382 / 719

第382話

途端にざわざわと空気が揺れる。 聞こえてくるのは、「翼さん」「翼さんだ」と呟く、会場内の人たちの声で。 まるで珍獣にでもなった気分だ。 「もう、ヤケ食いしてやるんだから」 ガツっとビュッフェ台から取り皿を持ち、遠巻きにジロジロと向けられる視線の中を、ズカズカと歩いてやる。 まるで見えないバリアーがあるみたいに、俺が進むとその分だけ人が後退り、俺の周りだけ綺麗にまぁるく空間が空いている。 あぁ、これが火宮の傍らに立つということか。 これまでも、事務所内でそれなりに遠巻きにされてはいたけれど、その比じゃない。 「俺が偉くなったわけじゃないんだけどなぁ」 そんなに俺に対して構えたり、緊張してくれなくていいと思うんだけど。 ぐるりと周囲を見回した俺は、いつの間にか、いきなり間近に立っていた真鍋に気づいて、ビクッと身を竦めた。 「わっ、真鍋さんっ」 「はぁっ、まったくあなたは」 「なっ、いきなりっ、側にいないで下さいよっ」 びっくりしたなぁ、もう。 ドキドキと激しく波打つ心臓をなだめながら、ジトッと真鍋を睨む。 思わずお皿を落としてしまわなくてよかった。 「驚かせてしまい申し訳ありません。ですが、主役のあなたが上座から離れ、勝手にうろつかれるのはおやめ下さい」 「っ、だって…」 「お料理をお食べになりたいのでしたら、そう仰っていただけば、お席までお運びいたしますので」 それはそれは見事な無表情なのだけど、口調だけが完全に呆れている。 「そんなの、悪いし、それに好きなものを見て選びたいし…って、そもそも食べようと思ってこっちへ来たわけじゃなくて…」 元々は、火宮が意地悪ばっかり言うから逃げてきたんだ。 「はぁっ、まったくあなた方は」 「あっ、もしかして真鍋さん、火宮さんに言われて俺を連れ戻しに来たんですか?」 バカ火宮。 ベーッ、と盛大に舌を出して、目の下も引っ張って、火宮に向けてやる。 苦笑しながら、コイコイと手招きしている火宮が見えたけれど、そんなの無視だ。 「戻りませんからねー。あっ、浜崎さんっ」 ツン、と背けた顔が、壁際で1人ポツンと立っていた浜崎を見つけた。 「ちょっ、翼さんっ…」 真鍋が引き留めようとしたのを無視して、俺は、ササッと両側に割れていく人の間を歩いて、浜崎の前へと向かった。

ともだちにシェアしよう!