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第503話
チラチラと、瞼の裏を明るく照らす光に気がついて、俺の意識はゆっくりと浮上した。
「んっ…」
「あぁ、目を覚ましたか」
ニヤリと笑う火宮の美貌が、俺を見下ろしている。
「ん…あれ?」
ぼんやりと見回した周囲は、何故か明るいリビングで、ドロドロになったはずの身体は、綺麗にされてきちんと服を着せられていた。
「火宮さん?」
こちらもばっちりと服を整えた火宮が、ふわりと笑う。
「起き上がれるか?」
「え?あ、はい」
多少の怠さが残るものの、起き上がれないほどではない身体を、俺はゆっくりとソファの上に起こした。
「ククッ、ほら、来い」
「え?」
スッと差し出された手を、不思議に思いながらも反射的に取ってしまう。
「クッ、外に出るぞ」
「っととと、火宮さんっ?」
繋いだ手がグイと引かれて、俺はヨロヨロと甲板まで引きずられて行った。
「っ!うっわー!」
なにこれ。なにこれ。なにこれー!
目の前に広がる大きな海。オレンジ色に染まった空と海の境目には、真っ直ぐな水平線。
ゆっくりと落ちていく夕日が、まばゆく輝く宝石のようで。
「綺麗…」
グラデーションになった空は、まるで絵画だ。
「ククッ、泣くほど感動したか」
「えっ…?」
不意にスッと隣に並んできた火宮に言われて、俺は自分が涙を流していたことに気が付いた。
「あっ…え、これは…」
「おまえに見せたかった」
「っ…」
ふわりと耳を撫でる風に紛れて、火宮の優しい優しい声が届いた。
「っ、ふ…」
やばい。余計に涙があふれて止まらない。
「翼」
「う、あぁ…」
駄目だよ、そんな優しい仕草で髪に触れられたら。
ますます泣けて、困るじゃないか。
きゅん、と震えた胸の内に、じわりと広がった温かさの名前は「幸せ」だ。
「火宮さん」
そっと身体を寄り添わせ、ピトッと隣にくっつけば、トクン、トクンと静かな鼓動が、触れた場所から直に伝わる。
「好き。大好きです」
溢れるこの想い、どうやったら全部伝わり切るだろうか。
「翼」
っ!
な、に、これ…。
バサッ、と不意に、目の前の視界一杯を満たしたのは、真っ白なバラの大きな花束で。
「っ、刃」
どこから出したとか、あなたはマジシャンですか、とか。
取り留めもない突っ込みがいくつも浮かんでは消えて。
「ククッ、最愛の、おまえに」
「っーー!」
なにこれ。ずるい。
ふわっと腰を抱かれ、くるりと身体を反転させられるようにエスコートされれば。
パサリとバラの花束が横に流れて、その視界の向こうに見えたのは、デッキのテーブルの上に整えられた豪華なディナーだった。
「刃…」
なんなの。なんなの。なんなの。
もう、本当、こういうの、ずるいから。
「ククッ、どうした」
「どうしたじゃないですよ…」
自然にテーブルの前まで導かれ、椅子を引かれて思わず腰かけてしまう。
「おまえの…」
「え?」
「おまえの17の誕生日。色々と立て込んでいて、ろくに祝ってもやれなかったからな」
「っ…」
そうだね。あの時は、色々と大変な目に遭って、俺は声まで失って。
その後も体育祭だなんだと忙しくて、とても誕生日どころの話ではなかったからね。
「その埋め合わせというわけではないが、おまえに贈りたいと思ったからな」
「っ!」
この贅沢な絶景と、大きな花束と、サンセットクルーズディナー?
最高のロケーションで、向かいには大好きな人。
「っ…」
もう、なんなの…。
こんなサプライズ。
完璧すぎて、もう完敗だ。
「どうぞ、奥さん」
「っ、なに?これ、シャンパンですか?」
「いや、ノンアルコールのスパークリングワインだ」
キラキラと、サンセットの光を弾く、琥珀色の綺麗な液体が、背の高いお洒落なグラスの中で揺れている。
「っ、もう、あなたは…」
どこまで俺を幸せな気持ちにさせたら気が済むんだろう。
「3年後は、ちゃんとドンペリだぞ?」
ククッ、と笑いながら乾杯、とグラスを合わせてくる火宮に、ヒュッと息が止まる。
「っ…」
それがシャンパンの王様と言われている飲み物だっていうくらいは、俺だって知っている。
今回と違って、アルコールがちゃんと含まれたそれを、3年後。
火宮の描く未来の中に、俺は確かなものとして存在していて…。
「はい。はい、二十歳になったら、必ず」
あなたと歩む道が3年後も、ちゃんと重なっているのだと、あなたがなんの気負いもなく保証してくれるから。
「乾杯、です」
クイッと煽ったノンアルコールスパークリングワインは、何故だかほんのりとしょっぱい味が混ざっていた。
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