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第十二章・三兄弟のママは神話を魔王様と6

 三日目。  イスラは岬から微動もしていない。  風を感じながら静かに海を見つめているだけだった。  四日目。  イスラは岬から微動もしていない。  食事も水も口にせず、眠る時も岬から離れない。  腹が空いているのかもしれないが、なにも感じていなかった。寒さも暑さも感じていない。ただここで海を見つめるだけだ。  五日目。  イスラの視界が霞みだしていた。  指先一つ動かすのも億劫なほど衰弱し、眠っている時間が長くなった。意識を繋いでいられる時間が短くなっていたのだ。  そんな夢現の中でレオノーラを思い出す。  いつも言葉少なに静かに控えて、当たり前のようにイスラを愛してくれていた。  イスラはそれが理解できなかった。憎まれる理由はあっても愛される理由がないのだ。理解できないことが怖かった。  でも今、十万年後の勇者イスラとブレイラを思い出すと、それが少しだけ理解できるような気がした。  ブレイラと十万年後のイスラ、二人は親子なのだと言っていた。血は繋がっていないがそれでも親子なのだと。  最初はバカバカしいと思っていた。しかし不思議なもので、二人を見ているうちに自分の中でレオノーラに対する知らない感情が芽生えたのだ。  ……いや違う。自分は初めからその感情を知っていた。芽生えたのではなく呼び覚まされた。  それはまだイスラが幼かった頃、レオノーラを純粋に慕っていた頃のものだ。イスラは自分を命懸けで守ってくれたレオノーラを特別に慕うようになった。レオノーラはイスラにとって初めて心を許せる存在になったのだ。そして、そんなレオノーラを守りたくてイスラは誰よりも強くなったのである。 「っ、レオノーラ……、ああレオノーラ……っ」  イスラの頬に涙が伝った。  幼い頃の感情が鮮明に甦り、イスラの胸を苦しいほどいっぱいにする。  そして理解する。自分がどうしてここを死に場所に選んだのか。  その答えは一つ、レオノーラの側にいたいからだった。  償いなどではない。自分はそんな殊勝なことをする人間でもなかった。  ただレオノーラの一番近くで眠りたかったからだ。  イスラはレオノーラが好きだ。とても、とても大好きだ。  それは愛欲を伴なうものではなく、ただ純粋に愛している。レオノーラもイスラのことを純粋に愛してくれていた。  それだけの話し。  昔も今も、それだけの話し。 「レオノーラ……、だいすきだ。大好きなんだっ、……愛している。愛しているっ……」  ゆっくり言葉にした。  言葉にすると最初からそこにあったかのようにしっくり馴染む。  染み入るように理解し、納得する。ただ愛しているだけなのだと。  イスラの瞳に最後の輝きが宿る。  強い面差しでまっすぐ海を見据えた。 「レオノーラ、許せとは言わない。お前に償うことなどない。ただお前を愛している。それだけだ」  そう言ってイスラは最後の魔力を発動し、剣を出現させた。  そして誓う。 「俺の死をもってお前に不変を誓う! 勇者の存在がお前の為にあるように! お前の剣と盾となるように!」  厳かな勇者の誓い。  イスラは自分に残るすべての命を昂らせ、激しく燃やし尽くす。  剣にすべての魔力を宿し、そして。 「レオノーラ、お前に全てを委ねる!!!!」  ザンッ!!!!!!  大地に剣を突き刺した。  凄まじい衝撃波が広がり、人間界の大地に初代勇者の力が刻まれる。  そう、これから生まれてくる歴代勇者の力が四界の結界となるように。星の守りになるように。  初代勇者はここで死んで朽ち果てる。しかし大地に刻まれた力は結界を守り続けるだろう。  不変の誓いは次の勇者、また次の勇者へと引き継がれていく。それはやがて十万年後の勇者へと。 「ぐっ……」  ドサリッ……! イスラは地面に倒れた。  最大量の力の放出に体が限界を迎えたのだ。  イスラは仰向けになって空を見上げる。  青空に白い雲が浮かんでいた。雲は穏やかな風に乗って流されていく。  あの雲はどこまで流れていくのだろうか。きっとどこまでも流れていくだろう。空は一つ、すべての世界と繋がっているのだから。  イスラは起き上がろうとして……苦笑した。  だめだ。もう起き上がることも出来ない。指一本動かすこともままならない。  イスラは空を見上げたまま口元だけで笑う。 「…………イスラ」  友人の名を呟いた。自分と同じ名前の勇者の名を。  その姿が脳裏に浮かぶ。  優しく寛大、聡明で勇猛、どんな時も真っ直ぐに前を見据えている男だった。何者にも屈しない強い男だった。  そしてブレイラを真っ直ぐに愛していた。  ブレイラを愛しているイスラの姿に、自分が未来へと引き継ぐものの答えを見た気がして、こんな時だと言うのに笑えてくる。 「イスラ、……お前なら間違えない」  イスラは掠れた声で呟き、静かに目を閉じた。  もう目を開ける力も残っていない。  その時、穏やかな風が吹き抜けた。  ふわり、優しい風がイスラの頬を撫でていく。  …………気持ちいい。  閉じた瞼、前髪、頬、鼻先をゆっくりと撫でるように優しい風が吹く。  その感触が気持ちよくて、なんとも心地よい。  イスラは優しい風を感じながら……静かに息を引き取ったのだった。  初代勇者イスラ・崩御。  初代勇者イスラの永逝により初代時代が終わった。  礎を築いた初代王の意志を引き継ぐのは次代の王たちである。  四界を分かつ結界も引き継がれて玉座に座ることで結界を守り続けたのだ。  だが四界の王のなかで勇者は血を残さなかった。  初代勇者が没してから二百年後、人間界の結界が弱化を始めた。このまま人間界の結界が消滅するのではないかと危ぶまれたが、人間界の大地に奇跡が生まれる。  そう、勇者の卵。  人間界の大地に抱かれるように勇者の卵が出現したのだ。  卵は魔力無しの人間によって拾われ、その手中で勇者が生まれた。勇者に玉座はないが、その存在だけで結界が維持強化されたのだ。  これにより人間界の結界は持続された。  人間界に勇者の卵が出現するのは時代が勇者を必要とした時。必要とされた時に勇者は生まれ、人間の王として人間界を守ったのである。  しかし不思議なことに勇者の卵が孵化するには条件があった。条件は卵が魔力無しの人間の手中にあること。  勇者の卵は魔力無しの人間の元でのみ孵化し、その時代で使命を全うしたのだ。  そして他の四界の王にも常人には見られない現象が起きることがあった。  魔界、精霊界、幻想界は初代四界の王の子孫たちが玉座を引き継いだが、中には世界を滅ぼしかねない暴君もいた。しかしその時、次代の王の成長が急激に早まる現象が起きたのだ。まるで世界が世界を守ろうとするように。  それらはなんらかの意志を感じさせる現象だったが、その意味に気付く者はいなかった。そう、悠久の時間が過ぎるなかでレオノーラの存在も結界の意味も忘れ去られたのだ。  こうして四界は初代時代が過ぎても次の時代、そのまた次の時代へと時を紡いだのだった。 ◆◆◆◆◆◆  ジェノキスが読んで語ってくれた初代精霊王の禁書。  シンッと静まり返った広間にジェノキスの声だけが響いていました。  初代四界の王が辿った結末に、誰も言葉を発することができなかったのです。  広間の中央にいるハウストは腕を組んで目を閉じ、イスラも真剣な顔で聞き入っていました。  私も言葉が見つかりません。……ただ切なさに胸が痛い。  でもこの公式の場では淡々と時間が過ぎていきます。 「――――以上が初代精霊王リースベット様の禁書です。なにか質問は?」  ジェノキスが王たちを見回します。  ジェノキスにとっても深い意味のあるものでしたが、彼は冷静に報告の役目を果たしていました。  フェルベオが報告書を見ながら訊ねます。

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