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第十二章・三兄弟のママは神話を魔王様と4
「マルニクス、少し休みたい」
「ではあちらの木陰へ」
マルニクスに促されて木陰の岩に腰を下ろした。
リースベットは側で起立しているマルニクスを見上げる。
「マルニクス、われはもう長くない。最後に頼みがある」
「なんなりと」
「われに寄越せ。マルニクスの血を」
突然のことにマルニクスは目を丸めてリースベットを凝視する。
その反応に小さく苦笑しながらリースベットは言葉を紡ぐ。
「禁書を守るために禁術を施行する」
「禁書を封じるということですか?」
「そうじゃ。この星に課せられた終焉の真実をすべての時代の民が知ることはない」
どの時代に生まれ落ちるも運命である。
繁栄を謳歌する恵まれた時代もあるだろう。逆に災厄と虐政に苦しむ時代もあるだろう。
どの時代に生まれたとしても、その時代のなかで運命に足掻いたり夢見たり諦めたり、そうやって人は幸せを模索しながら精一杯生きるのだ。
しかし星の終焉だけは違う。
星の終焉とは無慈悲な終了。人々の喜びも悲しみも足掻きも夢も希望さえも、突然幕が降ろされて等しく終了をもたらす。
それは想像を絶する恐怖である。恐怖に苛まれて生きるくらいなら最初から知らなければいいのだ。
だがそれでも、それでもそれが許されない時代がやってくる。
それは結界が限界を迎え、レオノーラが解き放たれる時代。
「マルニクス、よく聞け。レオノーラの祈り石も四界の結界も永遠ではない。遠い未来、星のエネルギーの噴出に耐え切れずに星の杭は砕け、四界の封印は破られるじゃろう。その時、四界はまた星の終焉に直面することになる」
「……その時まで禁書を封印されるのですね」
「われの封じた禁書が出現する時代、そこに生きる者たちは星の終焉を目にするだろう」
そう言ってリースベットは目を伏せる。
リースベットは悟っていた。おそらくそれは十万年後だということを。
十万年後のブレイラたちがこの初代時代に時空転移してきた。その理由はゼロスとクロードを追ってきたというものだが、はたしてそれは偶然だろうか。
そもそもなぜゼロスとクロードは時空転移したのか。
そして十万年後の精霊界で初代時代の禁書が発見されたとジェノキスが話していた。その発見された禁書というのはリースベットが封じる禁書のこと。
「われの禁書は十万年後への警告とする。マルニクス、その血をもって禁書を守れ」
「それはあなたの望みですか?」
「そうじゃ。出来るかマルニクス」
リースベットは静かに迫り、そして予言のように言葉を紡ぐ。
「長い年月が過ぎゆくなかで『十万年後への警告』という目的は忘れ去られ、われの子孫がお前の一族に疑念を持つこともあるだろう。場合によってはお前の一族を滅ぼすこともあるだろう。それでもわれに捧げてくれるか、お前の血のすべてを」
それは臣下への要望である。
しかし同時に情熱的な愛の告白。
リースベットは一度として『好きだ』とも『愛している』とも伝えたことはない。
マルニクスはリースベットに忠誠を誓っているが、マルニクスが口付けを交わして愛を告げるのはリースベットではない。それをリースベットは分かっている。ずっと、ずっと前から分かっている。
「出来るか?」
「はい、あなたの仰せのままに」
「われの子孫がお前の子孫を殺すことになっても?」
「あなたに命を捧げた身、すべてはあなたのものです」
「……マルニクス、感謝する。今日よりお前の三人の息子はイスター家、ウェスター家、シェスター家と名乗ることを許す。お前の血が続く限り禁書を守り続けよ」
「承知しました」
マルニクスはそう言うと手を差しだす。
リースベットが手を重ねると指先に口付けられた。
それは誓いの口付け。
愛の誓いではないけれど、永遠を約束する口付け。
「…………少し疲れた。肩を貸せ」
「失礼します」
マルニクスがリースベットの隣に腰を下ろす。
すぐ側にマルニクスの体温を感じてリースベットはそっと凭れかかった。
この男と愛を語り合ったことはない。口付けを交わしたことも、体を重ねたこともない。でも今……、男の繋いでいく血を手に入れたのだ。
業の深さにリースベットは苦く笑う。
でもその時、マルニクスの遥か先の子孫であるジェノキスの姿が浮かんだ。
するとなんだか可笑しな気持ちがこみあげる。
「リースベット様、機嫌がよろしいようですね。なにか思い出されましたか」
「ああ、お前の」
ジェノキスの話しをしようとして、でも口を閉ざす。
マルニクスにはジェノキスが子孫であることを伝えていない。マルニクスは勘が良い男なので察しているかもしれないが、ジェノキスの一族に起こった悲劇を思うと話すことを躊躇ってしまった。
だが。
「あの男、いい男でしたね」
ふとマルニクスが言った。
遠い眼差しで語るマルニクスはどこか誇らしげな顔をしている。
そんなマルニクスの横顔にリースベットは眩しそうに目を細めた。
「ああ。……いい男じゃった」
リースベットは小さく笑う。
ふと視界に映った花がいつにも増して美しい。なぜか今日の花は格別に。
リースベットは静かに花を見つめていた。
愛した男の肩に凭れ、目を閉じる最後の瞬間まで。
初代精霊王リースベット・崩御。
――――魔界。
その日は朝から雨が降っていた。
しとしと降る雨は魔界全土を覆っている悲しみの涙のよう。
今、初代魔王デルバートの臨終が近かった。
賢帝と称される初代魔王は多くの魔族に敬愛されている。別れが近いことに魔界全土が悲しみに沈んでいたのだ。
サアァァ……。
サアァァ……。
曇天の空から小雨がしとしとと降りそそぐ。
デルバートの耳に雨音が心地よく響いていた。まるで愛おしい声音のように。
「…………夢か」
デルバートはゆっくりと目を開け、掠れた声で呟いた。
たしかに夢を見ていたはずなのになんの夢か覚えていない。
ぼんやりした視界に映るのは、枕元に控えた側近士官と五人の妃たち。五人の妃はそれぞれ幼い子どもを抱いていた。
側近士官が心配そうにデルバートを伺った。
「お目覚めですか、魔王様」
「ああ、眠っていたようだな……」
ゆっくり身を起こす。
目を覚ましたデルバートにどの顔も一様にほっと安堵を浮かべた。
その様子にデルバートは苦笑すると窓の景色を見た。
バルコニーに繋がっている大きな窓である。
窓からは山脈の絶景が見えていたが、デルバートが見つめるのは山脈ではない。山脈の向こうには海が広がっている。そう、海が。
「外へ行く……」
「ま、魔王様!?」
側近士官が慌てて引き止めようとしたが、デルバートは構わずにベッドから降りた。
ゆっくりした足取りでバルコニーへ向かう。
側近士官が傘を差そうとしたが、「構うな、一人にしろ」と控えさせた。
デルバートは雨にいざなわれるようにバルコニーに出た。
小雨が降る中、広いバルコニーの先に向かって歩く。ここから海は見えない。でも少しでも海の近くに、レオノーラの近くに行こうとするように。
「魔王様、お待ちください!」
ふと背後から呼び止められた。
デルバートが迎えた一人目の妃である。
世界が分かたれてからデルバートは五人の妃を迎えて一人ずつ子どもを作った。
一人目の妃の子どもは次代の魔王にするために。他の四人の妃の子どもは大公爵の称号を与えて魔界の東西南北を守らせるために。
その為だけに五人の妃を迎えて五人の子どもを作った。
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