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第十章・幾星霜の煌めきの中で14

 レオノーラが出掛けて一時間ほどが経過したでしょうか。昼寝から目覚めたクロードを抱っこして甲板に出ます。  もちろん船はまだ出港していません。  出港準備中ということもありますが、それよりもデルバートと初代イスラが今後について会談をするのです。当然出港できるはずがありません。  甲板ではイスラがゼロスの剣の指導をし、ハウストは無造作に置かれた木箱に凭れて書物を読んでいました。  他に変わった様子はありません。どうやらレオノーラはまだ戻ってきていないようですね。  私はハウストに足を向ける。気付いた彼は顔をあげて迎えてくれます。 「ブレイラ、ありがとう。クロードはよく眠ったか?」 「はい、ぐっすりでした。目覚めもご機嫌ですよ。あなたもゼロスをありがとうございました」 「問題ない、途中からイスラの特訓が始まったんだ。その替わりこいつの面倒を押し付けられた」  そう言ってハウストが隣を指差します。  そこには水桶が置いてありました。もちろん中身はゼロスとクロードのお友達です。 「ふふふ、そのようですね」  私がクロードを連れて部屋に引っ込む前、水桶をもったゼロスがハウストによじ登っていたのです。もちろんハウストは引きずり降ろそうとしましたが、『もっとたかいところからみせてあげたいの!』とゼロスはしがみ付いて離れようとしませんでした。ハウストの高い肩車でどうしても海を見せてあげたかったようです。 『ちちうえ、もっとおっきくなって。もっとたかいのがいい』  ゼロスが肩車のままお願いしていました。まだ足りなかったようです。 『出来るわけないだろ』 『ちちうえなのに?』 『父上でもだ。俺にも出来ないことはある』 『ええ~、ちちうえなのに~』  ゼロスは不満そうに唇を尖らせてしまう。どうやら父上はなんでも出来ると思っているようですね。  でもイスラが鍛錬を始め、ゼロスも巻き込まれて特訓することになったようです。  私はクロードを抱っこしてハウストの隣に腰を下ろしました。  イスラとゼロスを眺めながら嬉しい話しをします。 「ハウスト、デルバート様とレオノーラ様のことは聞きましたか?」 「ああ、聞いた時は信じ難かったがな。……実は今も驚いている」 「ふふふ、私もです。でも悪いことではありませんよね、あんなに幸せそうなレオノーラ様を初めてみました」 「そうだな」  こうして話していると、デルバートが甲板に姿を見せました。  当事者の登場にワクワクが込み上げてしまう。お話しを聞きたくて手を振ります。 「デルバート様!」 「……お前か」  デルバートが私に気付いてくれました。  嫌な予感を覚えたのか顔を顰められてしまいましたが気付かない振りをします。  デルバートに向かって手を振っていると、根負けしたのかこちらに来てくれました。 「…………なんだ。その顔でなければ許してないぞ」 「すみません。でもどうしてもお聞きしたいことがあって」 「レオノーラから聞いたか」 「はい。レオノーラ様、とても嬉しそうでした。幸せそうな顔で話してくれましたよ」 「そうか」  デルバートの顔が少しだけ穏やかになりました。  きっとレオノーラのことを思っているのでしょう。 「デルバート様、私はとても驚きました。よく決心されましたね。初代イスラの決断もそうですが、あなたの決断も軽いものではないはずです」  四界大戦は十万年後にも史実として残る大きな戦争です。  魔族と人間の根深い敵対関係の構図を思うと、二人の王の決断はとても大きなものでした。 「まあな、あいつも俺もこれから根回しに奔走することになる。今回のことを納得している者は決して多くないからな」 「そうですね。でも、奔走すると決めているのですね」  そう言って笑いかけると、デルバートがムムッとして顎を引きました。 「……仕方ないだろ。ここで何もせずにいたらレオノーラの心はいずれ俺から離れることは分かっている」 「デルバート様?」 「お前も覚えているはずだ。この孤島の砂浜でレオノーラの前に現われた偽者は俺ではなくイスラだった」 「あ、そういえば……」  思い出しました。  海で嵐に遭遇した私とレオノーラとイスラは孤島の砂浜に漂着しました。その砂浜はゲオルクの術中で、望んだものが容易く手に入ったのです。そこでレオノーラの前に姿を見せたのは初代イスラの偽者でした。そう、レオノーラが望んでいたということ。レオノーラは自分が漂流した時でさえ初代イスラのことを一番に思っていたのです。 「レオノーラ様の為、なんですね」 「当然だ。俺はレオノーラのすべてが欲しい。身も心もすべてだ。レオノーラに憂いがあって、そのせいで心が離れるのは耐えがたい」 「そうでしたか。デルバート様らしい決断です」  温かな気持ちになって笑みが浮かびました。  そしておかしな気持ちにもなってしまう。 「ふふふ、どの時代も魔王様は魔王様なんですね」 「……どういう意味だ」 「そのままでいてください。私の好きな魔王様です」  私は小さく笑うと、ちらりとハウストを見ました。  すると目が合った彼はなんとも微妙な顔で私を見ています。彼にも自覚があるようですね、やっぱりどの時代の魔王様も同じです。  そんな私とハウストの密かなやり取りにデルバートも気付いて苦笑します。 「理由はもう一つあるぞ」 「もう一つ?」 「ああ、十万年後に出来たことが、この時代で出来ないはずはないからな」  デルバートはそう言うと、私とハウストを見ました。  次に私が抱っこしているクロード。その次に少し離れた場所で剣の特訓をしているイスラとゼロス。順に十万年後の四界の王たちを見つめます。  その眼差しは未来を力強く見つめるもの。 「はい、出来ます。必ずできます」  私はそう答えて笑いかけました。 ◆◆◆◆◆◆  ドドドドドドドッ!!  レオノーラは馬で森を駆けていた。  レオノーラの後ろには護衛として魔族の兵士が同行している。  そう、デルバートが敵対しているイスラと会談することになったのだ。  それはレオノーラにとって夢のような話しだった。  このままイスラと二度と会うことはないと思っていたが、この会談が上手くいけば魔族と人間の関係が変わる。そうすればレオノーラはデルバートもイスラもどちらも手放さなくていいのである。そんな奇跡のような、夢のようなことが実現するかもしれない。  レオノーラの胸は痛いほど高鳴っていた。  幸せで、怖いくらい幸せで、現実感を遠くに感じるほど。  でもこれは夢じゃない。今、目の前にある幸せ。手を伸ばせば届く幸せ。 『あなたのものですよ』  ブレイラがそう言ってくれた。  これはレオノーラの幸せ。  もうすぐ人間の船団に到着する。  そこにはレオノーラのイスラがいる。イスラはきっと驚くだろう。驚きすぎて不機嫌になってしまうかもしれない。でも一生懸命説得しよう。  レオノーラはドキドキしながら馬を走らせていたが、その時。 「うわあああ!」 「ぐあっ!」 「ギャアアアア!!」  背後を走っていた魔族の兵士達が悲鳴をあげた。  レオノーラがハッとして振り返ると、次々と落馬していく兵士たち。  突然のことにレオノーラは理解が追い付かない。  でも次の瞬間。  ――――ドンッ! 「っ、う……」  お腹に衝撃が走った。  ゆっくりと視線を降ろすと、腹部が真っ赤に染まっている。  ドサリッ……。全身が脱力して落馬した。  落馬で打ち付けた肩が痛い。でもそれ以上にお腹が熱い。 「ぅ、……あ、……」  言葉を発するも声にならない。  薄れゆく意識の中で、レオノーラは空に向かって手を伸ばす。  森の木々の隙間から陽が差して、眩しくて、そこにある光に向かって手を伸ばす。  力を振り絞って必死に手を伸ばす。  だって、もうすぐ届くはずだから。  それは、私のものだから。 ◆◆◆◆◆◆

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