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第十二章・三兄弟のママは神話を魔王様と8
「イスラ、私です。……入りますからね?」
声を掛けて扉を開けました。
寝所には明かりが灯っていましたがイスラの姿がありません。
不思議に思いましたが庭園に出られるガラス扉が開いていることに気付きます。
庭園に出ると、心地よい夜風が頬を撫でました。
見上げると月が煌々と輝いている。美しい月夜です。
庭園の小道を少し進むと、ビュッ、ビュッ、と風を切る鋭い音が聞こえてきます。そちらへ足を向けると月明かりの下に人影が。イスラです。
イスラは真剣な面差しで剣を素振りしていました。
深く集中している様子、まるでなにかを断ち切ろうとするように。
声を掛けられなくて見つめていると、イスラが私に気付きました。
「ブレイラか」
「邪魔をしてごめんなさい」
「邪魔なわけないだろ? どうしたんだ、こんな時間に」
「あなたこそこんな時間に剣の鍛錬ですか? それとも……眠れませんでしたか?」
そう聞くとイスラは眉を上げました。
でも小さく苦笑して剣を鞘に収めます。
「ブレイラ、こっちへ」
側まで来たイスラが私の背中にそっと手を回して大理石の東屋に促してくれます。
一緒に東屋へ入るとチェアに座らされました。
「月が綺麗な夜は冷える。着てろ」
「ありがとうございます」
イスラが東屋に置いていた自分の上掛けを私の肩にかけてくれました。
私はイスラの上掛けを見つめ、その温もりに口元が綻びます。
イスラはシャツを脱ぎ捨てて汗を拭く。鍛えられた肉体は鋼のような筋肉に覆われて逞しく、まだ成長途中でありながらすらりと均整の取れた肢体です。
私にとってはいつまでも子どもですが、イスラは以前よりも大人びた面差しになりました。振る舞いも洗練されてちょっとした仕種ですら目で追ってしまうほど。
イスラは汗を拭くと私の隣に腰を下ろしました。
裸の上半身はまだ熱を持っていて鍛錬の余韻を引きずっています。
「随分熱心に鍛錬をしていましたね」
「なにも考えたくなかったんだ」
「そうでしたか……。ふふふ、ゼロスを寝かしつけるのにも時間がかかったんですよね」
「…………あれと一緒にするな。と言いたいけど、今回ばかりはな」
「そうですね、私も同じ気持ちです……」
沈黙が落ちました。
イスラも報告が終わってから物憂げな顔を見せていました。
レオノーラと初代王たちの結末は簡単に受け止められるものではなかったのです。イスラは初代イスラと友人になっていたので思うところもあるでしょう。
「イスラ」
呼びかけるとイスラが振り返ってくれます。
私は優しく笑いかけて、イスラの額にちゅっと口付けました。
突然のことに驚いたように目を瞬くイスラ。大人びたと思ってましたが、その反応は可愛いですね。
私はゆっくり立ち上がりました。
邪魔をしてはいけないような気がしたのです。イスラは優しいので私がいると気遣わせてしまいます。
「私は先に休みます。あなたも落ち着いたら休みなさい」
相手がゼロスなら添い寝で寝かしつけてあげられますが、イスラ相手では逆に困らせてしまいそう。だからせめてあなたの顔を見て、触れて、私はここにいると伝えておきたかった。
私は肩に掛けてくれていたイスラの上着を脱いで、それを今度は私がイスラの肩へ。月の綺麗な夜は冷えてしまいますからね。
「鍛錬の後は湯浴みをして温かくすること。冷えてしまいますよ」
「ハハッ、ブレイラは心配性だな」
「あなたのことですから」
そう言って笑いかけるとイスラの肩に手を置いてもう一度額に唇を寄せました。
イスラも私の頬に口付けて穏やかに目を細めます。
「ブレイラ、大好きだ。愛してるぞ」
「突然ですね」
「いつも伝えてるけど、今夜も伝えておきたかった」
「ふふふ、ありがとうございます。私もあなたを愛しています」
「ありがとう。おやすみ、ブレイラ」
「おやすみなさい、イスラ」
私はイスラの目元に口付けると東屋を後にしました。
こうして私は子どもたちの見守りを終えて本殿の寝所に戻ります。
今夜は眠る前にどうしてもイスラとゼロスの様子を見ておきたかったのです。
「戻りました、ブレイラです。入りますね」
ノックとともに声を掛けて寝所に入りました。
ハウストが寝所のチェアに座って書物を読んでいました。
近くにある赤ちゃんベッドではクロードがスヤスヤ眠っています。
「ご苦労だったな」
「あなたこそクロードをありがとうございました。大変じゃなかったですか?」
「大丈夫だ。自分でミルクを飲んだ後、ベッドで転がっていると思ったら寝ていた。寝入る時に自分で自分の胸を叩いてたぞ。大丈夫なのか?」
ハウストが少し心配そうな顔で言いました。
どうやらハウストはクロードが自分で自分をトントンしていてびっくりしたようです。
「ふふふ、いつもトントンしてるんです。この子はトントンされながらハンカチをしゃぶっていると気持ちよく眠れるようです。今夜は私がいなかったので自分でするしかないと思ったのかもしれません」
「そういうことか、だから寝る前に自分の胸を指差してなにか喚いていたんだな。俺は妙な趣味でもあるのかと思ったぞ」
「ハウスト、あなた……」
あなたそういうとこありますよね。
一応クロードもハウストに訴えてみたようです。でもハウストには伝わらず、断念して自分で自分をトントンしたのですね。えらいですよクロード。
「おやすみなさい、クロード」
私は気を取り直してスヤスヤ眠るクロードを覗き込みます。
指でそっと前髪を梳いて、イスラやゼロスと同じように額に口付けを。良い夢が見られますように。
私はクロードの頬をそっと撫でると、ハウストを振り返りました。
ハウストは読んでいた書物をテーブルに置いて立ち上がる。
私のところに来たかと思うとガシリッと腕を掴まれました。
「ブレイラ、行くぞ」
「え?」
突然のことに目を丸めてしまう。
でもハウストは女官にクロードの見守りを命じると私を連れて寝所を出ました。
「ハウスト、いったいどこへ行くんですか?」
「すぐそこだ」
「はあ……」
訳が分かりません。
困惑しながら腕を引かれて歩いていましたが、城の廊下や回廊を進むにつれて行き先を理解しました。
「ついたぞ」
そう言ってハウストは地下への階段を降りた先で立ち止まる。目の前には古い扉があります。
そう、そこは――――神域。
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