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第421話

「ククッ、それで、勉強は捗ったのか」 「はい。それはもうバッチリ。真鍋さんって本当に教え方が上手いです」 鬼だけど。 ささやかな暴言は心の中だけに留めて、俺は盛り付けの済んだ料理をダイニングテーブルに運んだ。 仕事から帰宅し、リビングのソファの上に鞄を置いた火宮が、ダイニングスペースにやって来る。 「ふぅん、今日はうどんか」 くいっとネクタイを緩めながら、火宮がひょいっとテーブルの上の料理を覗き込んだ。 「はい。鍋焼きうどんです。お口に合うといいんですけど」 「おまえが作ってくれた料理ならなんでも美味い」 それがどんなど庶民料理でも。 サラッと照れ臭いことを言ってくれる火宮に、俺は思わずプイッとそっぽを向いてしまった。 「それって作り甲斐がありませんよねっ。お茶漬けでも、気合い入れたフレンチでも同じってことでしょう?」 あぁ俺の憎まれ口。 本当は違うって分かっているのに、なんでこう臍の曲がったことを言っちゃうんだろう。 言ってから後悔して、チラリと目を上げて火宮を見たら…。 「ククッ、おまえがメニューを考え、おまえの手が食材を切り、おまえが味付けをした料理は、たとえ茶漬けだろうが、フレンチだろうが、俺には幸せな味がする」 「っーー!」 だからもう、本当ずるい。 完全に俺の負け。 ぐうの音も出なくなった俺は、カチャカチャと手元を動かし、浮つく内心を誤魔化そうと、急いでお茶を入れた。 「っ、はい。出来ました、食べましょう…って、火宮さん?」 あぁもうこの人は。 今俺を急浮上させてくれたかと思ったら、もう意地悪で。 湯呑みを2つ、両手に持ってダイニングに出た俺は、何故かわざわざ、俺の席に座っている火宮を見てげっそりとした。 「ん?どうした、翼」 もう、どうしたじゃないでしょう…。 「なんでそっち側に座ってるんですか」 「別に気分だが。それより翼、こちらのは何故か、にんじんも葱も椎茸も入っていないみたいなんだがな」 「っ、だーかーら」 本当どS。意地悪火宮。 「そっちが俺のですよね。見て分かりますよね?っていうか、分かって座ってますよね!」 俺のにプラス、綺麗に花型にしてやったにんじん様と、ヤクザな火宮さんにはお似合いの、ばってん付きの椎茸様。極め付けは太い葱までご立派に入れてやっているうどんの方が、どう見たって火宮のだろう、って思うのに…。 ダンッ、と乱暴にテーブルに置いてしまった湯呑みから、ちゃぷんとお茶が飛び散った。 「俺は、天ぷらと蒲鉾と麩だけで十分なんです!」 「クッ、本当に好き嫌いが過ぎる」 なんだこの地味なうどんは、と笑っている火宮が、仕方なさそうに、フルトッピングのうどんと、地味うどんを交換してくれる。 「席を移動するんじゃないんですね。横着だなぁ」 鍋だけ動かしてくれた火宮に、苦笑してしまう。 まぁ特に席が決まっているわけではないけれど、いつも大体俺が座る場所に火宮がいるのは違和感たっぷりだ。 「別に構わないだろう?ほら、せっかくのうどんが冷める前に食べるぞ」 「ま、いいですけど。はーい」 パチンと手を合わせて、いただきますの声の後に、ズルズルとうどんをすする。 向かいで火宮が、「なんだこの凝ったにんじんは」なんて、笑いながら飾り切りにしたにんじんを箸でつまんでひょいっと口に入れている。 「ふふ、前に浜崎さんに教わったんですよ?それ、包丁だけでやってますからねー」 型抜きは使っていない。 えっへん、と自慢して胸を反らせたら、火宮がニヤリと愉しげに笑った。 「こんな洒落たにんじんなら、おまえも食えるだろう?ほら」 「ちょっ、やだ、見た目が洒落てても味はにんじんです。やですって、んー」 口元に差し出されるにんじんを、放り込まれてたまるかと、ぎゅっと唇を閉じてやる。 「んんんっ、んっんんんんんー」 「何を言っているのかわからん」 「んんんんんんんん、んんんんー」 「チッ、ったく」 えっ?分かったの? 仕方なさそうに苦笑した火宮が、明らかに俺の言葉を理解してにんじんを引き下げた。 「だから、おまえの口より語る目を、読み取れないわけがないと何度も」 「えー。とか言って、本当は超能力で内心ダダ聞こえとか」 「ククッ、そうだとしたら?」 いや、それ、怖すぎる。 「クッ、そうか、怖いか」 「えっ?俺、言ってない…」 なんで分かった! 「だから目だって」 「すごいー」 「おまえが分かりやす過ぎるんだ」 「そんなつもりは」 「じゃぁ愛か」 「はぁっ?」 ゴホッ、いきなり、変なことを言うからむせた。 「おまえへの愛情の深さで、おまえのことは何もかも理解できる」 「っ…」 またそういう恥ずかしい発言を、サラリと。 あぁでもその発言は、今日俺が感じたことと同じだ。 「そ、うなんですね。火宮さんは、本当に、俺のことをよく分かってくれています」 「ククッ、急にどうした」 ずずっと似合わないうどんをすすりながら、火宮がふわりと笑う。 「藍くん」 「豊峰?」 「はい。真鍋さんに家庭教師、一緒にって頼んでくれたでしょう?」 「あぁ、それか。まぁな」 サラリと頷きながら、今度は蒲鉾をぱくんと口にしている。 「ありがとうございます」 「ククッ、よかったか?」 「はい。俺の望みだから…望みだと察して…」 先んじて手を打ってくれるんだもんな。 本当敵わない。 「おかげで今日は、藍くんと色々話せました」 「そうか」 将来のこと、豊峰家のこと、父親との溝、豊峰の考え、そして俺が豊峰とどうしたいのか。 「ほぉ、それで、おまえのバックも豊峰の後ろにつくって?」 「そう、ですよね…?」 俺のためにと、火宮たちは動く。 「ククッ、翼、知っているか?」 「え?なにを…」 「ヤクザを使うにはな、ダダでは済まないものだぞ」 「はぁっ?」 いきなり何を。 「おまえに協力して、豊峰の世話をしてやるんだ。その見返りは、もちろんきっちりもらうからな」 「はぁぁっ?」 もうあらかた食べ終えたうどんの汁が、ちゃぷんと跳ねた。 「そうだな、翼。ほら、きちんとおねだりしてみろ。豊峰の親子仲直りのために、俺たちに力を貸して下さい、って」 「っーー!」 「その代わり、俺は火宮さんに身体でご奉仕します、だろう?」 ニヤリ、と意地悪く笑った火宮に、俺は深く深く息を吸い込んで。 「バカ火宮ぁっ。どS!意地悪!ヤクザーっ」 「ククッ、最後だけ当たりだ」なんて、愉しげに喉を鳴らした火宮が、チュルンッと最後のうどんを吸い込み、ニヤリと妖しく目を光らせた。

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