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第十一章・星の神話18
「ここから先はこの時代の王である我らの役目。十万年後に帰るがよい、そなたらの時代に」
リースベットはそう言うとジェノキスに目を向けました。
ジェノキスは重く頷くと懐から書物を取り出します。
「それはまさか……」
私は息を飲みました。
だって書物の表紙は見覚えのあるものだったのです。
「ああ、初代精霊王の禁書だ。こんな緊急事態もあり得るだろうと、リースベット様は急遽禁書の仕上げに取り掛かっていたんだ」
「そうでしたか、だからリースベット様とあなたは別行動を……。でも、こんな中途半端な状況で私たちだけ帰るなんて」
困惑してしまいました。
だって現状はとても厳しいものです。それなのに……。
しかし躊躇う私にオルクヘルムが「ああ?」と不機嫌になってしまいます。
「おい、誰に向かって言ってんだ。いい度胸してるじゃねぇか」
「そういう問題ではありませんっ、私は」
「そういう問題だ」
オルクヘルムが遮るように言いました。
そしてニヤリと笑って続けます。
「ここは俺たちの時代だ。てめぇらはてめぇらの時代を守ってろ」
「オルクヘルム様……」
オルクヘルムはフンッと鼻を鳴らすと、私の足にしがみ付いているゼロスを見下ろしました。
ゼロスはグズグズ泣いたまま私から離れようとしません。
「おい、チビガキもいつまで泣いてんだ」
「グスッ、かなしくなっちゃったんだから、しかたないでしょ! ……グスンッ」
「仕方なくねぇよ。……ステキな冥王なんだろ?」
オルクヘルムが思いがけないほど優しい声で言いました。
その言葉にゼロスはハッとすると濡れた目元をごしごし拭います。
「……うん、ステキなめいおうさま。……ズズッ」
鼻を啜りながらゼロスが答えました。
瞳と鼻が真っ赤なゼロスにオルクヘルムがおかしそうに豪快に笑います。
「ガハハハッ! それならさっさと帰って冥界でも守ってろ」
「…………おじさんは?」
「俺は幻想王だからな、この時代の幻想界をきっちり守ってやる」
「え、めいかいなのに?」
「おい、今それ言うか。……まあいい、とにかく俺は幻想界だ。チビガキは冥界なんだろ?」
「うん。……グスンッ」
「それでいい。チビガキは冥界を守ってりゃいいんだよ」
オルクヘルムはそう言ってゼロスを見つめます。
そんなオルクヘルムの目は眩しげに細められて、そこには万感が込められている。そう見えるのは気のせいではありませんね。
オルクヘルムは私に顔を向けます。
「心配すんな、ブレイラ。ちゃんと繋げてやるから」
「オルクヘルム様、ありがとうございます」
私は深々と頭を下げました。
そうですね、この初代時代と十万年後の時代は繋がっている。その尊さに胸がいっぱいになりました。
リースベットも朗らかに笑って同意します。
「心配せずとも世界はここで終わらん。必ずそなたらの時代に繋げよう」
リースベットはそう言うとジェノキスを見ました。
まっすぐな面差しで側近マルニクスの子孫であるジェノキスを見つめます。
「マルニクスの子孫たちには苦労をかけるが、……頼んだぞ」
「承知しました。万事お任せを」
ジェノキスが恭しく一礼します。
それは厳粛な臣下の礼ですが、ジェノキスは顔をあげるとニヤリと笑いました。
「精霊王に苦労してるのは俺の時代も変わってない」
「そうか。我の子孫は優秀な精霊王のようだ、安心したぞ」
「ハハッ、そう解釈したか」
ジェノキスは目を丸めるも楽しげに笑いました。
こうしてオルクヘルムやリースベットと言葉を交わします。その横ではデルバートとハウストが向かい合っていました。
「……そういうことだ。お前たちは自分の時代に帰るといい」
「…………。帰ったとして、あるのか? 俺たちの時代が」
「子孫の癖に先祖を舐めてるのか」
デルバートがイラッとして答えました。
しかしハウストは気にすることなく鼻を鳴らします。
「この時代で星が終焉を迎えれば俺たちの時代は存在しないだろ。俺の時代の魔界にどれだけの魔族が生きていると思ってるんだ。俺は十万年後の魔族の保護者だぞ、気にかけるのは当然だ」
「むっ、たしかに……」
あ、デルバートが納得したように頷きました。
しかしなにか思い至ったようで、デルバートはハウストとクロードを見ると勝ち誇った笑みを浮かべます。
「俺がいるから十万年後の魔界がある。お前が存在しているのだから、少しは信用したらどうだ」
思わぬ反撃に今度はハウストが目を瞬きました。
まさに意表を突かれたような顔。ハウストに比べてデルバートは少し真面目な気質なので、こんなふうに返されるとは思っていなかったのでしょう。
でもハウストは満足気に目を細めます。
「そうだったな。魔界は初代魔王デルバートから始まる」
そう、魔界という世界は初代魔王デルバートから始まるのです。デルバートが礎を築き、ハウストの時代へ繋がっているのです。
私はハウストとデルバートを見つめていましたが、次はイスラと初代イスラに目を向けました。
きっと二人の勇者も言葉を交わしあっているはず、……と思っていたのですが様子が違うようで。
イスラは初代王と言葉を交わしているハウストやゼロスを見てふむと頷くと、初代イスラを見ました。
「おい、俺になにか言うことないのか?」
「……知るか」
「フツーあるだろ。初代勇者らしくなんとか言えよ。血は繋がってなくても系譜みたいなもんだろ」
ほらほらとイスラがからかうような口調で言いました。
そんなイスラに初代イスラが不機嫌な顔になっていきます。
でもそれは照れ混じりの意地というもので、もちろんイスラにはお見通し。
ニヤニヤするイスラとムスッとする初代イスラ。憎まれ口を交わしあっているのになんだか楽しそう。
二人は勇者と勇者ですが、それ以上に対等な友人同士なのかもしれませんね。
しかしこの時間に終わりが近づいていました。
リースベットの防壁魔法陣に亀裂が走って今にも破られてしまいそう。
近づくタイムリミットにジェノキスがハウストに声を掛けます。
「そろそろ行くぞ。ここの上空にリースベット様と俺で時空転移魔法陣を展開させた。使えるのは一度きりだ」
「分かった」
ハウストは使役獣の巨大な鷹と蝙蝠を召喚しました。
「乗れ。時間がない」
ハウストの指示にイスラとゼロスが蝙蝠の背に乗りました。そんな二人に続いてジェノキスも。
「ジェノキスもぼくたちといっしょなの?」
「ああ、時空を超える時に魔法陣の魔力をコントロールしたい。というわけで俺は無防備になるから勇者様が守ってくれよ、俺を」
「どうして俺が……」
「ケチくさいこと言うなよ勇者様、頼んだからな」
「ぼくもまもってあげるね」
「おっ、頼もしいな」
そう言いあいながらも三人はいつでも飛び立てるようにしています。
私もクロードを抱っこして鷹の背に乗って、でももう一度レオノーラを振り返りました。
「レオノーラ様っ……」
「ブレイラ様も皆様も、どうかお元気で」
レオノーラはそう言って微笑しました。
とても穏やかに微笑むレオノーラに胸が締めつけられる。
でもレオノーラが笑っているのに私が泣くことはできません。私も微笑んで、静かに一礼しました。
心からの敬意です。
私はレオノーラの決断を栄誉とは思えません。星の終焉を回避する為の唯一の方法だけれど、尊い行為として称えることはできません。
だってあまりにも悲しい。どうしてレオノーラだけがこんな運命を受け入れなければならないのか。
でも、レオノーラの決断は充分理解できるものでした。
それしかないのです。
愛する人を守るには、愛する人の愛する世界を守るには、どうしてもそれしかない。
レオノーラはなにも世界を守りたくて祈り石になる決意をしたわけではありません。世界やそこに生きる民を守るのは王の役目なのですから。
だから、レオノーラが本当に守りたいのは初代イスラやデルバート、レオノーラが愛している者たちなのです。それは私にもよく理解できることでした。
もし私がレオノーラと同じ立場なら……。…………いえ、考えるのをやめましょう。それは今考えるべきことではありません。
今はレオノーラの姿を目に焼き付けます。
この姿を忘れてしまわないように。
「ブレイラ、行くぞ」
ハウストが私の肩に手を置きました。
小さく頷くと、鷹が翼を広げてふわりと浮上します。
レオノーラを見つめ続けるけれど、鷹は一気に上昇飛行してレオノーラの姿が小さくなっていく。
デルバートも初代イスラもオルクヘルムもリースベットも小さくなって、……ああもう見えない。
「っ……」
嗚咽が零れそうになって唇を噛みしめました。
姿が見えなくなって、ずっと我慢していた涙が溢れてしまう。
「ブレイラ、この時代でもう俺たちの出来ることはない」
「はい……。っ、う……」
頷いて涙を拭った私に、抱っこ紐のクロードが「あい」とハンカチを差し出してくれました。
クロードが小さな手で握りしめていたハンカチです。時々むにゃむにゃしゃぶるので冷たく湿ってしまっている。
こんなに小さい。いずれ立派な魔王様になる赤ちゃんだけど、まだこんなに小さいのです。
ハンカチを受け取ってクロードに笑いかけました。
「クロード、ありがとうございます」
「あいっ」
クロードの頭を撫でて、近くを飛行している蝙蝠に目を向けました。
そこにはイスラとゼロスの姿がある。そう、私はイスラとゼロスとクロードのために帰る決意をしたのです。
そして間もなくして私たちは海を抜けて地上へ飛びだしました。その先、さらに上空へ上昇します。
空を見上げました。
上空には巨大な時空転移魔法陣。魔法陣は私たちの時代に繋がっています。
「このまま突っ込むぞ!! ジェノキス!!」
「ああ、任せろ!!」
ハウストが膨大な魔力を発動しました。
リースベットが展開してくれた魔法陣ですが魔力の供給が必要です。そしてそれをコントロールするのはジェノキスでした。
二人の力によって時空魔法陣が強烈な光を放つ。
目の前に迫った魔法陣。
私は最後に海を振り返りました。
嵐に見舞われた海面に穴が開いたような空洞ができています。その穴の最奥、遥か海溝の海底には一人の人間と四人の王。
その姿はもう見えないけれど、五人に星の命運が託されているのです。どうか、どうか願わくば……。
「ブレイラ、伏せてろ」
「はいっ……」
衝撃から守るようにハウストが後ろから覆い被さってくれました。
私は懐のクロードをしっかりと抱きしめてぎゅっと目を閉じる。
そして時空転移魔法陣に突っ込んだ瞬間、ドンッと全身に衝撃波が襲いかかりました。それは呼吸が飛ぶほどの衝撃でしたが。
「ブレイラ、目を開けていいぞ」
ハウストの言葉にそっと目を開ける。
視界に映ったのは……、――――フェリクトール、フェルベオ、他にも懐かしくも見慣れた人々。
「……ああ、帰ってきたのですね」
ため息が漏れました。
それは帰れた安堵のため息か、それとも初代時代への心残りか……。
今、私たちは自分たちの時代に帰ってきたのです。
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