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最終章・その日、レオノーラは雨だった。

『さようなら。どうかお元気で』  レオノーラは海底の亀裂に身を投じた。  落下とともに祈り石の欠片が強烈な光を放ってレオノーラを取り込んでいく。  落ちていく。落ちていく。奈落へ落下するように暗闇の中を落ちていく。  後悔は……あるかもしれない。もっとイスラやデルバートの側にいたかった。  でも自分で祈り石になると決めた。  怖くなかったと言えば嘘になる。一人で亀裂に飛び込んだ時は怖かった。でもそれは一瞬、凄まじい勢いの落下に恐怖は吹き飛んで意識も遠のいていく。  薄れる意識の中でレオノーラは四つの光球を見た。四大元素の巨人だ。  こんな時だというのに、なぜか光球が目の前に出現したのである。  守るように光球に囲まれて、ああ……レオノーラはため息をついた。  この四体の巨人が何者か、その真実に気付いたのだ。それは祈り石になろうとしなければ辿りつかなかった真実。  なぜなら、この巨人は星を守護する星の化身だから。  今、光球はレオノーラを守るように取り囲んでいるが、これは決してレオノーラに優しいものではない。 「だからなんですね……」  レオノーラはぽつりと呟いた。  星を守れるのが祈り石だけだから、だから孤島へ来るときも巨人はレオノーラとブレイラをいざなった。  だから今も巨人はいざなっている。レオノーラに星を守らせるために。  深い深い海の底へ、海底の亀裂のさらに底へ、奈落へといざなっている。  レオノーラは最後に空を見上げた。  この場所から空は見えない。でも遥か頭上にはイスラとデルバートがいる。そしてその先のずっと未来にはブレイラがいる。 「だいじょうぶ……、つながっていますから……」  レオノーラは遥か未来を見つめるように優しく目を細めた。  やがて足先から徐々に体が消滅していく。  消滅して祈り石へと姿を変えて。  それは一瞬のこと。  レオノーラは祈り石の完全体となり、巨大な星の杭としてエネルギーの噴出を食い止めたのだった。  祈り石となったレオノーラは人間ではなくなった。  肉体は消滅し、魂は祈り石と同化する。  祈り石は星の杭。  誰にもレオノーラは見えない、触れられない、聞こえない、匂わない、感じられない。  しかし星の杭として祈り石と同化したことで、レオノーラは夢を見るように全てを見つめることができた。  レオノーラは時に陽射しになり、花になり、草木になり、石になり、大地になり、雨になり、雪になり、風になり、川になり、海になり、世界のあらゆるものになって世界を静かに見つめた。  レオノーラが祈り石になって三年後。  初代四界の王が永眠する時がきた。  初代幻想王が逝去した。レオノーラは暖かな陽射しになって見つめていた。  初代精霊王が逝去した。レオノーラは美しい花になって見つめていた。  初代魔王が逝去した。レオノーラは優しい雨になって見つめていた。  初代勇者が逝去した。レオノーラは包み込むような風になって見つめていた。  しかし初代勇者は死ぬ間際、レオノーラに不変を誓った。  玉座を拒み、勇者という存在のすべてをレオノーラにゆだねたのだ。  初代イスラが逝去し、海風に晒されていた遺体はやがて朽ちていく。肉や臓器は腐って骨だけとなる。  勇者は不在となったが、人間界が窮地に陥った時に奇跡が起こる。勇者の卵の出現だった。  レオノーラは初代イスラの誓いを受けとめたのである。  その証として人間界には勇者の卵が出現するようになった。  そう、勇者の卵とはレオノーラが人間に与えた救いだったのだ。  それから百年、千年、万年の年月が流れた。  世界は繁栄と衰退、秩序と混沌、栄華と零落、戦争と平和、それらが人の営みのなかで繰り返されていた。  レオノーラは時に陽射しになり、花になり、草木になり、石になり、大地になり、雨になり、雪になり、風になり、川になり、海になり、世界のあらゆるものになって世界を静かに見つめた。  そして九万年が経過した頃、当代幻想王が他の世界を滅ぼして『神』になろうとした。  しかし野望は潰え、幻想界は封じられて冥界となる。  そして冥界の冥王は孤独という罰を受けた。  永遠とも思える孤独に冥王ゼロスは嘆き、怯え、憤怒し、涙した。ゼロスはただただ寂しかったのだ。  レオノーラはこの時、冥王を封じる暗闇だった。  レオノーラは知っている。  冥王は一万年後に一人の人間と出会うということを。  その人間によって冥王が孤独から救われることを。寂しさで冷たく縮こまった心が優しい温もりに抱きしめられることを。  レオノーラは暗闇となって冥王を見つめていた。  それから一万年後。  魔界は暗黒時代を迎えていた。残虐非道の魔王が支配する治世だったのだ。  暗君の魔王は神の力を求めて暴虐の限りを尽くし、秩序を破壊し、同胞すら虐殺した。  この脅威は三界全土に波及するもので、人間は勇者の出現を望んだ。三界の王に対抗できるのは三界の王のみ。魔王から人間界を守れるのは勇者のみだったのである。  そんな折、とうとう人間界に勇者の卵が出現した。  それと同時に魔王の世継ぎが叛逆する。首謀者の名はハウスト。  決起したハウストは魔界全土に号令し、多くの魔族が従って魔界を二分する戦争となったのだ。  戦況が拮抗する中、『人間が勇者の卵を魔王に捧げた』という報せが飛び込んできた。  そう、人間界の有力者が自分の身を守るために勇者の卵を魔王に渡したのだ。  ハウストは衝撃を受けた。それはハウストの反乱軍側からすれば人間の裏切り。  それだけではない、三界全土を危機に陥れる愚行。神になる条件は三界の王の力を手に入れることで、その一角である勇者の卵が魔王の手に渡ったのだから。  人間の裏切り行為に反乱軍は劣勢に立たされた。裏切りによって多くの魔族が殺されたのだ。  その日、レオノーラは雨だった。  人間界の嵐の夜。  暗闇に紛れてハウストは森に潜伏していた。  父親である魔王との戦いで深手を負い、人間界の森に逃げ落ちたのだ。  ハウストは追っ手から逃れて森の奥へと入っていく。  今、魔王の厳命を受けた魔族の兵士が血眼でハウストを捜索していたのだ。  ハウストは大樹の木陰に身を潜めて追っ手をやり過ごす。  あの魔族の兵士たちもハウストを発見できない咎で見せしめに処刑されることだろう。  数えきれないほどの同胞が殺された。戦って死んだ者、冤罪で処刑された者、無抵抗なまま殺された者、たくさんの魔族が非業の死を遂げたのだ。  ハウストは懐から紫の卵を取り出した。それは勇者の卵。  そう、ハウストは激闘の末に魔王から勇者の卵を奪取したのである。  魔王の暗殺は失敗したが勇者の卵は奪取することができた。魔王から神になる手段を奪ったのだ。  勇者の卵を見つめ、ハウストは冷ややかに目を細めた。鳶色の瞳に帯びるのは憤怒と憎悪。  今、手中にある卵は人間の王である。  人間の裏切りで多くの同胞が殺された。  ……いっそこのまま勇者の卵など握り潰してしまおうか。  片手に収まるほどの小さな卵だ。少し力を入れただけでいとも簡単に砕くことができる。  足元から暗い殺気が立ち昇った。  絶望と憎悪に背を押されて殺意を抑えきれない。  ザアザアッ、ザアザアッ。  雨音がやけに大きく聞こえる。うるさいほどに。  じわじわと手に力を込めたが、…………バカバカしいと舌打ちした。  雨音がうるさすぎて気が削がれたのだ。  なにより倒すべきは当代魔王。手中の卵を握り潰したところで意味はない。  意味もないことを考えるのは疲れているからだ。  少し休もうと森の奥へと歩きだす。  しばらく嵐の森を進むと孤児院が見えてきた。無人であることを願ったが残念ながら孤児院は今も使われているようだ。  立ち去ろうとしたが、……ぐらり。眩暈を覚える。  見ると左腕が赤く染まっていた。思っていたより出血が酷い。しかも体は雨で冷えきり、疲れきった体は限界が近かった。  ハウストはずるずると座り込む。  このまま目を閉じて眠ってしまおうかと思った、その時。 「誰かいるんでしょう!? 隠れてないで出てきてください!」  ふと少年の声がした。  孤児院から少年が出てきたかと思うと、ハウストを見つけて駆け寄ってくる。  怪我をしているハウストに少年は驚いて孤児院の書庫へと入れてくれた。  少年は怪我をしたハウストの治療をし、雨に濡れた体に暖をとらせようとする。  こうして冷え切った体が徐々に温まっていった。  だから、かもしれない。  だから気まぐれに名を聞く。 「名は?」 「ブレイラと申します。……あなたは?」 「俺はハウストという」  少年はブレイラと名乗った。  名を聞いたのはハウストにとって気まぐれだった。  だから勇者の卵を渡したのも気まぐれ。  人間とはいえ少年に世話になったことには変わりない。少年が生活に困れば卵を売ればいい、ハウストは今夜の礼のつもりで渡したのだ。  そんなハウストの内心を知らず、ブレイラはハウストからの贈り物を受け取った。不思議そうにしながらも大切そうに両手で包んだ。  ブレイラの両手に包まれる勇者の卵。  ハウストはブレイラに優しく接しながらも冷ややかに見ていた。恩は感じているが人間であることに変わりない。  ハウストにとっては気まぐれ。勇者の卵がどうなろうと魔王の手に渡らなければそれでよかったのである。  すべては気まぐれ。  たまたま雨で体が冷えて、それが温められたから。  たまたまブレイラが魔力無しの人間で、伝承にある卵を孵化させる条件に適っているから。勇者が誕生するか否かは勇者の運命の問題だ。  ザアザアと雨が降る中、孤児院の書庫でハウストはブレイラとともに一夜をすごしたのだった。  その日、レオノーラは雨だった。  雨は静かに見つめていた。  ハウストからブレイラへ勇者の卵が託された瞬間を。  十万年の時を超えて運命が回りだした瞬間を。  雨は静かに見つめていた。  その日、レオノーラは雨だった。 完結 ―――――――――――――――――――――――――― 次ページから番外編です。 神話が完結しました! 長い連載でしたが完結までお付き合いしてくれてありがとうございました。 神話は行方不明になったゼロスとクロードから始まり、四界の王や祈り石の謎についていろいろ書きました。初代四界の王とレオノーラをしっかり書ききれて良かったです。 今回の神話の物語はシリーズ完結に向けての大きな布石になる物語でしたので、とにかく完結できたことにほっとしています。 長丁場でしたが読んでくれて本当にありがとうございました! この神話でイスラ15歳、ゼロス3歳、赤ちゃんなクロードは終わります。神話ではゼロスとクロードを成長させることができたので、次作から三兄弟はさらに成長です。 次作ではイスラは完全に大人ですね。ブレイラが初めて出会った頃のハウストくらいでしょうか。イメージ的にはだいたい23歳くらいを考えています。 ゼロスは15歳の青少年。クロードは5歳くらいかな。 神話から三年後くらいの物語を書いていく予定です。 あと二作でシリーズ完結予定ですので、本格的な次作の執筆に入る前に構成や設定などの確認作業してます。がんばります! 次作の前に神話の番外編がありますので、まずそちらをどうぞ。 この番外編で現在の年齢設定は終了です。 神話番外編は6作書く予定です。 以下のとおりです。 ・魔王一家視察旅行(西都編)※web公開予定です ・魔王一家視察旅行(南都編) ・魔王一家視察旅行(東都編) ・魔王一家視察旅行(北都編) 魔王一家が視察という名の家族旅行です。 魔界の東西南北を旅行する話しをそれぞれ書こうと思います。 行った先でいろいろあります(笑) 詳細な内容はまた書きますね。 ・イスラ馴染みの酒場にゼロスとクロードが勝手に行く話し。 タイトル『どうしてちちうえとブレイラはぼくにダメっていうの?』 ※web公開です。 ・イスラが子ども化する話し。 古書の呪いで体だけでなく記憶まで子どもの頃に戻ってしまう話し。 ゼロス「あにうえなのに、ぼくとおなじくらいになってる!」 イスラ「あにうえ?」 みたいな感じです。 ※Twitterのプライベッターで公開予定です。 上記のとおり6作の番外編を予定しています。 その内の3作は電子書籍や同人誌の書き下ろしになりますのでよろしくお願いいたします。 番外編のWeb公開後、神話は非公開になりますのでご注意ください。 では神話は完結しましたが次ページから番外編です。 よろしくお付き合いください。

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