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第十一章・星の神話17
「レオノーラ様、始めましょう。時間がありません」
「ブレイラ様……。ああ、ブレイラさまっ……」
レオノーラが瞳に涙を浮かべました。
そうですよね、たった一人で深海に取り残されるのは恐ろしいこと。どうしてあなたを独りにできるでしょうか。
レオノーラに優しく笑いかけて、祈り石の欠片を握りしめているその手に両手を伸ばす。
レオノーラの手を祈り石ごと両手で包みました。
私たちの手中にあった祈り石の欠片が輝きだす。魔力無しの私たちに反応したのです。
祈り石の力が高まって足元に魔法陣が出現した、その時。
「わああああああああああん!! なにしてんの!! ブレイラはどこにもいっちゃダメでしょっ、ダメでしょ~~!! わああああああああんっ、わあああああああああああああああああん!!!!」
「あああああああああん! あああああああああああああああん!!」
頭上から幼い子どもと赤ちゃんの大きな泣き声が聞こえました。
見上げると鷹に乗ったゼロスが泣き叫びながらこちらに向かってくる。そんなゼロスの背中にはクロードがおんぶされていました。
今、理解する大人の絶望の中で、子どもと赤ちゃんの泣き声だけが異質に響きます。
ゼロスが私を見つめたまま鷹から飛び降りました。
「ブレイラ~~っ、……あぶっ!」
「あうっ!」
ああ、慌てていたのでゼロスが着地に失敗しました。
その拍子にクロードも背中からコロコロ転がり落ちてしまう。
でもゼロスはすぐにむくりっと起き上がると、クロードを拾って泣きながらこちらに駆けてきます。
「うわああああああん!! ブレイラ、どうしてかってにいっちゃったの!? ぼくとクロードびっくりしたでしょ!!」
ゼロスが泣きながら私の足にぎゅっとしがみ付きました。
ゼロスの小脇に抱えられていたクロードも脱出して私の足に抱きついてきます。赤ちゃんの小さな手で私のローブの裾を握りしめ、短い足でしがみ付いて、ぎゅ~っと抱きついてきます。
「うぅ、あああああああああん! あああああああああああああん!!」
「わあああああああああん!! ブレイラがぼくとクロードにいじわるした~! ダメなのにっ、ダメなのに~~っ!!」
二人はプンプン怒りながら大きな声で泣いていました。
クロードを一人残して私がいなくなったことで、ゼロスとクロードはとても不安になってしまったのです。
今、星は崩壊の危機に直面していますが、まだ幼い二人はその意味も重大さも分かっていません。でも二人は私がいなくなったことだけは分かって、それがとても恐くなって泣いてしまっているのです。
「うわあああああんっ。こら~っ、こら~っ。ぼくとクロードにいじわるしちゃダメでしょ~っ。おいてっちゃダメでしょ~っ。うええええええええんっ、えええええええん! ブレイラが~!!」
「あああああん! あいあ~っ、う~あ~! ああああああああああん!」
この場に異質に響く子どもと赤ちゃんの大きな泣き声。
二人はまだ幼いからなにも分からないのです。
今がどういう時で、どうしなければならないのか。
「ゼロス、クロード……」
名を呼んで、言葉に詰まって唇を噛みしめました。
胸が締めつけられて千切れてしまいそう。
でも今、私の痛みなどなんの救いにもならない。なんの慰めにもならない。
だから今、私は三歳と赤ちゃんの手を振り解かなければいけません。
まだ何も分かっていない二人だけれど、これからなすべきことを伝えなければなりません。
「ゼロス、クロード、……私から手を、てをっ……、はな」
「――――ブレイラ様、それ以上言葉にしてはいけません」
ふと、遮るようにレオノーラが言いました。
ハッとして向くとレオノーラが目を細めて微笑んでいました。
レオノーラは微笑んだまま言葉を紡ぎます。
「ブレイラ様、私から手を離してください。あなたが離すべきは私の手で、あなたの子どもの手ではありません」
「レオノーラさま、なにを……」
私は驚愕に目を見開きました。
私がレオノーラの手を離すということは、レオノーラがたった一人で星の杭になるということ。
永遠の孤独に取り残されるということ。
「レオノーラ様を独りには出来ませんっ。どうしてレオノーラ様がっ……。ダメですっ、ダメなんです……! そんなことあってはなりません!」
私はレオノーラの手を両手で握りしめます。
離しませんっ。この手を離してはいけないのです!
そんな私にレオノーラが少し困った顔になってしまう。でも。
「ありがとうございます、ブレイラ様。ありがとうございます、ありがとうございますっ……」
何度も繰り返すレオノーラ。
レオノーラの頬には涙が伝っていました。
私と同じ琥珀色の瞳に涙をたたえて、嬉しそうにぽろぽろと涙を零して微笑んでいたのです。
「ブレイラ様、充分です。そのお気持ちだけで充分なんです。ブレイラ様は私と繋がっているとおっしゃってくださいました。生まれた時代は違っても、私からブレイラ様に繋がっているのだと。そして今もこうして手を握ってくれている。それ以上なにを望むことがあるでしょうか」
「レオノーラ様、ダメですっ……」
私は首を横に振りました。
レオノーラは微笑んでいるけれど、そんなの嘘です。だって私が運命を共にしようと手を握った時、とても安心した顔をしたではないですか。
当然です。この壮絶な運命は一人で受け止められるものではありません。
しかしレオノーラは次に私の足にしがみ付いて泣いているゼロスとクロードを見ました。
「まだこんなに小さくて、こんなに泣いています。こんな幼い子どもたちからブレイラ様を取り上げることはできません」
レオノーラはそう言うとゼロスとクロードに話しかけます。
「ゼロス様、クロード様、ご安心ください。ブレイラ様は皆さまのところにちゃんとお返ししますよ」
「ううっ、ぐすっ、……ブレイラはどこにもいかないの?」
「あう~、あ~……、グスンッ」
「はい、行きません。大丈夫です」
レオノーラはそう答えてゼロスとクロードを安心させるとまた私を見つめました。
「ブレイラ様はイスラ様とゼロス様とクロード様に約束したんですよね。約束を破るなんてブレイラ様らしくありませんよ」
約束、それは『子どもたちが大きくなって私の手が必要となくなるまで側にいる』というものでした。
なにげない約束だけれどイスラが幼い頃から交わしてきた約束です。
私は堪らなくなって、ゼロス、クロード、イスラ、そしてハウストを順に見つめる。瞬間、胸がいっぱいになって涙が溢れてきました。
レオノーラの手を握りしめていた手がカタカタと震えて、私は、わたしはっ……。
「ああ、レオノーラさまっ……。ごめんなさいっ、ごめんなさい……! レオノーラ様、レオノーラさまっ……!」
「謝らないでください、ブレイラ様はなにも悪くありません」
「でもっ、でも……!」
「では、地上に私の欠片を残します。ブレイラ様と出会って私は多くのことを教わりました。そのなかで見た幸せの景色、今も忘れられずに私の胸の奥にあります。その幸せな場所に私の欠片を残しましょう」
「レオノーラ様の欠片……?」
「はい、私の欠片。私が星を守れたという証。それを幸せの場所に残し、いずれブレイラ様たちの手に渡ることを願います。だから寂しくありません。私は繋がっているのですから」
レオノーラはそう言うと、ゆっくりと、ゆっくりと私の手を解きました。
私の手は力無く落ちて、カタカタと震える指先を握りしめました。
そんな私にレオノーラは少しだけ困ったように笑う。まるで宥めるようなそれにまた涙が溢れてしまう。
「ありがとうございます。ブレイラ様に出会えたから私は夢を見ることができたんです。幸せな夢です」
「幸せな……夢」
「私が祈り石になることは幸せな夢を叶えるということ。ブレイラ様ならなによりもこの意味をご存知のはずです。だってブレイラ様は愛する人の愛する世界を愛する御方。愛する人の愛する世界を守ろうとする御方」
「レオノーラさま……」
言葉が出てきませんでした。
レオノーラが祈り石になる決意をした気持ちが痛いほど分かってしまうから。
「ブレイラ様、さようなら」
「レオノーラ様………………さようなら」
それは静かなお別れでした。
私たちの間にもう言葉は無意味なものとなったのです。
静まり返る中、精霊王リースベットが一歩進み出ます。
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