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第410話

「トイレ!」 パッと身を翻し、火宮の言葉を無視する形で歩き出す。 けれどその選択が誤りだったと気づくまでには、ほんの3歩もかからなかった。 「っーー!」 すでに前立腺に当たっているものを、その状態で歩けばどうなるかなんて、考えなくても分かったはずなのに。 強気にチャレンジ精神なんて発揮して、火宮の元から逃れようとした俺が馬鹿だった。 もしかしたら百万分の一の確率でも、火宮の要求から逃げ切れるかもしれないなら、と考えたけれど。 その分母は、1億でも足りなかったらしい。 「ふ、っぁ、あぁ…」 へたっと膝が崩れて、床に座り込んでしまったところで気がついても、もうすべてが後の祭りだ。 「クックックッ、おまえは、本当に」 不意に、カツンと、綺麗に磨かれた革靴の足先が目の前に見えて、ふと頭上に影がさした。 「っ…」 「クッ、翼。さぁどうする」 目の前に悠然と立ったまま、助け起こそうとはしてくれないらしい火宮を見上げる。 「っ、く、やし…」 どう足掻いても従うしかない状況に、ぐっと噛み締めた唇が震えた。 「ククッ、翼?」 「っ、あー、くそっ。刃!」 きゅっ、と上着の裾を伸ばして前を隠して、ソロソロともう片方の手を火宮に伸ばす。 「っ…刃。抱……」 「ん?」 「抱ぃ…」 「聞こえない」 あぁっ、もう! 「バカ火宮っ!抱っこ!」 あー、あー、あー!俺の無謀な口。 やらかした、と思っても、もう口から出た言葉は取り消せなくて。 「ぷっ、クックックッ、そうくるか」 声を揺らしているくせに、目だけがそれはそれは意地悪く弧を描いた火宮の顔が、ゆっくりと俺の目の前に近づいた。 「っ…」 「会長っ?」 「はぁぁ、あなた方はまた…」 俺の前に膝を折り、しゃがみ込んだ火宮に池田たちが素っ頓狂な声を上げている。 真鍋は真鍋で頭痛を堪えるように額を押さえて盛大な溜息をついているし。 「クックックッ、ほら、掴まれ」 ひょい、と背中と膝裏に手を添えた火宮が、そのまま俺を横抱きにしてスイッと立ち上がった。 「っぁ…」 ゆらりと揺れた身体に慌てて、ぎゅっとしがみつくように火宮の首に両腕を回せば、ズボンの前はいい感じに隠れて。 「ククッ、まさか逃げようなどとするとはな、悪いやつめ」 コソリと耳元で囁かれれば、ぞくりと背中が粟立った。 「追加の仕置きの覚悟はあるな?」 ニヤリ、と悪い笑みを浮かべた火宮に、スゥッと細めた目で見つめられ、ギクリと身体が強張った。 「真鍋」 「はい、お疲れ様でした」 不意に名を呼んだだけの火宮に、真鍋が椅子から立ち上がり、深々とお辞儀をする。 「おまえたちは好きなだけ飲み食いしていくといい。真鍋、後は任せた」 「かしこまりました。ご馳走様です」 ガサッと適当に、一体何枚だよ?!と思うようなたくさんの諭吉様を真鍋に手渡した火宮を見て、向こうのテーブルの面々も、慌てたように立ち上がる。 「お疲れ様です、会長。ご馳走になります」 「お疲れ様です」 ガバッと一斉に頭を下げる部下たちの中、豊峰もキョトンとしながらそれに倣っていた。 「会長、お見送りは」 「いらん」 「かしこまりました。お車は、すぐに」 「あぁ」 言うが早いか、サッと一礼して、スマホを取り出しながら隅の方へ行った真鍋を見送り、火宮は頭を下げる部下たちを無視して、さっさと出口の方へと歩き出す。 「っ…」 その振動がナカに響いて、ムズムズとした快感が湧くのがたまらない。 「クックックッ、翼。今夜はたっぷり仕置きだな。哭いて声が枯れるまで、たっぷりと攻め抜いてやる。尻も腰も覚悟しろよ」 「っーー!」 愉悦に揺れた火宮の言葉が耳に吹き込まれ、俺の声なき悲鳴が、店内に尾を引いていった。

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