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第425話

「ふぁぁっ。くそー、怠いー」 翌日。ようやく何日かぶりに登校してきた俺は、教室の自分の席について早々、パタリと机の上に突っ伏していた。 「はよーっす」 「痛ッ…」 「お疲れだな、翼」 バコッと人の無防備な後頭部を、平たい鞄で軽くぶっ叩いて通り過ぎていった豊峰が、悪びれずにニヤニヤしている。 「あー、もう、藍くんっ?真鍋さんに言いつけるよ!」 「げ。それは勘弁」 心底嫌そうに顔を歪める豊峰は、昨日の家庭教師がよほど懲りたのか。 「まったく今朝もさっさと1人で先に行っちゃってさ」 「だっておまえと一緒に送り迎え、なんて、さすがに勘弁だぜ」 窮屈すぎる、と吐き捨てる豊峰は、ついでだから乗っていけ、という真鍋の言葉を華麗に無視して、1人でのご登校だ。 「でも、安全のため、らしいよ?」 「へっ、蒼羽会会長さんの本命様とは立場が違いますー。たかが3次団体の、しかも家出中の組長の息子なんて、誰のターゲットにもならねぇよ。会長サンだって好きにしろって言ってただろ?」 「あー」 まぁ、火宮さんは、俺の安全さえ確保できればいい、って感じだしな…。 「それに結局うちの…って、豊峰のガードが、何気についてるよ。今日なんて電柱の影からはみ出してんだぜ?」 笑えるだろ、と言いながら、本当にケラケラ笑う豊峰は人が悪い。 「だから俺に簡単に撒かれんだって」 会長サンところと違ってヘボい、と鼻を鳴らす豊峰は、そんなところも豊峰家の気に入らないところの1つであるかのように、声には棘がある。 「うん。まぁでも浜崎さんとかは、こっそりの護衛のときでも、チョロチョロ姿が見えちゃうよ?」 「ふははっ、あの人は、なんかやらかしてくれそうだよなー。噂をすれば、ほら」 ケラケラ笑う豊峰の視線を辿れば、ちょうど教室前の廊下を通りかかった浜崎が、室内備品のチェックの素振りをしながら、しっかり俺にニカッと笑って行った。 「憎めないんだよねー」 「分かる。いい兄貴って感じ」 下に居候しているということは、やっぱり浜崎たちと住んでいるのか。 すっかり馴染んだ様子の豊峰に、ホッとするのと同時に、いつまでもこのままではいけない、とも思う。 「ねぇ、藍くん」 「なに?」 「あー、うん」 でもなにを言ったらいいんだろう…。 「翼?」 「あ、あぁ、その、鞄。今日はちゃんと教科書とか持ち帰った方がいいよー」 2度目の注意は鬼がキレる、と笑って教えてやった俺に、豊峰の顔がげっそりとなった。 「幹部サマ、マジ容赦ねぇもんなー」 バックレたろか、と呟いている豊峰に、苦笑してしまう。 「万が一そんなことをしたら、本当に剥かれてお尻ペンペンだよ」 絶対にやる。あの人なら、言ったことは必ずやる。 「おまえ…されたことあんの?実感こもってんだけど」 「え。いや、そこは聞いちゃ駄目でしょ。ノーコメントで!」 もう、遠慮ないんだから…。 「ぷっ、くくくっ。マジ、でも、大丈夫」 「え?」 「俺もちゃんと考えてるよ。この先、どうしたらいいか、って」 ニカッ、と笑顔を見せて、親指をグッと立てた豊峰に、俺は黙って頷いた。 「おはよう。火宮くん、久しぶり」 「あっ、紫藤くん、おはよう。久しぶり、だ、ね」 ふと隣の席にやってきた紫藤が、鞄を机に置きながらにこりと笑った。 「体調はもういいの?」 「えっ?あ、うん」 「なんか学校で調子が悪くなって倒れたんだって?たまたま藍も一緒にいて、そのまま早退して病院行ったんでしょ?」 なるほど。あの拉致事件は、そういう話になっているのか。 「うん」 「そのまま入院とか、だいぶ悪かったんだね。大丈夫?」 「あー、うん。大丈夫、大丈夫。もうなんともない」 元気、と笑って見せた俺に、紫藤のにこりとした笑みが向いた。 「で、本当のところは?」 「え…」 「悪りぃ、翼。和泉には隠し事できないんだわ」 ポリポリと、頭を掻いた豊峰が、横で苦笑した。 「え…」 まさか、本当のことを話してあるんだろうか。 なにを、どこまで。 「組のゴタゴタで早退して、そのまま落ち着くまで外出を控えていたんでしょ?」 「抗争?」と笑いながらケロリと言う紫藤は、さすが豊峰と幼馴染だけはあるのか、警察幹部の息子なのか。 「しかも今、藍も火宮くん家で暮らしているんでしょう?」 どうやらその線からバレたらしく、さすがに拉致や薬の話は隠してくれたらしいことにホッとする。 「まぁ、いつも隣から登校していたのが見えなくなればバレる、っつの」 「羨ましいなぁ。ずるいなぁ、火宮くん」 「はい?」 『藍と同棲』 へ? 今、なんか、紫藤の口から異次元の発言が飛び出したような気がするけど…。 「和泉?なんつった?」 ボソッと俺にだけ呟かれたその声は、どうやら豊峰には聞こえなかったようで。 「ん?別に何も言ってないよ?」 サラリと嘘をつく紫藤の目が、チラリと俺に圧力をかけてくる。 「誤解だしっ」 「翼?は?何が?」 「ふふ、火宮くんー?」 「え?や、いや、だからっ、藍くんはうちの下に住んでるんだ、よね!藍くんっ」 「あ?あぁ。まさか翼と会長サンの愛の巣に転がり込むわけにはいかねぇだろ」 「愛の巣って…」 あぁもうなんだか話が大混乱だ。 「ふぅん」 チラリと嫌な視線を紫藤から向けられたところで、ちょうどチャイムが鳴り響いた。 「あっ、ほら時間!」 「もうか。席に戻るかー」 「ふふ、続きはお昼にね」 バラバラと席についていくクラスメイトたちが見える中、豊峰も自分の席に戻っていき、俺は隣からの呟きにビクッとなりながらも、教科書類をワタワタと鞄から机の中に移す作業に没頭するふりをした。

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