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第十一章・星の神話16
「デルバート様! イスラ様! オルクヘルム様!」
初代王たちが振り返ります。
いつも不遜なデルバートも、小憎たらしい初代イスラも、どんな時も豪快に笑っているオルクヘルムも、とてもとても厳しい顔をしていました。ハウストもイスラもとても険しい顔です。
それだけで現状がいかに危ういかが分かります。一瞬でも集中力が途切れれば噴出するエネルギーを抑え込むことができなくなるのですね。
「なにをしているレオノーラっ、お前は早く地上へ戻れ!! できるだけ遠くへ逃げろ!!」
デルバートが焦った口調で言いました。
初代イスラも海底にいるレオノーラに舌打ちします。
そんな二人の様子にレオノーラは口元を僅かに緩ませました。
こんな状況だというのに微笑んだのです。瞳に涙を浮かべて、それはとても嬉しそうに。
「ありがとうございます。でも私はここから離れません。ここで祈り石になることにしました」
「なんだとっ……?」
「レオノーラ、お前……っ」
デルバートと初代イスラがひどい動揺を見せました。
大きな動揺に二人の集中力が途切れてしまう。
「馬鹿野郎ッ!! 気を抜くな!!!!」
咄嗟にオルクヘルムが崩れた防壁を建て直そうとします。
でも膨大なエネルギーの噴出に圧されそうになってしまう。
「――――ご苦労じゃった。貴様らだけでよく耐えたと褒めてやろう」
ふとリースベットの声がしました。側にはジェノキスもいます。
そして次の瞬間、リースベットによって強力な防壁魔法が発動します。
それは海底を強固に覆い、一時的にエネルギーの噴出を食い止めました。僅かながらも時間的猶予を作ってくれたのです。
「これだけの王が揃っていながら情けない。われに感謝するがよい」
「うるせーっ、てめぇは今までいなかっただろっ! こっちはどんだけ魔力使ってたと思ってんだ!」
オルクヘルムがすかさず言い返しました。
でもオルクヘルムも束の間の猶予にほっと安堵しているようでした。限界が近かったのです。
もちろんそれはオルクヘルムだけではありません。
「ブレイラ、無事か!?」
「ブレイラ!」
「ハウスト! イスラ!」
二人がすぐに私のところに来てくれました。
ハウストとイスラの無事な姿に安心します。
でもふいに。
「レオノーラ、どういうつもりだ!!」
デルバートが声を荒げました。
振り返ると、デルバートが恐ろしいほどの形相でレオノーラを見据えていたのです。
しかしレオノーラは静かな面差しでデルバートを見つめていました。
「お話しした通り、私の手でもう一度祈り石を完成させます」
「駄目だ、それだけは認められない!!」
「……星の崩壊を食い止められる可能性があるとしたらこれだけです。それはデルバート様も分かっているはず」
「それでもだ! それでも、それだけはっ……!」
デルバートは叫ぶように願いました。
祈り石を完成させるということは祈り石そのものになるということ。それは肉体の崩壊を意味しています。
デルバートは猛烈に反対し、初代イスラも睨むようにレオノーラを見ています。二人は悲しみと怒りが入り混じった顔をしていました。
私も反対です。だって、それではあまりにもレオノーラ様がっ。
「レオノーラ様、それ以外に方法がないというのは分かります。でもそれなら、せめて、せめて二人でっ」
「ブレイラ様、それはっ……」
「さっきも二人だから出来たんです。二人ならさっきのように強力に発動できます。だから一人で祈り石を完成させることだけはさせられませんっ……」
「……ブレイラ様、それがどういうことか分からないあなたではないはずです」
「レオノーラ様一人に背負わせるわけにはいきません」
そう言って私はレオノーラの手を握りしめました。
今レオノーラを一人にしたくなかったのです。
一人で祈り石になるということ、それは永遠の孤独。
穴を塞ぐために星の杭となり、この海溝の最下層、空から遠い深海でたった一人で星を守るのです。それは想像を絶する孤独でした。
レオノーラは今までずっと耐えてきたのです。ずっと理不尽な不幸と不運のなかでもがいて足掻いて、戦って生きてきたのです。それなのに、どうしてレオノーラだけが背負うのか。
今ここに祈り石になれるのは私とレオノーラだけ、ならばっ……。
「ブレイラ……!」
ふいに背後から叫ぶように名を呼ばれました。
振り返って唇を噛みしめる。イスラでした。
イスラは張り詰めた顔で私の腕を掴む。痛いほど掴まれて胸がしめつけられました。
「やめてくれっ。お願いだから、それだけは駄目なんだっ……!」
「イスラ……」
「頼むからっ、たのむから……!」
腕を掴むイスラの手が震えていました。
この子はとても強くて聡明なので、この危機を打開する方法は祈り石しかないということをよく理解しています。
でも同時に祈り石を発動させるということがどういうことか、それがどういう意味かも理解している。だから嘆きながらも困惑しているのです。優しい子です、ほんとうに。物分かりの良い聡明さがイスラ自身を苦しめてしまうくらいに。
「ブレイラっ……、ブレイラ……」
イスラが私の名を小さく繰り返す。
その声が力無く震えているのは、イスラにはすべて分かってしまっているから。
そう、イスラは分かっているのです。勇者として選択しなければならない正しい答えがあると。でもイスラは私を愛してくれているから、だから私の息子として拒否したい気持ちが強烈にあるのです。イスラの中で、勇者の自分と息子である自分がせめぎ合って苦しんでいる。
「イスラ」
そっと呼びかけました。
イスラの手にそっと手を重ねます。
「イスラ、覚えていますか? 家族でクロードの祈り石を採掘しに行った時のことを」
「ブレイラ……?」
「あの洞窟の夜、私はあなたに言いましたね。『あなたやゼロスやクロードは私を最初に捨てなければなりませんよ』と。覚えていますか?」
「…………覚えている。それが今だって言うのか?」
そう言ったイスラの声は震えていました。
飲み込みたくない現実に奥歯を噛み締めている。
あの洞窟の夜、私たちの十万年後の四界はとても平穏でした。四界と私を天秤に乗せる時など来るはずがないと思っていました。
だからあの時、そんな会話をしながら私もイスラも笑顔だったのです。世間話のような軽い口調で言葉を交わし、笑いあって、この幸せな時間がずっと続くことを疑っていませんでした。
私はイスラの手に重ねていた自分の手にぎゅっと力を込めます。そして手からふっと力を抜くと、イスラの手が……するりっと落ちました。
イスラはがくりっと項垂れて、私に表情を見せぬまま崩れ落ちてしまう。
私はイスラに手を伸ばそうとして、でも寸前で指を握りしめました。
ゆっくり顔をあげてハウストを見つめました。彼は悲しみと憤怒が入り混じった顔で私を見ている。握りしめる拳には血が滲んでいて、今すぐその手を両手で包んでしまいたい。
しかし今は振り切るようにデルバート、初代イスラ、オルクヘルム、リースベット、ジェノキスを順に見つめました。ここにいる全ての大人が苦渋の顔をしています。
大人だから分かるのです。王として、大人として正しい選択がなにかを分かっているのです。だから誰もが口を噤んで私とレオノーラを見ていました。
よいのです。それでよいのです。それが四界の王として正しい判断です。彼らはすべての民の保護者なのですから。
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