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番外編①「どうしてちちうえとブレイラはぼくにダメっていうの?」10

「それでブレイラとハウストはここに来ているのか」 「はい、店主様のお店に行く前にハウストとちょっと散歩を……」  ようするにデートである。  魔王と王妃が手を繋いで散歩デートを楽しんでいたということだ。  もちろん二人は正体を隠してデートをしていたわけだが。 「おい、もしかしてあれは……」 「勇者様があんなに親しげに……。それって、もしかして」 「いやいや、いやいやいやいや、ここは歓楽区だぞ。こんな場所に……、いやいやそんなまさか」 「でも勇者様は歓楽区に来てるぞ?」 「それじゃあっ……」  観衆がざわつきだした。  息を飲むほどの美形カップルが現われたと思ったら勇者ととても親しげな様子。あの勇者が見たこともない優しい顔でヴェールの麗人に接しているのである。  しかもこの美形カップル、魔族なら一度は見たことがある顔をしていた。  見たことがあるといっても会ったことがあるとかそういう意味ではない。絵画とか新聞とか式典とか、そういう意味でだ。  イスラは観衆の様子に苦笑し、ブレイラの耳元にこっそり囁く。 「……ブレイラ、まずい。バレたみたいだ」 「えっ、隠れてきたのに……」  ブレイラが被っていたヴェールを両手で抑える。  でももう遅い。観衆はすっかり動揺している。目の前の信じ難い現実に思考が停止しているようだ。  大きな騒ぎになってしまうかと思われたが、ふとイスラがブレイラの動きに気付く。 「ブレイラ?」  ふいにブレイラが一歩前へ出たのだ。  その動きに観衆の視線が引き寄せられる。  ブレイラは観衆の気を引いたまま、ゆっくりとヴェールを巻くってみせた。  ざわりっ……、ざわめく観衆。  ヴェールで隠されていた美貌が顕わになって、間近で目にした王妃の姿に観衆は息を飲む。  ブレイラは観衆をゆっくりと流し目で見ると、にこりっと穏やかに微笑みかける。そして唇の前で「しーっ」と人差し指を立てた。  艶めいた仕種と優しい微笑。  ブレイラは何ごともなかったようにまたヴェールを被り直した。  それだけだ。たったそれだけだったが。 「ど、どどど、どどどうやら見間違いみたいだっ!」 「ああ! こ、こんな所に魔王様と王妃様がいるわけないもんな!」 「そうだぜっ。俺たちは何も見てない! よく似てるけど見間違いだ!」 「そうだそうだっ!」  観衆は興奮で高調しながら口々に言いあった。どの顔も真っ赤になってドキドキを隠しきれていない。  明らかにバレているのだが観衆は気付いていない振りをすることにしたのだ。  ブレイラはひと安心するとハウストの隣に戻る。 「ハウスト、良かったですね。皆さんは知らない振りをしてくれるようです」 「……お前、魔族を惑わすなよ」  ハウストは少し呆れた顔で言った。  ハウスト的には言いたいことがたくさんあるが、自分が惑わされた魔族代表みたいなものなので複雑だ。  でも今は王都を出歩いている次男ゼロスと末っ子クロードのことだ。 「イスラ、ゼロスとクロードを知らないか? この辺りをうろうろしていると思っていたんだが」 「さあ、知らな…………」  イスラの答えが途中で止まった。  知らないと思っていたが、思い当たることが一つ。 「……そういえば店に男が助けを呼びに来た時に、幼児と赤ん坊がトラブルに巻き込まれているって言っていたな。それじゃないか?」 「たしかに、それしか考えられませんね」  ブレイラも納得したように頷いた。  トラブルに巻き込まれて無事でいる幼児などゼロスしかいない。  その時、王都警備兵の一人がハウストに報告に来る。 「失礼します。先ほどの賭博師のことでご報告が」 「なんだ」 「はっ、賭博師を尋問したところ、賭博師の仲間が幼児と赤ん坊を追跡しているようです。赤ん坊をおぶった幼児は賭博師たちのいかさまを見破っていたとのことです」 「赤ん坊をおぶった幼児……。一人しかいないな」  決定的だった。  赤ん坊をおぶって大立ち回りをする幼児などゼロスしかいない。 「そうと分かればゼロスを追いましょう! ここからならきっともう酒場についています! 早く行かないとゼロスとクロードがあの賭博師の仲間に襲われているかもしれません!」 「ああ、そうだな。……といっても、あの酒場の店主とゼロスをどうにか出来るとは思えないが」 「た、たしかにそうですが……」  冥王のゼロスはもちろん、店主は精鋭部隊の元大隊長という経歴である。いかさま賭博師が束になったところで太刀打ちできることはない。 「それでも急ぐんです! 早くゼロスとクロードを助けてあげないと!」  だがそうと分かっていてもブレイラは焦るのだ。  こうしてブレイラとハウストとイスラは酒場『ワイルドハート』へと急ぐ。  ブレイラを真ん中にして三人が走りだした。  立ち去る三人を観衆が手を振って見送ってくれる。 「勇者様、助けてくれてありがとうございました!」 「勇者様、また飲みに行こうぜ!」 「ありがとうございました~!」  歓声とともに手を振っている。  たくさんの声を掛けられたイスラは軽く手をあげていた。  そんなイスラの姿にブレイラは自分のことのように嬉しくなる。成長とともに一人でふらりと出掛けることが多くなっていたので、自分の知らないイスラが垣間見えた気がして嬉しくなったのだ。 「ふふふ、仲良しなんですね」 「……うるさいだけだ」 「またそんな言い方をして」  照れ隠しだと分かっているブレイラは小さく笑ってしまう。  だが。 「勇者さま~! また俺の店にも遊びに来てくださいね~!」  ふと掛かった声。  振り向くと娼館店主。自分の店の看板の前で「待ってますよ~!」と手を振っていた。  しかも店主の後ろには色っぽく着飾った娼婦や男娼たちが笑顔で手を振っている。 「勇者様、また遊びましょうね~!」 「今度こそ私を選んでね~!」 「勇者様ならタダでもいいわ! 絶対遊んでね!」  イスラは苦笑して手をあげた。  歓楽区ではいつものことなのだ。  だが。 「……また? イスラ、『また』とはどういうことです」 「ッ、ブレイラ!!」  イスラはハッとして振り返った。  ブレイラの顔から笑顔が消えている。 「ち、違うっ、誤解だ! 遊ぶってそういうことじゃなくてっ」 「誤解ってなんですか。私が誤解するようなことをしているのですか? 『また』に『また』以外の意味があるのですか? 『また遊びましょう』ということは、過去に何度か遊んだということですよね。だいたい遊ぶってなんですか」 「ブレイラ、早口になってるぞ……」 「ハウストは黙っててください」  ぴしゃりと遮られてハウストは閉口した。  ハウストはイスラを申し訳なさそうに見る。 「悪いなイスラ。力になってやれない」 「おい、誤解を深めるような言い方するな! それじゃあ俺がほんとに遊んでたみたいだろ!」 「だから誤解ってなんですか」 「イスラ、違うのか?」  ややこしい。  大変ややこしいやり取りをしながら三人は走る。  しかしややこしくても真剣だ。 「ブレイラ、ほんとに違うんだっ。遊ぶってそういう意味じゃなくて、たまたま酒場で集まった時にみんなで騒いだだけだからっ」 「…………お友達ということですか?」 「そうだ、ただの友達だ! 断じてやましいことはない!」 「…………ほんとですか?」 「ほんとだ! だからブレイラが怒るようなことは」 「…………怒ってません」 「え……」 「怒ってません」  ブレイラが拗ねた顔で言った。  誤解して怒ってしまったことが恥ずかしくなったのだ。 「うん、そうだなっ。怒ってなかった。ブレイラは怒ってないっ」  素早く切り替えるイスラ。  さすが勇者、ブレイラに対してだけ発揮する勇者の特技である。  しかし。 「ブレイラ、……面倒くさいぞ」 「ハウストっ」  呆れた顔のハウストにブレイラがムッとする。  こうして三人はややこしいやり取りをしながら酒場『ワイルドハート』を目指すのだった。

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