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第465話

「っ…俺、は…」 何を言おうとしたのか。どう反論しようと思ったのか。 思いは形にも言葉にもならずに、小さく掠れて消えていった。 「クスクス、そんな蒼白になっちゃって。かっわいい。ふふ、でも火宮会長は、それでもいい、って言うんだろうね」 「っ…」 「クスッ、でもきみは、それでもいいの?」 にこり、と、鮮やかな笑顔で、小首を傾げて問われた言葉が、トンッ、と胸のどこかを突いた。 「火宮会長の本命。大事に大事に守られて、べったべたに甘やかされて、その座に甘んじて座っている存在」 「そ、れは…」 「蒼羽会会長のパートナー。蒼羽会の姐でもある存在が、本当にそれでいいと、きみは思っている?」 「っ…」 分かってる。 俺だって…。 「クスクス、きみも、火宮会長を…ひいては蒼羽会を、守りたいと、思うことはないの?会のために、自分にできることをしなくちゃならないと、考えないの?」 ふわりふわりと笑う霧生の言葉が、俺を惑わす罠なんだってことは分かってた。 分かっていても、揺らぐ心が止まらない。 「クスクス、きみに出来る、火宮会長のためになることが、1つだけあるよ。教えてあげようか?」 にこり、と、それはそれは綺麗に微笑んだ霧生が、スッと1枚の茶封筒を持ち出してきた。 「これは?」 「まぁ見てみて」 「っ!」 ほ、んじょ、う…。 中から出てきた、何かの書類に添付されていた写真が見えて、心臓がドクッと跳ねた。 「まぁ知っているよね」 「っ…」 忘れるわけがない。 こいつは、この男は…。 「きみにとーっても酷いことをしてくれた男だよね。クスクス、その辺りもぜーんぶ知ってるんだ。きみの身に起きたことも、きみのところのクールな幹部さんが何をしたのかも」 「っ!」 出てきた書類の2枚目、3枚目、とめくっていくと、俺がとある症状で病院に入院していたことも、真鍋があの本城をどうしてしまったのかもが、はっきりと書かれていた。 「警察に教えてあげようか」 「なっ…」 そんなこと…。 「それとも、他のみんなに教えてあげる?」 ふふ、と笑う霧生に促されて、4枚目、5枚目と書類を見ていった俺の心が、ドクッと跳ねてそのまま凍った。 「クスクス、やっぱり賢い」 にこりと美しく笑った霧生の声が、頭の中にガンガンと響いた。 「っ、こ、れは…」 「うん。本城と繋がりがあった人間たちのリスト。知ってるよね?本城が裏社会の有名な情報屋だったってこと」 「っ…」 「すごいよねー。名だたる裏社会の人間の名前がゴロゴロ。しかも、これ。大手雑誌社はいいとして、警察の人間もだよ?」 楽しいね、と、心底楽しげに声を弾ませる霧生が、ここへきてようやく本当に怖い人間だと、俺は認識した。 「いやぁ、このリストに載っている人たちにさ、本城は蒼羽会に消されたって。きみのところの幹部さんが、制裁拷問ついでに、本城が持ち得るすべての情報を聞き出した、って話をばら撒いたらどうなると思う?」 「っ…」 「まぁ多分、本当に蒼羽会は握っていると思うけどね。本城が、何を売っても命乞いしただろうことは…おたくの幹部さんの冷血さを知っていれば、もう確信だよね」 つまり。つまりそれは…。 「本城のことだ。それぞれのやっばい情報を握っていただろうし?それが知れたとなれば…」 「口封じや、排除…」 「ふふ、いくら蒼羽会でも、利害が一致したそんなやつらに一斉に襲撃されたら…どうなるかくらい、賢いきみなら想像がつくよね」 スッと俺の手から書類を奪っていった霧生が、ヒラヒラとそれを楽しげに揺らした。 「っ、あ、なた、は…」 誰が映画スターだ、春の陽射しだ。 この人はこんなにも、恐ろしいまでのヤクザだ。 「クスクス、黙っていて欲しいよね?」 「っ…」 「ついでに、この書類もぜーんぶ燃やして、おれの記憶からも消して欲しいよねぇ?」 にこりと笑う霧生の笑みを、俺はもう綺麗だとは思わなかった。 「叶えてあげる」 「条件は」 なんの見返りもなく、それが叶うと思うほど、俺はこの世界を知らないわけではなかった。 「ふふ、簡単だよ。きみが、火宮会長を捨てて、おれのところに来ること」 「っな…」 「そうしたら、これは、なかったことにしてあげるよ?クスクス、簡単でしょ?きみがおれのものになってくれれば、蒼羽会も、火宮会長も助けられる」 にこり、と艶やかに笑う霧生に、俺は固く目を閉じた。 「さぁて、どうする?それでも火宮会長の愛情とやらに寄り掛かって、ただ黙って助けが来るのを待っている?俺が持っているこの情報の処理も、きみはただ黙って火宮会長や幹部さんたちに任せっきりにする?」 「っ…俺、は」 「それとも、姐は姐らしく、その身を張って、火宮会長や火宮会長が大事にする蒼羽会を守るのかな?」 っ…。お、れは…。 ギリッと軋ませた奥歯が痛む。 手錠の掛かった両手が、強く握り締めすぎて、震えていた。 「クスッ、いいよ、ゆっくりと考えるといい。時間はまだ、十分あるからね」 ふわりと笑う声を残して、霧生の気配が部屋から消えたのが分かった。

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