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第十二章・三兄弟のママは神話を魔王様と3

「最後だ。寄越せ……」  三十人目の子ども。つい数日前に生まれたばかりの赤ん坊である。  顔はくしゃりとしてまだ表情は乏しい。体だって両手に収まるほどだ。  オルクヘルムは小さな赤ん坊を受け取ると、また黙々とおむつを替えた。 「オルクヘルム様、もうおむつ替えなどやめてくださいっ。幻想王様にそのようなことをしていただくわけにはいきません……!」  見兼ねた女官が嘆くように言った。  今のオルクヘルムはベッドから起き上がるのも困難なほど衰弱しているのだ。  心配する母親たちや女官にオルクヘルムは苦笑する。 「この初代幻想王オルクヘルムをダセェ王にする気かよ……」 「ダ、ダセェ……?」  思わぬ答えに母親たちや女官が首を傾げた。  そんな反応にオルクヘルムは面白そうにニヤリと笑う。 「今どきおむつも替えられない王なんてダセェからな。どうだ俺もなかなか上手いだろ?」 「たしかにお上手ですが……」  母親たちと女官は首を傾げながらも感心していた。  たしかにオルクヘルムのおむつを替える手付きは初めてのものではなかったのだ。 「教わったんだ。赤ん坊のミルクの温度にも充分気を付けろ、火傷したら可哀そうだろ」 「教わった……?」 「そうだ、今どきの王は赤ん坊の世話くらいできなきゃやべぇんだ」 「やべぇ……、ですか」  母親たちと女官はますます困惑した。  オルクヘルムはガハハッと笑い、ベッドを囲んでいる自分の子どもたちを順に見る。そして最後は手中にいる末っ子の赤ん坊を見下ろす。  三十人の子どもを作った。自分でもなかなか上出来だと思う。  やがてこの子どもたちも大人になって自分の子を作り、オルクヘルムの子孫は増えていくだろう。遥か先まで続いていくだろう。それは幻想界の繁栄である。  だが遠い未来、すべてが途絶える。幻想界は滅亡する。  滅亡は確定の未来で、それを知った時は憤怒した。絶望して憤怒し、そんな未来など捻り潰してしまおうと思った。  しかし。 『めいおうのゼロスです! よろしくおねがいします!』  あのお気楽すぎるチビガキの笑顔が脳裏に浮かんでしまう。  明るい声まで耳に甦って、オルクヘルムは口元に笑みを刻む。  なんなのだ、あのチビガキは。  殺してやろうと思ったのだ、本当に。幻想界滅亡が確定の未来なら、その未来の象徴を殺してやろうと。  ……でも出来なかった。まだ幼い冥王は創世したばかりの冥界を命懸けで守ったのだ。  オルクヘルムは手中の赤ん坊に目を細めた。  幻想界はやがて滅亡するだろう。だが滅亡した果てに新たな世界が創世する。  それはオルクヘルムの幻想界ではないかもしれないが、どうしてだろうか、繋がっていると信じられる。 「……なにがステキな冥王様だ。チビガキが」  呆れた口調で呟きながら目を優しく細める。  オルクヘルムの血は途絶えるけれど不思議と悪い気はしていない。  …………ああ、瞼が重くなってきた。 「……眠くなってきた。ひと眠りする」  オルクヘルムは手中の赤ん坊を母親に託すと、昼寝をしようとベッドに横になった。  キラキラ輝く温かい陽射しにいざなわれて静かに目を閉じる。  瞼の裏に浮かんだのは遥か未来の光景だった。  ……ああ、たしかに見えるぞ、創世した冥界に新しい冥王が君臨する姿が。チビガキの癖に生意気だ……。  オルクヘルムの閉じた目尻が緩む。  ポカポカした陽気に包まれて、とても気持ち良くて口元まで緩む。  その寝顔は穏やかな昼寝のそれである。  だが、その目はもう二度と開くことはない。  木漏れ日の美しい日、オルクヘルムは眠るように永逝したのだった。  初代幻想王オルクヘルム・崩御。  ――――精霊界。  オルクヘルムが崩御したことはリースベットもすぐに分かった。  森を散歩していたリースベットは空を見上げて冥福を祈る。  世界は四つに分かたれたが空は一つ。すべての世界と繋がっている。  そしてまたリースベット自身の死期も近づいていた。  朝を迎えて夜を見送るたびに情景の深みが増している。死に対して感傷的になっている自分にリースベットは可笑しさがこみあげた。  今もほら、不思議と花が美しい。  朝露に濡れた薄桃色の花びらがキラキラ輝いて見える。  昨日も同じ場所に咲いていたのに、今日は格別に美しく見えるのだから不思議なものだ。  ふと一人の男が姿を見せた。側近マルニクスだ。 「お休み中に申し訳ありません。報告に参りました」 「マルニクスか、散歩に付き合え」 「承知しました」  マルニクスがリースベットの後ろに控えた。  隣に呼び寄せたつもりなのだが、律儀にも一歩下がった位置に控えるマルニクス。相変わらず生真面目な男だと内心苦笑した。  リースベットは杖を突いて散歩を続ける。歩幅は狭く、ゆっくりした歩調にかつての凛々しかった面影はない。 「それで、結界の様子はどうじゃ。変わりないか?」 「はい、安定しております」 「ならばよい」  リースベットは頷いた。  初代王によって結界の礎が築かれた。  結界は世界を区切る壁となり四界大戦が強制的に終結した。それは喜ばしいが同時に他の世界との断絶をもたらした。これから時代が進むにつれて他の世界とはますます隔絶されていくだろう。  だが、それをしてでも守らねばならない。 「マルニクス、貴様に預けた御子の様子はどうじゃ」 「お健やかに育っています。最近では文字を読み始めました」 「そうか、悪くないな。われに似て優秀なようじゃ」  リースベットは満足して笑う。  一年前、リースベットは赤ん坊を出産した。元気な女の子である。  夫は誰か分からない。十人の男と体を重ね、その中の誰かの子種で赤ん坊を孕んだのだ。  リースベットにとって誰が夫かなどどうでもいい。大切なのは自分の血を引く子どもであるということ。自分の力を受け継いだ王の子であることが重要だった。  なぜなら初代四界の王はレオノーラから祈りの祝福と加護を与えられ、神格となったのだから。  神格の存在となったゆえに結界が発動でき、後世に渡って守る役目が課せられたのである。  その為、血を残すことこそが最優先。そのこともあってリースベットは子を作り、後見人をマルニクスに決めて育てさせている。  結界の礎は初代王が築いたが、維持と強化は後世の王たちの役目。リースベットは自分が死んだ後、自分の棺の上に玉座を造るように命じてある。そう、王が玉座に座ることで四界の結界が守られるように。  こうしてリースベットは自分の死後も結界を守るための手筈を整えているのだ。  そしてそれはリースベットだけではなく、他の四界の王たちも充分心得ていることだった。

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