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第396話

※暴力的な描写があります。 苦手な方はご注意下さい。 「あっ、はっ…」 変化はすぐに訪れた。 トロンと半分閉じた目を、間近の本城に向ける。 「あっ、んっ、ほんじょ、さ…」 「火宮翼?」 「だ、いて…。ねぇ抱いてよ」 スリスリと本城の足に擦り寄り、俺は必死に媚びた笑顔で見上げた。 「っ、はははっ。トんだか。見ろ、火宮刃」 ギリッ、と歯軋りが聞こえそうなほど、火宮の形相が恐ろしい。 あ。 あれ、演技じゃないな…。 ゾクッと感じた火宮の本気に、俺はへらっ、と曖昧な笑みを浮かべて、本城に向き直った。 「あっ、んっ、ほんじょーさん」 スリスリと伸び上がり、本城の身体に絡みつく。 間近になった豊峰の顔が、ギョッとした後、苦しそうにギュッと歪んだのが見えた。 ごめん、藍くん。 カプ、と噛み付いた本城の耳をチラリと舐めて、手はスルスルと本城がナイフを握っている腕に滑らせる。 「うふふ、熱いの。熱くて、シたくて、たまらない」 こそっと囁き声を吹き込み、チラリと火宮に視線を走らせる。 うわー、キレてるー。 ギロッと何故か俺に向く視線が怖いけど、そのことこそがあの人を信じていい証拠で。 「ねぇ、ほんじょーさん」 本城にしなだれかかって媚びながら、向こうに向ける意識の中で、火宮が渋々ながら、集中してこちらを見ているのを感じた。 うん。信じてる。 あなたの高まる集中力。 ピリッと張り詰めた火宮の空気の意味を、迷わず違わず理解する、あなたが信じる真鍋と池田もいてくれる。 信じてる。 あなたが誰より俺のことを、1ミリたりとも間違えずに理解してくれていること。 「ほんじょーさん、ねっ?」 さん、に…いち! ペロッと首すじを舐めた瞬間、ピクッと震えて緩んだ手から、俺は迷わずナイフを奪い取る。 「ッ?!」 同時に地を蹴っていた火宮と池田。 素早く懐から黒光りする武器を取り出した真鍋が、その攻撃先を真っ直ぐに本城に向ける。 っ…。 たったひと呼吸。 瞬きする間もあればこそ。 投げ捨てたナイフがカラーンと遠くに転がり、俺と豊峰の身体は、それぞれ火宮と池田に確保される。 ダンッ、と激しい音が鳴り響き、足を抱えた本城が床に転がっていた。 その上を、ぐしゃりと踏みつけた真鍋の顔は、無表情よりもさらになんの色も映さない、強烈な無。 怖っ…。 この人が裏ボスと言われている意味が分かる。 なんの感情も浮かばせることなく、無慈悲に人を潰せるこの人の冷酷さは、確かに火宮以上だろう。 「翼っ」 ぎゅっと抱き込まれた身体が痺れる。 ふわりと肩から掛けられた火宮のジャケットから、愛しい人の匂いがした。 「翼」 「あ、あ、火宮さ…」 「翼」 「よ、か、た…」 クタリと開いた右手から、ポトリと床に、1粒の錠剤が落ちる。 それは、俺が飲んだ振りをした、飲み込まなかった錠剤で。 「バレなかったぁ」 俺、マジシャンになれるかな? あはは、と笑った顔に、ゴツ、と火宮の額がぶつかった。 「無茶をして」 ゆっくりと床に向かった火宮の視線が、憎々しげにそれを睨んだ後、バキリとそれを踏み潰した。 「ごめんなさい」 「本当にな」 それは、無茶をしたことだけでなく、本城に媚びた振りでやらかした、アレやコレやも含んでいて。 「ごめんなさい」 「ふっ、家に帰ったら、仕置きだな」 「あはは…」 やっぱそうなるよね。 さっき見せた怖い顔、妬いてるどころの話じゃなかったし。 でもあなたはやっぱり分かってくれた。 分かってくれたなぁ…。 「翼?」 「んっ、刃…」 あぁ怠い。 ぎゅっ、と抱き締められた身体から、ズルズルと力が抜けていく。 「おい、翼!」 「んっ、刃、ごめ、なさ…俺」 駄目だ。 怠くて、重くて、もう限界。 完全に火宮に預けた身体が、クタリと脱力する。 「翼!」 刃。 刃、好き。 あぁ駄目だ。もう、声を出すのが億劫で、唇を動かすことさえ面倒くさい。 刃。 じん。 一生懸命持ち上げようとした手は、ピクリと動いただけで、ダランと垂れた。 「翼っ!」 刃。 ねぇ、刃。 なにがあっても、俺はあなたを…。 「あ、なた、を…愛し、て…る」 フッ、と遠ざかる意識の向こうで、必死に俺を呼ぶ火宮の声が、何度も何度も響いて消えた。

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