなくていいんです」
「そ、そんなことがっ……」
レオノーラが息を飲みました。
瞳に涙を滲ませて、こみあげる大きな感情に苦しそうな顔になってしまっています。
「う、うれしくて、胸がいっぱいでっ……。自分にこんな夢のような奇跡みたいなことが起きるなんてっ……。そんなこと、いいのでしょうかっ、わたしに、そんなっ……」
レオノーラは感極まって自分の手の平を見つめました。
その手は小さく震えています。
目の前に置かれた大きな幸せに興奮して、でもあまりにも大きな幸せで、……怖いのですね。
目の前の大きな幸せがあまりにも眩しくて、手を伸ばすことが、触れることが恐いのですね。
「レオノーラ様、これは夢ではありませんよ」
私はそう言うと、ゆっくりとレオノーラに手を伸ばしました。
そしてレオノーラの震える手をそっと、でも強く握りしめます。
「手を伸ばしてください。あなたのものです」
「ブレイラさま……」
「あなたのものですよ」
言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡ぎました。
するとレオノーラの瞳がみるみる潤んで、あっという間に涙が溢れ、頬を伝ってポタポタと落ちました。
「っ、ぅぐ、ブレイラさまっ……」
レオノーラが私の手を握ったまま蹲って背を丸めます。
嗚咽を噛みしめるけれど止められなくて苦しそう。
「レオノーラ様、よかったですね。ほんとうに、ほんとうによかったですね」
よかったですね、よかったですね、何度も繰り返してレオノーラの背中を撫でました。
今までたくさん傷ついてきたのです。でももうそれは終わってもいいのです。
レオノーラをデルバートの元へ行かせた初代イスラなら、きっとデルバートからの会談を無碍にすることはないでしょう。きっと、きっとすべて上手くいきます。
レオノーラは嗚咽を噛んで泣いていましたが、少しして恥ずかしそうに顔をあげました。
「ブレイラ様、……今、夢のような心地です。でも夢じゃないんですね」
「はい、夢ではありません。よかったですね、ほんとうに」
「はいっ……」
レオノーラは瞳の涙を指で拭うと小さく笑いました。
私も笑顔で頷くと、握りしめていたレオノーラの手をそっと離します。もう大丈夫、手は震えていません。
「ブレイラ様、私は今からイスラ様のところへ行ってきます。まだ島を出ていないはずなので」
「そうですね、早く初代イスラに伝えてください。叶うなら、この島で実現したいことです」
「はい、では行ってきます。お時間を取らせてすみませんでした。どうしてもブレイラ様に早く聞いてほしかったもので」
「教えてくれてありがとうございました。とても幸せな気持ちになれました」
「ブレイラ様、ありがとうございます。それでは失礼します」
「気を付けて行ってきてください」
そう声を掛けると、レオノーラは丁寧にお辞儀して部屋を出て行きました。
また部屋に静けさが戻りました。でも、ああいけません。口元が緩んでしまいます。レオノーラとデルバートと初代イスラのこれからを思うと、嬉しくて、幸せな気持ちになって、口元がニヤニヤニマニマ緩んでしまうのです。
「あうー……」
「わっ、クロード」
ふいに聞こえた赤ちゃんのうなり声。クロードです。
ベッドで眠っていたはずのクロードの目がぱちりと開いていました。
「あーあー、あうー」
こちらを見てなにやらおしゃべりするクロード。
これは私にお説教しているようですね。
「すみません、起こしてしまいましたか? 許してくださいね、とても嬉しいことがあったんです」
「あぶぅ、あー、うー、あい、あぶぶ」
「ふふふ、クロードはおしゃべりが上手ですね」
赤ちゃんの小言に笑ってしまう。
するとクロードが小さな手で布団をパシパシッ。からかわれたと思ったのかもしれません、怒らせてしまいました。
「ごめんなさい、もう少し眠っていていいですからね」
枕元に座って優しくトントンしてあげます。
顔を寄せると小さな手で口元をペチペチされました。ああ、口元がまだニヤけていたよう。
私はクロードの前髪を優しく梳くと、トントンして昼寝を再開させてあげました。
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