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第472話

俺は、本当にこのままでいいのだろうか。 尽きない疑問が浮かんでは消え、消えてはまた浮かび…としているうちに、車はいつの間にか蒼羽会の事務所に着いていた。 「翼、降りるぞ」 「んっ、はい…」 先に降りた火宮に促され、その後に続く。 ゆっくりとした歩みでエントランスに入った俺は、出迎えるようにその場にいた構成員たちが、火宮の姿を見止めて、次々と頭を下げてくるのを見た。 「お疲れ様です、会長」 「お帰りなせぇまし、会長」 野太い出迎えの声が響き、火宮がそれに軽く顎を引くだけで応えている。 その後ろをちょこちょことついていきながら、俺はぼんやりと火宮のその後姿を見つめた。 俺…。 ノロノロと遅れを取った足が、ぴたりと止まる。 「翼?」 すぐさま火宮が気付き、こちらを振り返る。 その目の先で俺は、ゆっくりと深く、頭を下げていった。 「すみま、せん、でした…」 俯いたまま、スッと紡いだ声に、火宮がピクリと反応したのが分かった。 俺は、ぎゅっと膝の上で拳を握り締め、深く頭を下げたまま、ゆっくりと言葉を続けた。 「この度は、救出のお手間を取らせまして、大変申し訳ありませんでした」 ぎゅっ、と瞑った目から、すべての視界がなくなる。 「ご迷惑とお手数をお掛けしましたこと…」 「翼」 っ! 「翼、どうした?」 っ…。 不審そうに声を揺らした火宮が、怪訝な目で俺を見ていた。 「っ…」 だってあなたは蒼羽会会長だから。 その地位にある人の手を、俺は煩わせて、部下たちの身を傷つけさせて。 俺だけが1人、大事に守られ、当たり前のような顔をして、のうのうとここに立っていていいんですか? 霧生に言われたことを気にしているわけじゃない。 だけど俺は、あなたを重んじるみんなの前で、きっちりと、蒼羽会会長の手を煩わせて迷惑を掛けたことの詫びと礼を…。 ふらりと持ち上げた目で火宮を見つめたら、その美貌が「仕方ないな」という苦笑を浮かべて、ゆっくりと側まで近づいてきた。 「必要ない」 「っ、火宮、さん…?」 「まぁ、大方あの霧生に何かを吹き込まれてきたんだろうことは想像がつくが。おまえは、俺の、唯一最愛の恋人だろう?」 「っ…だから」 蒼羽会会長の恋人だから、俺がその評価を下げ、足を引っ張るような真似は…。 「だから、おまえは俺にきっちり守られて、穏やかに笑顔で、俺の腕の中にいればいい」 「だけどっ…」 ぐい、と取られた腕を、力強く引かれる。 「っ…」 その勢いで、ドサッと火宮の胸に飛び込んでしまった身体を、ぎゅっと優しく抱き締められた。 「っ、ひ、みや、さ…」 「俺の特権だ」 「え?」 「そう、俺は、火宮刃だ」 「あ、の…?」 「おまえの前で、俺は、蒼羽会会長、火宮刃であるのと同時に、おまえを愛する1人の男、火宮刃だ」 「っ…」 な、にを…。 「だから、いくらでも守らせろ」 「っ、じん…?」 「これでもかというほど愛させろ」 「っ、なに、言って…」 「それが、おまえの務めだ」 っーー! 「おまえだけが出来る。俺を満たし、俺を幸せにし、俺を誰よりも格好いい男でいさせる」 「っ…」 「俺を強くし、他の誰にも出来ないことが、おまえには出来る。そのおまえの価値は、何を置いても守るのに値する。おまえは、それをただ受け入れていればいい。これが答えだ」 火宮に示されて、ふと周りを見てみれば…。 「ご帰還、なによりです」 「翼さんのお帰り、良かったです」 「蒼羽会の珠玉ですからね」 みんなが傅いているのは、火宮だけじゃなく、何故か俺に対してもで。 「おまえが俺の本命というだけで、皆が大事にするわけではない。おまえはおまえ自身のその真価で、皆にきちんと認められている。だから」 っ…。 じわり、と滲んでぼやけた視界の意味はなんだろう。 「堂々とこの腕の中にいろ」 っーー! ボロッと零れ落ちたこの温かい雫は…。 「何も出来ない、情けない俺でも?」 「おまえが出来ないことは俺が助ける。必ず守る」 「っ、そんな風に甘えて頼る俺でいいんですか」 「それは嬉しい限りだな」 「俺はっ…」 霧生には確かに偉そうに宣言したけれど。 本当はどこかに小さな不安と情けなさは残っていて。あなたのためにどうしたらと、必死で考えていた、けれど。 「もう黙れ」 「ンッ、んーっ」 ふわりと吐息が顔にかかったと思った時にはもう、火宮の唇に俺の唇は塞がれていて。 「んっ、あ、はっ…」 人前なのに、舌まで…。 チュク、ジュルッ、と、角度を変えて、歯列を割られ、上顎をなぞられて。 「あっ、はっ、あんンッ…」 やばい、これ。 気持ち良すぎて力が抜けて、カァッと熱が中心に集まっていく。 「っん、はっ、あぁ…」 みんな見てる…。 分かっているのに、どうしようも出来なくて。 「あぁ…ばか、ひみ、やぁ…」 ようやく唇が解放されたときにはもう、俺は自力で立っていることが出来ずに、火宮に情けなく縋り付いて寄り掛かるしかなかった。 「ククッ、それでこそ翼だ。おまえは、それでいい」 ニヤリ、と笑った火宮が、スッと俺の膝裏に手を差し入れて、ひょいと俺の身体を抱き上げた。 「ちょっ…」 だから、人前なんだってば! 焦ってジタバタしかけた俺に、ふと、割れんばかりの騒音が…。 「なっ…」 一部始終を、遠慮がちに、けれどしっかりと見ていたフロアの構成員さんたちが、みんな一様に拍手を俺たちに送っていた。 「っーー!」 もう、これは…。 恥ずかしいやら嬉しいやら困るやら。 俺はぎゅっと火宮にしがみつき、顔をその肩に押し付けて全力で隠す。 「ククッ、上に行くぞ。真鍋」 「はい。エレベーターでしたら、とっくに待機しておりますよ」 暗に、いつまでやっている、と呆れ果てた目をした真鍋が、エレベーターを1階に止めたまま、ひたすらジッと待っていたらしい浜崎の方に顎をしゃくっている。 「ご苦労」 ニヤニヤと、満足げに笑った火宮がエレベーターホールに向かって歩いていく後ろで、構成員さんたちの大きなざわめきと、ぶわっ、とさらに激しさを増した拍手の嵐が巻き起こっていた。

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