395 / 719

第395話

※薬物に関する描写があります。 ご不快に思われる方は閲覧にご注意下さい。 「藍くんっ!」 「ッ…」 駄目だ、と思って瞑った目の最後に、豊峰が刺されることを覚悟した、痛みに備える表情を浮かべたのが見えた。 ダァンッ! 「そこまでだっ!小僧の上から退け!」 不意に、騒々しい物音と足音、鋭く低い声が聞こえて、俺は恐る恐る目を開いていった。 「チッ、くそ。立てっ」 「会長サン…親父」 グイッと引き起こされた豊峰が、本城に人質のように抱き込まれ、ナイフを首すじに当てられた姿がまず見えた。その向こうに、こちらを睨んで立っている、火宮とその部下たち、そして豊峰組長の姿が見える。 「翼…」 火宮の目が、一瞬だけ俺を捉えた。 床に座り込み、服をはだけさせた俺の姿を。 「来るなっ!それ以上近づいたら、こいつを殺す」 ジリジリと、豊峰を羽交い締めにしたまま後退る本城の足が、コツンと俺にぶつかる。 「きみも下がれ。下がって、クスリを拾って、一錠それを飲め」 従わなければ豊峰を殺す。 グイ、と首すじに軽く押し付けられたナイフが、そう語っていた。 「駄目だ翼っ、ヤメロ!」 「翼、従うな」 豊峰と火宮の声が同時に響く。 「俺はいい!俺なら構わねぇからっ、従うなよ?」 「そうです、会長。藍の無事や命など構いませんから、イロを助けて下さい」 え…? 今、なんて? 誰の声…? ブルリと震えた身体は、決してはだけた肌が寒かったわけではなかった。 「いいな?藍。おまえは死んでも会長の大切なお方をこちらに帰すんだ」 ヒヤリ。 はっきりと聞こえてしまった豊峰組長の声に、俺の心は凍った。 すぐ間近の豊峰の足も、ピクッと震える。 「豊峰組長」 「親父…」 低い火宮の声と、豊峰の呆然とした呟きが聞こえた。 「ささ、会長。藍の無事などには構わずに、早く」 「っ、分かってるよ。なぁ残念。俺には人質の価値すらなかった。ほら翼、俺は死んでも構わねーから、さっさと戻れよ、会長サンのところに」 重なる組長の言葉に、豊峰が自棄になったことだけは理解した。 「………」 「翼?ほら、俺は刺されようと殺されようと平気だから。気にせず向こうへ行け」 なにそれ…。 なにそれ。 なにそれ! 「平気なわけない」 クスリでぼやけた頭でだって、組長さんが言ってることも、藍くんが言ってることも間違っているって分かる! 「翼っ」 狂っているのは俺じゃない。 本城だ。豊峰だ、豊峰のお父さんだ。 スッと見つめた火宮だけが、間違いなく俺の心を理解した。 「翼?」 そっと動かした手で、散らばった錠剤を拾う。 転がったペットボトルにも手を伸ばし、そっとそれを掴み上げた。 っ…。 指輪がない。 そのことに気づいたのだろう。 火宮の目が、一瞬鋭く俺の左手薬指に向いたのが分かった。 それでも動揺を押し殺してペットボトルの蓋を開ける。 「くっく、いい子だ」 横目で俺の行動を見た本城が、満足そうに喉を鳴らした。 パキリと取り出した錠剤を口へ運ぶ。 豊峰が、組長が、火宮の部下たちが焦った声で叫んでいるのが分かる。 「んっ」 ペットボトルの口を唇につけ、ゆっくりとそれを傾けた。ヒヤリと流れ込んできた水を、ゴクリと嚥下し、グイッと唇を拭う。 「翼ぁっ、馬鹿野郎ッ…」 バシャッ、と落ちたペットボトルから、水がトプトプと床に広がっていった。

ともだちにシェアしよう!