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第536話
「本当、どS。意地悪。バカ火宮」
悔しさに突き動かされるまま、ブチブチと暴言を呟きながら、俺は火宮のズボンの前に手を伸ばした。
カチャカチャとベルトを外す音に混じって、ふと微かな足音が耳に届いた気がした。
「っ?!」
「あ……」
ポツリと聞こえてきたのは、俺でも火宮のものでもない声で。
「なんだ」
ズシリと低い火宮の声が、その何者かに向かった。
「あの、お邪魔してすみません。藍たちは?」
「っ、紫藤くん」
この声。視覚を奪われているから、聴覚がやけに研ぎ澄まされていてよく分かる。
ドスの効いた火宮の声にも怯まずに、淡々と紡がれるその声がすごい。
「っ…紫藤くん、どうしたの?」
パッと慌てて火宮のズボンから手を離し、俺は見えない視界でキョロキョロと頭を振った。
「ん。ご主人様の命令で、あの2人の邪魔をして来いって言われてね。出来れば藍をあの幹部さんから奪って来いって。だからそうしに来たんだけど」
「ふはっ」
あー、そっか。
夏原さんは、絶対服従の下僕を、そういう風に使うことにしたわけね。
夏原のしたいことは本当、ブレなくてらしすぎて、思わず笑ってしまう。
「ふん。あいつはまったく…。真鍋たちなら上へ行った」
シッシッと言わんばかりに紫藤に告げた火宮に、紫藤の空気がふわりと動いた。
「そうですか。ありがとうございます。では」
スッと立ち去っていく紫藤の気配を感じる。
「おい、夏原も連れて行け」
「……はい。分かりました」
一瞬間が空いた返事はなんなのか。
2人がどんな顔をしているか見えない俺は、コテンと疑問に首を傾げるしかなかった。
「ところで、翼」
紫藤の気配が完全に消えてから、火宮が俺を見下ろしたんだろう気配が伝わってきた。
「はい?」
「おまえ、見えていないのに、あのガキの声を聞き分けたのか」
「はいぃ?」
な、なんで急に不機嫌そうな声なんだ。
「ふん、面白くないな。俺の前で、俺以外の男の声を、視覚なしでピタリと当てるなど」
「はぁぁぁっ?」
なるほど。うーわ、出た。
この人の途方も無い独占欲と嫉妬。
この場に来そうな人間と、その声や話し方くらい聞き分けられて当然だと思うのに。
「あのガキの声が、おまえの記憶の1部でも占めているというわけだな」
「はぁ?そりゃ…。って言うか、藍くんを藍って呼び捨てにするのは紫藤くんだけだし…」
「ほぉ?口調の癖まで覚えているわけか」
「は?だからそれは…」
普通分かるでしょうに!
だけどこうなった火宮には、何を言っても俺の墓穴にしかならなくて。
「奉仕はやめだ。翼」
「はい?」
「鬼ごっこをするぞ」
「はぁぁぁぁっ?」
え?なに?
今、火宮の口から、鬼ごっこなんていう、とんでもなく似合わない単語が飛び出した?
あまりのことに、唖然と口を開いてしまった俺に、火宮がクッと喉を鳴らした。
「視覚を奪われたまま、俺の声だけを頼りに、俺を追って、捕らえてみせろ」
「あの…」
「おまえが覚えておくのも、追い求めるのも、聞き分けるのも、俺の声だけでいい」
スッと火宮が目の前にしゃがんだ気配がして、グイッと腕を取られて立ち上がらされていた。
「っ?火宮さん?」
「1階までは連れて行ってやる。地下階段前の壁に触らせてやるから、そこからスタートだ」
「あっ、えっ?ちょっ…」
くいっと腕を引かれて、ふらりと足を踏み出す。
持たない視覚で、俺が頼れるのは、腕を引く火宮の手だけ。
「制限時間は20分。その間に俺を捕まえることが出来たならおまえの勝ち。絶対服従をそこで終わりにしてやる」
「っ…」
「けれどもしも、俺を捕えることが出来なければ…」
意味深なところで言葉を切られ、ゴクリと喉がなる。
「火宮さん?」
「絶対服従で、仕置きのフルコースだ」
「っ!」
あ、今、絶対、ニヤリ、って笑った。
あの、意地悪でサディスティックで、とてもとても愉しそうな顔。
見えなくても、こんなに分かるのに。
ここまで分かるのは、火宮さんだけなのに。
「妬く必要なんて、どこにもないのになぁ」
こんなにこんなに、俺のすべてはあなたなのに。
「ククッ、証明しろ、翼。時間内に、見事俺を捕らえてみせろ」
クイッと顎を持ち上げられ、見えない目を合わせられた気がした。
「っ、やってやります」
ピトッとつかされた壁が、1階のスタートラインか。
スッと離れていった火宮の気配を感じる。
「火宮さん?」
「なんだ」
離れた場所から、火宮の声が聞こえる。
なるほど、呼べば答えてくれるというわけか。
「そっちだ」
スッと壁伝いに足を踏み出し、そろそろと声がした方へと向かう。
「火宮さん」
「ククッ、ここにいる」
う。なんか、曲がった?
まだいまいち把握し切れていない別荘の間取りの中、声のする方向だけを頼りに足を進める。
「20分か…」
必ず捕まえて、火宮に参ったと言わせてみせる。
『俺がどれだけあなただけなのか、思い知るといいですよ』
俺は、ぐっと足に力を入れ、思い切って真っ暗な視界の中を、火宮の声というたった1つの光目指して歩き出した。
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