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番外編①「どうしてちちうえとブレイラはぼくにダメっていうの?」4
その頃、イスラは王都の歓楽区を歩いていた。
朝から王立博物館の研究所で禁書の研究をしていたが、腹が減ったので行きつけの酒場『ワイルドハート』に向かっていた。
現在、四界全土の研究者は禁書の解明に総力を注いでいる。
魔界でもあらゆる研究施設が禁書の解明に乗り出し、イスラもそれに協力しているのだ。
勇者が当然のように魔界の研究所に出入りするのは奇妙な図ではあるが、そのことについて指摘する者はいない。そもそもイスラは魔界育ちの勇者で魔王の第一子である。むしろ聡明なイスラは研究熱心な学者たちに歓迎され、勇者の智慧を求められることも多かった。
歓楽区の大通りをまっすぐ歩き、二つ目の角を曲がってまた大通りへ、しばらくまっすぐ歩くと右角に店がある。そこが酒場ワイルドハートだ。
休憩中の札が出ているが関係ない。
「邪魔するぞ」
「すみません、さっきランチタイムは終わ、……なんだイスラか」
「なんだとはなんだ。腹が減った、日替わりを頼む」
イスラは当然のようにカウンター席に座った。
太々しくも不遜なイスラに店主は呆れるが、これはいつものことである。勇者はふらりと訪れると気ままに過ごしていくのだ。
店主は注文の日替わり定食の調理を始める。
イスラは待ちながらなんとなくメニューを開いた。時間潰しだ。
他意なくメニューを眺めていたイスラだがドリンクページで目が止まる。
「…………おい、なんでソフトドリンクばっかりメニューが増えてるんだ? しかも恋人専用の」
イスラが不思議そうに聞いた。
ここは酒場なのに増えたのはソフトドリンク。しかもハート型のストローを使用する恋人専用ドリンクの種類ばかりだ。
二人で一つのグラスからハート型ストローで飲むというふざけたドリンクメニューである。
「お前の父親からメニュー増やしとけって命令されたんだ」
「はあ?」
なんでハウストが……と思ったイスラだが、店主は当然のように答える。
「魔王命令なんだぞ。逆らえると思うか?」
「そこは逆らえよ。魔王命令に屈するな」
「王妃様が気に入ってくれているんだ」
「それなら仕方ないな。気合い入れて新メニューを開発しろ」
勇者、一瞬の手の平返し。
思い出すのは以前ブレイラが酒場に来た時のことである。
ブレイラはハウストととても嬉しそうに恋人専用ドリンクを飲んでいた。イスラにも「私たちは親子ですが、こういうのは好き合っていればいいですよね?」と一緒に飲みたがってくれたのだ。
その時のことを思い出すとイスラの口元が無意識に緩んで………コホンッ。咳払いして口元を引き締めた。
「隠しきれてねぇよ」
「……黙ってろ」
「ハハハッ、相変わらずだな。魔王様も勇者様も王妃様には敵わず、か」
「フンッ、当然だ」
「ハハッ……」
店主の笑い声が萎んでいく。
からかうつもりがきっぱり肯定されて笑うのもバカらしい。
思春期らしく建前だけでも否定してくれれば可愛げがあるのだが、イスラはブレイラのことに関して一切の偽りを持たない。まっすぐ愛しているのだ。
「ほら日替わり出来たぞ。スープは試作品だ、感想言えよ?」
カウンターにランチの日替わり定食がおかれた。
試作品があれば試食するのはこの店でのイスラの役目だ。
こうしてイスラは少し遅い昼食を馴染みの酒場で楽しむのだった。
弟たちがここを目指しているとも知らずに……。
北離宮・ブレイラの執務室。
ブレイラが執務をしていると側近のコレットが声を掛ける。
「ブレイラ様、失礼します」
「どうしました?」
「先ほどゼロス様とクロード様の世話役から報告が入ったのですが」
少し困ったような口調のコレット。
そんな様子にブレイラの表情も変わっていく。幼い二人の世話役からの報告というだけで嫌な予感しかしない。
「…………あの、嫌な予感がするんですけど」
「お察しのとおりです。ゼロス様とクロード様の御姿が見えなくなりました。最後の目撃者によるとゼロス様がクロード様を背負って門の方角に向かったとのことです」
「ああ、やっぱり城外へ……」
ブレイラは思わず天井を仰いだ。
こうなる予感はしていたのだ。そう、ゼロスが酒場の話しをしていた時から。
きっとゼロスとクロードが向かった先は酒場『ワイルドハート』。
以前からゼロスは酒場に興味津々だったので、いつかこんな日が来るのではないかと思っていた。
ゼロスが普通の三歳児なら興味があっても実行不可能なまま終わっていくが、相手は三歳でも冥王なのである。普通なら不可能なことも可能になってしまう。勝手に城から出てしまうことも簡単なのである。
「仕方ありませんね、ハウストにお話ししましょう」
ブレイラはそう言うとハウストがいる本殿に向かうのだった。
会議を終えたハウストは執務室に戻っていた。
執務室にゼロスとクロードの姿はない。それにほっとする。あの二人はなんだかんだ理由を付けて戻ってきてしまうこともあるのだ。
『ちちうえ、かいぎおわった~?』
とか言いながら扉の隙間から顔を覗かせてもおかしくない。
そうなる前にハウストは会議後の執務に取り掛かったが。
コンコンコン。
ノックの音がした。
ハウストの目が据わっていく。
もちろん無視だ。反応すれば相手の思う壺なのだから。
コンコンコン。コンコンコン。
またノックの音がした。
しつこいノックにハウストはイラッとする。
コンコンコン。コンコ
「しつこいぞ、俺は仕事中だ。邪魔をするな」
ノックを遮るように低い声で言い放った。
ノック音が止まり、扉の向こうからしょんぼりした雰囲気が漂ってくる。可哀想だと思わなくもないがあのゼロスとクロードには反省が必要だ。
ハウストは断固とした対応をすると決めていた。ここで甘やかすつもりはない。
だが扉の向こうから聞こえてきたのは……。
「……そうですよね、お仕事中でしたよね。邪魔をしてごめんなさい」
ガタガタンッ!
ハウストは椅子を引っくりかえす勢いで立ち上がった。
「待てブレイラ!! さっきのは誤解だ!!」
ハウストは慌てて追いかける。
最悪だ。ノックをしていたのはブレイラだったのだ。
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