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第450話

「お疲れ様ですっ」 門の外で待機していた浜崎が、車の前でペコンと頭を下げた。 「って、藍くん?」 その手には何故か、豊峰がガッシリと捕まっている。 「あ、あぁ、坊がヤバイ形相で飛び出してきましたんで、とりあえず捕まえておきました」 「ふっ、よくやった、浜崎」 いい判断力だ、と労う真鍋に、浜崎の顔がパァッと輝いた。 「あっ、ありがとうございますッ」 ガバッと、地面につくんじゃないかと思う勢いで頭を下げた浜崎の、豊峰を捕まえていた手がふと緩む。 「チッ…」 隙あり、と言わんばかりに光った豊峰の目と、タッと地面を蹴った足が見えた瞬間、俺は反射的に手を伸ばしていた。 「藍くんっ!」 豊峰に伸ばした手は残念ながら宙を掻いたけれど、咄嗟に叫んだ声には豊峰の足が止まった。 ビクッと動きを止めた豊峰にホッとして、俺はそっとその身体に手を触れさせた。 「藍くん、帰ろう?」 「………」 ぎゅっと唇を引き結んだ豊峰が、黙ったまま地面を見つめている。 「ね?うちに帰ろう?」 きゅっ、と掴んだ豊峰の腕は、振り払われることはなくて。 だから俺は、そっとその腕を引いた。 「ね、藍くん。蒼羽会(うち)に、帰ろ」 小さく首を傾げて、軽く微笑んで見せた俺に、豊峰が息を飲んで、パッと顔を上げた。 「翼…」 「うん」 ニコリと笑って、力強く頷いた俺が映った豊峰の目が、フラリと揺れる。 そのまま俺から逸らされて、後ろの真鍋にチラリと移ったその視線は、まるで迷子の子犬みたいだった。 「はぁっ。翼さんのご意志通りに」 疲れたように、面倒臭そうに、真鍋が豊峰に向かって声を放った。 「え?あの、真鍋幹部…?」 「会長のご意向でもある。ここへ来る前に…和解が成立したなら返して来い。決裂したなら拾ってこい、と言われている」 「火宮会長さんが?え?なんで…?」 真鍋の言葉に、目を白黒させた豊峰が、困ったように俺を見た。 「あー?あれかな、俺の、親友だから?」 縋るように見つめられても、火宮の考えなんてさっぱり分からない俺は、適当に返すしかない。その言葉に納得がいかないような顔をして、豊峰は再び真鍋を見た。 「ふっ、会長のご趣味でしょう」 「は?え?」 「人間を拾うのが」 こちらもまた、相当適当に取り合った真鍋が、さらに豊峰には疑問でしかないような答えを返している。 「あはは。確かに俺も、最初は拾われた」 「私も」と真鍋が続き、「あっ、おれもっす!」なんて、浜崎まで手を上げている。 「はぁぁぁっ?」 さっきまで頼りなく揺れていた豊峰の目が、今度は疑問いっぱいに、そして思いっきり呆れたように見開かれた。 「ふふ、まぁいいじゃない。火宮さんがいいって言うんだから、うちに帰ろう?」 ぐいっ、と手を引いた俺に、豊峰の足がフラリと踏み出される。 「っ、でも俺は…」 「預かりでも、構成員としてでもなく、部屋付きの使用人として住み込みで雇う、という形で、おまえを置いて下さる」 安心しろ、と告げる真鍋に、豊峰の目がますます疑問に揺れた。 「でもそんな…」 「安心するといいっすよ、坊ちゃん。おれも、正式には盃を受けていない、部屋付きの使用人として蒼羽会にいるっすから」 不意に口を挟んできた浜崎の、その言葉は…。 「え?えぇぇぇっ?」 「え?な、なんで翼さんがそこで驚くんすか…」 苦笑を向けてくる浜崎だけど。 だって、だって。 「浜崎さんって、ヤクザさんじゃなかったんですか?」 てっきり俺は、構成員だとばかり…。 「ふっ、そこの浜崎は、自分でそう扱えと言って、我々も構成員と変わらない扱いをしているし、周囲もみんなそうだと思っていますが。実際には、正式にうちに所属してはおりません。会長は、浜崎が蒼羽会の1員になるのを、お許しにはなりませんでしたから」 「ッ…そう、なんすよ。おれは火宮会長のためになら命だって尽くせるし、ぜひとも蒼羽会に入れて欲しかったっすけど…」 ドヨーン、と一気に落ち込んだ暗いオーラを出した浜崎に、俺は苦笑と疑問が同時に湧いた。 「どうして…」 「会長の、有り難い、有り難いお気持ちっす。おれの、夢のため…」 「調理師…」 「そのためには、ヤクザ者にはなっては駄目だと」 っ! あぁ、あぁぁ。 浜崎の言葉に、思わず豊峰を見たら、ぼんやりとしていた目が、不意に何かに気づいたようにぎゅっと顰められた。 『お、やじ、も…?いやまさか』 「でもおれは、心は会長に捧げていますんで。事実はどうであれ、おれは蒼羽会のモンっす」 ポツリと何か漏らした豊峰の声に、浜崎の言葉が重なって聞き取れない。 「だから、その、坊ちゃんも、いや、あれ?なんの話でしたっけ…」 「あぁもう。だから藍くんも、遠慮なく、うちに居候して、自分の夢を掴みにいっていい、って話ですよね」 はて?と、熱くなりすぎて話を見失っている浜崎の後を引き取って、俺はにこりと豊峰に笑顔を向けた。 「そうなります。若…いえ、豊峰。おまえは黙って大人しく雇われろ」 「っ…」 「大学資金を支払えるくらいの給料は出す。翼さんのついでだ、この先も家庭教師はしてやる。それ以上、何が不満か?」 「っ、不満なんて…」 「ならば帰るぞ。家を失い、親の庇護も失くした子供。なんのメリットがあるのか知らないが、それを拾って下さるという奇特な会長に、大人しく拾われておけ」 「そそ、なんてったって、趣味だからね」 淡々と、車のドアを開け始めた真鍋に、俺は便乗して豊峰の手を引っ張る。 「っ…」 「藍くん、ほら乗って」 「っ、ぅ。ありがとうございますっ!お世話に、なり、ます…」 突然、ガバッと頭を下げた豊峰に、俺はびっくりして思わず手を離し、真鍋はいつもの完璧な無表情で、それは冷たくそんな豊峰を見た。 「挨拶なら会長に」 シレッと言い放ち、さっさと俺と豊峰を車に押し込んで、自分も助手席に乗り込んで、運転手に「出せ」と命じている。 緩やかに、車がスーッと走り出す。 「翼」 「ん?」 「駄目だった」 説得は、失敗。 「っ…」 「でも、夢を追っていいって。勘当…だもん、な」 ヤクザにならなくていい。 組を継ぐ必要はなくなった。 どこまで父親の想いを理解しているのか。 走り出した車内で、豊峰が俺を見て、複雑な泣き笑いを浮かべて穏やかに目を閉じた。

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