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第532話
それでも、俺たちのチームは、紫藤が順調に得点を重ね、なんとか大人チームと点差を縮め、勝てる可能性のある範囲に、食らいついていた。
はずだった。
「っ、やだやだやだーっ!絶対に嫌だ!無理!助けて!マジで嫌だーっ」
「藍くん…」
ぎゃぁ、と喚いてキューを放り出した豊峰が、ビリヤード台の周りを必死で逃げて、ペナルティの苦痛での支払いを拒否するまでは。
「ふっ、往生際の悪い」
ピシリと鞭を手のひらに打ち付けた真鍋が、にこりとなんとも楽しげに、逃げ回る豊峰を眺めている。
「っ、マジで。翼、和泉、悪ぃけど、俺には無理だーっ。勘弁して…」
へにゃりと情け無い顔をして手を合わせてくる豊峰に、俺は複雑な思いで首を傾げた。
「藍くん…」
そりゃ、今、豊峰がかましてしまったのは、7点という最高レベルのファウルショットだ。鞭は怖いし痛いし、嫌がるのは分かるんだけど…。
「せめて1発で、チャラだけでも」
ここで7点もくれてやったら、また大苦戦に逆戻りじゃないか。
どうにか説得しようと声を掛ける俺にも、豊峰は絶対に頷かなかった。
「だって7点だよ?」
取られていいの?
「っ、そーだよ、7点だよ!しかも、真鍋幹部だよ!」
絶対に無理だ、と、豊峰がチラリと目を向けたのは、いつになく鮮やかな笑顔を浮かべている真鍋で。
「っーー!ほら、あんなの、絶対に無理だ。マジ死ぬ。確実に死ねる。1発でも絶対に死ぬ」
嫌だぁぁ、と頭を抱える豊峰の姿に、さすがに苦笑してしまう。
「そんな大袈裟な」
「大袈裟なもんか。あのおっかねぇ笑顔。似合い過ぎる鞭。しかも真鍋幹部のことをちょっとでも知ってれば…。カテキョーで散々懲りてるっつーの」
ザァッと顔色をなくして、なんとも派手に引けた腰で、ジリジリと後退していく姿は、獰猛な肉食獣に狙われた小動物そのもので。
「あー、本当、能貴の嗜虐心をくすぐるのが上手いよね」
その怯えた表情、哀れを誘う仕草、と目を眇める夏原の、その視線には嫉妬と八つ当たりがばっちりと含まれている。
「面白くないなぁ」
ボソリと呟いた夏原が、スタスタと真鍋の側まで歩いて行った。
「鞭は嫌だって言うんだから、もういいじゃない。支払い拒否ってことで、ペナルティはそのままこちらの得点で」
にこりと笑ってサラリと言う夏原に、焦ったのは俺だった。
「だ、駄目っ」
ここで7点も大人チームに渡したりしら、さっき俺が払った代償が無駄になるじゃないか。しかもそれだけじゃなく、負けの気配まで濃厚になってしまう。
「っ、藍くん!お願い、耐えて」
「無理。マジごめん。だけど俺には無理」
「じゃぁほら、真鍋さんじゃなくて、火宮さんにしてもらおうか!」
それならいいでしょ?と問う俺にも、豊峰はブンブンと首を左右に振った。
「なんで!火宮さんなら、死ぬほど痛くはないよっ」
経験者は語るんだから。
「あぁっ?んなの、相手が翼だからだろうがっ」
「は?」
「おまえだから、火宮会長の手加減は入るけど、おまえ以外には、この方が加減してくれるわけがねぇだろうが」
無理、殺される、とますます逃げ腰になってしまった豊峰を、説得するのはどうにも難しかった。
「んもぅ、お願い!」
「マジで、頼む、勘弁してくれ」
ぎゃぁぎゃぁと言い合いながら、逃げ回る豊峰を追いかける。
けれど、いつまで経っても捕まらない豊峰に、火宮がスッと静かに動いた。
「タイムアップだ。豊峰は支払い拒否。7点はこちらにいただきだ」
ニヤリ、と笑って宣言した火宮に、豊峰がホッとしたような、なんとも申し訳なさそうな、複雑な表情を浮かべた。
「そんなぁ…」
俺はもちろんガックリと項垂れる。
紫藤は仕方がなさそうに苦笑して、夏原は何故かご機嫌でニコニコしている。
真鍋が1人、「そうですか」と呟いた声が、やけにつまらなそうだったのは、俺の気のせいだっただろうか。
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