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第534話
「翼、跪け」
あぁ、王者というのは、こういう人のことを指す言葉だろう。
悠然と腕組みをして、艶然と俺を見下ろすその顔が、なんと妖しく似合いなことか。
人に命令し慣れたその淀みのない声は、圧倒的な力さえも持つ。
「っ、はい…」
ストンと折った膝を床につき、踵を立てた足の上に尻を乗せ、太腿の上で拳を軽く握る。
目の前にある上質そうなズボンを履いた足を辿ってゆっくりと頭上を見上げていったら、ニヤリと妖しくこちらを見下ろす火宮の顔が見えた。
「なんなりとお申し付けくださいませ、ご主人様、だ」
ククッと愉悦に喉を鳴らした火宮が、それはそれは意地悪そうな目をして、嫌ぁな台詞を強要してくる。
「っ…」
ご主人様と下僕ごっこってわけ?
「うわ…」
うん、分かるよ、どん引きだよね。
うっかりなのだろう。豊峰の引きつった声が聞こえて、俺は余計に台詞が言いづらくなった。
「真鍋」
そいつを黙らせろ、と言わんばかりの火宮の視線が、俺から逸れて豊峰に向かった。
「かしこまりました。豊峰、おまえはこっちだ。 私に服従しろ」
「っーー!」
あーぁ、ご愁傷様。
真鍋にひょいと首根っこを引っ掴まれて、豊峰が声なき悲鳴を漏らしてズルズルと引き摺られていく。
「ちょっ、ちょっ、ちょっと待った!ストップ!能貴っ、その子は駄目だ。おまえはこっち。こっちの子の方がいい」
ズイッと紫藤を前に押し出しながら、夏原が何故か慌てている。
「ふっ、会長命令だ」
「でもっ…。くぅっ、会長。能貴に、こんな極上の餌を差し出さないで下さいよ…」
どうせ確信犯でしょうけど!と、プンスカしている夏原を、火宮はフッと鼻で笑った。
「知らん。おまえはそっちのサツの息子でも手懐けていろ」
「はぁぁっ。火宮翼くんではないですけれど、本当、どSが過ぎますよ」
「褒め言葉か」
ニヤリ、と愉しげに笑っている火宮にガックリと項垂れて、夏原は諦めたように紫藤に向き直った。
「ま、結局こうなるわけね」
「余り物を押し付けられて、あなたも大変ですね」
クスッと笑った紫藤は、けれどもその目だけが面白くなさそうに、真鍋に引き摺られていった豊峰の方に向いていた。
「まぁ仕方がない。じゃぁとりあえずは、コーヒーでも淹れてもらおうかな」
「かしこまりました、ご主人様」
シラッとそんな台詞を、よく言えるものだ。
平然とした顔のまま、紫藤が夏原に従って、喫茶スペースへと消えていく。
「ククッ、ほら、おまえは?」
スゥッと細めた目で見下ろされ、俺はぐっと唇を引き結びながらも、渋々火宮の望みの言葉を口にするべく、深く息を吸い込んだ。
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